love story 9





ロビンが支えを失ったマリオネットのように倒れ、室内にいた全員がざわつく。
一番に近寄ったサンジを、起き上がったロビンは手で制した。
「大丈夫よ、騒がないで」
青ざめた頬に髪がぱらりとかかっているのをかき上げる。「暖房がきつすぎるのね。ちょっと外の空気吸ってくるわ」
ふらつきながらもロビンが出ていってしまうと、サンジはすぐ備えつけてあるコーヒーメーカーからカップにコーヒーを注いだ。
エレベーターで下まで降りてエントランスを出ると、石造りの植え込みがいくつかあり天気の良い日には社員がよくベンチ代わりに座って昼休みの寛ぎ場となっている。
風は少し強いが日差しがあり、そう寒くはなかった。黒い髪が靡いている横顔を、サンジはカップを手にしたままで眺めていた。
「…電話でもかかってきた?」
目を瞑っていたロビンが気配を悟ったのかサンジの方を向く。
「コーヒーでもどうかと思って。ちょっとミルク入れたけど飲めるかな」
「ブラックが好きなのよ」
「知ってるよ。でも胃が荒れてる時はやめた方がいい」
サンジが手渡すと、ロビンはちょっと躊躇したものの受け取る。「必要以上に頑張り過ぎちゃ駄目だよ、ロビンちゃん。全部背負ってやろうとしないで。俺とか、もっと上手く使えばいい」
「生意気ね。あなたより、いくつ年上だと思ってるの?」
「年が下でも俺は男だ。女性は守るもんだからね」
「あなたって中学生の頃から変わってないわ」
ロビンがふと脱力したように息をついた。「変わったのは私の方かもしれない」
「うん、ますます魅力が増したかな。眩し過ぎてそんじょそこらの男は近づけねえや」
「いいのよ。気を使わなくても。…魅力的だったら、振られたりしないもの」
サンジは何とも言えず、その場に立ち尽くしていた。先日他の女性と結婚した課長とロビンが男女の関係にあったことは何となく察している。結婚式からは数日が過ぎていたが、それからずっとロビンの体調が思わしくないことも。「馬鹿みたいよね。彼に認められたかったのもあったから私すごく頑張ったの。でも仕事や研究が面白くなって段々時間や話題もずれていったわ。よくある話」
「ロビンちゃんは一人でも大丈夫そうに見えるから可哀想だな。実際は普通より不器用な女の子なのに」
「…そうかしら?そうね」
大きく溜息をつき、ロビンはサンジを見る。「ねえ。お願いがあるんだけど」
サンジが微笑して、両手を掲げた。
「何なりと。俺はいつでもロビンちゃんの味方だよ」
──空のカップを持ってサンジが給湯室に行くと、女子社員がお茶を淹れていた。女子と言ってもサンジよりはよほどキャリアが長い、四十代の女性だ。
「あら、サンジ君。さっきロロノア君が来てたわよ」
「え。俺に用事で…?」
共同プロジェクトが終わって以来、仕事上の関わりは皆無なのでゾロが開発部から出てくるのもあまりない。折角携帯電話も買ったのだしメールでもすればいいようなものだが、同じ社内だしゾロにしてみれば慣れない携帯の画面でメールを打つよりは来た方が早いのかもしれなかった。
「荷物が間違って配送されてたとかで、ついでもあったみたいだけど。サンジ君がいないか聞かれたの」
「そうか。ありがとう」
「素敵よねえ、彼。最近滅多にこっちのフロアに来ないでしょ?若い子達が嬉しがっちゃって」
サンジは大仰な素振りで嘆いてみせた。
「ええ〜?俺みたいなプリンスがいるのにあんなのがいいのォ?」
「だってタイプ全然違うもの。彼って顔もいいけど体つきも逞しいし硬派って感じで、最近の男の子にはあんまりいないじゃない。仕事も出来るから、狙ってる女の子多いわよ。私も旦那がいなきゃねえ…」と不穏な事を言い、豪快に笑う。「でもサンジ君もロロノア君とは最近すごく仲いいじゃないの。いい男二人がつるんでるもんだから女の子の注目の的よ、あんたたちは。意中の子はいないの?何なら取り持ってあげるわよ」
「その時はお願いします。でも、女の子はみんな可愛くて好きだからな〜」
「あら。あんまりノンキにしてるとロロノア君に先越されちゃうわよ」
「だとしたら、ライバルが減ってホッとするね」
サンジは如才なくあしらい、カップを洗って給湯室を出た。

 

ゾロは自分の部屋の鍵を開け、中に入る。今日は二十二日だったしサンジと待ち合わせて一緒に帰る予定だったのだが、仕事で外に行かなきゃいけなくなったから帰ってろとメールが入っていて仕方なく帰宅した。ここのところサンジとはすれ違いばかりで、ゾロも忙しくてなかなか会えずにいた。所属する階が違うので毎日顔を合わせることはない。
着替えてビールを少し飲んだところでチャイムが鳴り、サンジが紙袋やスーパーの袋を山と抱えて入ってきた。
「何だ、買い物すんなら電話すりゃ出て行ったのに」
「いや、帰りがけだったし呼んで出て来させるのも時間勿体無いと思ってな。ご馳走作ってやるから楽しみにしてろ」
がさがさと食材を並べながら、サンジがコートとスーツの上着を脱いで袖捲りをすると、野菜を洗って刻み肉を包丁で叩く。
「この前、うちの課に来たって?」
チキンの照り焼きなどを並べながらサンジが訊ねる。
「ああ。指輪のサイズ聞こうと思って」
サンジの手が止まり、訝しげに眉を寄せた。
「ゆび、わ…?」
「クリスマスプレゼントっても何やりゃいいのか分からねェし。てめェこの前の結婚式で、指輪交換すげえ真剣に見てたろ」
「…見てたか?」
「羨ましいのかと思ってよ」
「勝手に決めんな、アホ」
あれはもしもゾロが花婿の立場になった時は自分は友人席で見ているだろうか、それとも出席さえできていないだろうかとかつらつら考えてただけで、ゾロと指輪交換がしたいとかそんな少女趣味な感慨は持っていない。
「や、別にそんな深い意味ねえし…嫌だったら他のもんにするけどよ。俺、あんまりこういうの考えるの得意じゃねェからな」
ゾロは少し照れたように早口だ。とにかく乾杯するかとサンジが持ってきたシャンパンの栓を抜く。輸入品コーナーで買った、全く甘くない本場ものだ。
「嫌ってんじゃねえけど──俺、そういうモンは受け取れねえよ」
「何だよ、そりゃ」
「とにかくメシ冷めちまうから、先に食おうぜ。話はそれからでいい」
これ自信作なんだからと料理を取り分けるが、ゾロは箸をつけない。
「気になんだろ。言いたい事あんなら言え」
まっすぐな、誤魔化しを自分にも他人にも許さない瞳がサンジを見据えてきた。揺ぎないこの目は本当に好きだと思う。とても、愛しいと。
サンジはシャンパンを飲んで喉を潤してから口を開いた。
「別れよう、ゾロ」
胸が詰まって出なくなる前に、続く言葉を押し出した。「俺ギリシャに行くんだ」
その時のゾロの顔は。まさに鳩が豆鉄砲を食ったようというやつで、いささかコミカルなほどに間が抜けていた。元々柔和とは言い難い面構えなだけにギャップが激しい。しかし、それも一瞬で徐々に厳しいものになる。
「……冗談にしちゃ面白くねえな」
「ロビンちゃんが、会社辞めるんだ。大手の企業に前から声かけられてたらしいんだけどよ。ま、色々あって…てめェにゃ名前言っても分からねェだろうけど、とにかく今度海外の業者と提携して会社興すから、そこの日本人スタッフに呼ばれてて。俺にも一緒に来てくれないかって…」
「んな事、聞いてんじゃねえ!」
ダン!とゾロが両手でテーブルの天板が折れんばかりに叩く。「ギリシャがどうとか、何勝手に一人で決めてんだよ」
「俺がこれからどうするか、いちいちお前の判断仰がなきゃならねえの?」
「相談ぐらいしたっていいだろ」
「してたらどうなる?てめェのことだから、ロビンちゃんに直談判にでも行くんじゃねえのか。彼女はただでさえ忙しい身だ。手ェ煩わしたら気の毒だろ」
「ずいぶんあの女が大事そうじゃねえかよ。俺なんかよりよっぽどな」
「ロビンちゃんを大切に思ってるのは、確かだ」
「そういうことか」
ゾロの声のトーンがすとんと落ちた。「つまり、ギリシャに行くのはあの女の為って訳だ」
「おい、ヘンな誤解すんなよ。ロビンちゃんに頼まれれば力にはなりてえけど、それは」
「あの女に頼まれりゃ何でもすんのか。俺の事が好きだって言ったのは、ありゃ何だ。からかってたのか。てめェは、本気でもねェのに男とヤれんのかよ」
「じゃあ……どうしろってんだよ。お前さあ、まさか俺と一生過ごせるなんて思ってねえだろ?野郎同士なんだ。結婚もできないし子供だって」
「結婚?しなきゃならねえ法律なんかねェだろうが。お前とずっと一緒にいたいと思って、何が悪い。回りくどいやり方しねえで、あの女の方が好きになったとかなら正直にそう言いやがれ。結婚したいのはてめェの方じゃねェのかよ」
「違う…大声出すな」
肩をギュッときつく掴まれ、サンジはその痛みで尚更落ち着けると感じた。「頭に血ィ上って後の事とかまで思考行ってねェだろ、てめェ。俺たちは…いつかそうなるんだから、離れた方がいいんだ。何年かしたらそれで良かったって絶対に分かる。お前だって嫁さんもらって、子供作ってさ」
「黙れ…」
「この前も思ってたけど、お前はタキシードよりは紋付羽織袴が似合いそうだな。結婚式に呼んでくれたら、心からお祝いするぜ?」
「黙れって言ってんだ」
ゾロがサンジを突き放した。サンジはそろそろと立ち上がる。
黙れと言うなら従おうと思った。話すべき事はだいたい話した。長閑に食事をするような雰囲気ではとっくにないので、上着を羽織る。
ゾロが吐き捨てるように言った。
「そうやって、てめェは自分だけでさっさと片つけちまってよ。えらく…お手軽なもんだ」
お手軽。そうだな。だといいなと思うよ。「反論しねェんだな。やっぱり軽い気持ちで男と寝んのかよ…そんな野郎だったなんて見損なったぜ」
「……」
コートを腕にかけて靴を履く。ゾロが追って来ないと分かっていたし、急がなかった。
「余計なお世話だが向こうに行ったら本物がいるかもしんねえし、狙われないように気をつけろよ。ああでも、あの女と結婚とかするんだっけか?お幸せに」
分かり易い子供じみたあからさまな挑発をして。彼はサンジが否定するのを待っているのだろう。だが、今はどう説得しても駄目だと思う。それに声を発すると塞き止めた想いが溢れてしまいそうだった。だから一言だけ。この一言だけは伝えたい。
「お前も幸せになれよ」
「──思ってもねえ癖に」
ゾロの呟きに、冷たいスチールの扉が閉まる音が重なった。詰めていた息を大きく吐くと体が急に重くなった気がした。ドアに凭れて瞼を閉じる。


嘘じゃねェよ、ゾロ。俺はどこにいても、いつまでも。

…お前の幸せを願うから。




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