love story 7





十分か二十分か。しばらく壁に凭れていたゾロは、サンジに蹴られ未だズキズキしている部分を擦って玄関からまだ夕食の匂いが微かに残る室内に戻る。
食器や鍋等はサンジが酒を飲む前に大方片していた。テーブルにはグラスと小皿、それからサンジのスーツの上着。調理する為に脱いで椅子にかけてあったものだ。
…本当に馬鹿な事をしたものだと思う。
もうサンジは今後自分に近寄りはしないだろう。二度と。
女好きな彼のことだ、さぞ驚いて寒気さえしたに違いない。ゾロ本人にも、未だ己の行いが信じられない。それでもサンジを抱きしめた刹那強く感じた。
離したくないと。
ギュッと上着を掴むと皺が寄る。手に取るとコロンの香りがふわりと漂った。その拍子に椅子に置いてあったサンジの鞄が床に落ちる。
上着はまだしも鞄は明日にでも必要だろう。届けなければという義務感を言い訳にして、ゾロは上着と鞄を持って部屋を出た。
駅まではそう遠くない。早足で進むと白っぽい照明のついた改札が見えてきたが、サンジはいなかった。財布は身に着けているだろうし、既に電車に乗ってしまったか。
駅員に金髪の男が改札を通らなかったか聞いてみても、不明瞭だった。あの頭は目立つと思うが、先刻急行が出たばかりなので人の往来が激しかったのだと言う。
届けようにも、ゾロはサンジの電話番号も住所も知らない。鞄に連絡先が分かりそうなものが入ってないだろうかと躊躇いがちに蓋を開けたら突然中から光と音が飛び出してきたので、鞄を落としそうになりながら携帯電話を取り出す。
勝手に受けていいものかどうかよりも、その前にゾロ自身携帯を持っていないので通話するにはどうするのかと悩んだ。これかと目安をつけて、電話の受話器が上がってるマークがあるボタンを押して耳に押し当てる。
「もしもし…?」
間が置いて、サンジの声がはっきり聞こえた。
「ゾロか。やっぱ鞄とか部屋に忘れてたんだな」
「ああ…今、どこだ?ないと困るだろうし渡そうと思って」
「……会いたくねえ」
そうだろうとは思う。サンジの声音は感情を押し殺してはいるが怒りを蓄え冷たかった。さっきの出来事を冗談や何かで済ませられる雰囲気では到底ない。「財布は持ってるし、鞄をなくした訳じゃないの確認したかっただけだから、明日でもいい。俺の部署に託けといてくれ」
声が随分近い。サンジの家がどこかは知らないが電車を降りて公衆電話からかけているにしては時間的に早過ぎないかと思った。彼はまだこの近所に留まっているのでは……。
「待てよ。怒んのも分かるが、俺は本気だ」
「本気…?てめェがふざけてようが本気だろうが、俺が知るかよ」
この辺りで公衆電話のありそうな場所。携帯電話が普及している昨今、設置されている場所は案外少ない。サンジの周りが静かだし、おそらく喫茶店などではないだろう。駅から少し外れたコンビニには公衆電話があっただろうか?
会いたくないときっぱり言われたのに、我ながらしつこい。だが、サンジが近くにいるかもしれないと考えるとやはり顔を見て話したかった。
「肝心なのは、てめェが全部ぶち壊しにしやがったって事だ。だから当分会いたくねえし、話したくねえ」
「急にあんな事したのは……悪かった」
「へっ、酔ってたし女と間違えたとか適当に言えばいいのに。ま…ホモだってのは会社のヤツには内緒にしててやるから安心しろよ」
「そんなのはどっちだって構やしねェから」
ポツンと明りを放つコンビニの外に黄色い頭を見つけて、ゾロはそちらに歩いていく。「会って話させろ」
受話器と背後から同時に聞こえた言葉にサンジがハッと振り返った。
「…卑怯モン」
引っかかった自分の方が口惜しいのだろうか、悔しげに舌打ちをしてサンジは受話器をフックに戻す。
そしてゾロが手にしているもの(上着と鞄と携帯電話)を宛ら奪うように取り返した。駅に向かって歩き始めるサンジをゾロは追う。
「待てって。話してェんだ」
「何を?言った筈だぜ、俺は会いたくも話したくもねえって」
「じゃあ何ですぐに帰らなかった」
ゾロが言うとサンジの歩調がゆるみ、止まった。「電車乗る時間は充分あっただろ」
「…鞄、どっかに落としたかと思って探してたんだよ。ちょっと気が動転してたし」
「怒ってたからか」
「ああ、そうだ」
サンジが唇を歪めて煙草を咥える。「ふざけた野郎のおかげで楽しいとは言い難いな。男好きなら最初から他所当たれよ」
「俺はそんなんじゃねえ。これまでだって野郎とそんな──」
「うるせえ。てめェの過去なんざ、どうだっていいんだよ。酔ってたのでも冗談でもないんならホモって言われてもしょうがねェだろうが。友達ヅラしてとんだ偽善者だぜ」
せっかく仕事仲間として上手くやっていけそうだったのに、とサンジは思っているのだろう。
初めのいざこざはあったが、最近やっと少しずつ互いに受け入れる事ができてきた。良き友人にさえなれそうな関係をゾロが台無しにしてしまったのだ。ゾロの気持ちなど、とても肯定はできないに違いない。
しかし、ゾロは同僚としての関わりだけでは満足できなかった。
二ヶ月ぶりにサンジに会って、本当に嬉しかったのだ。話すだけではなく、彼に接近して触れたくなった。偽善者だとサンジは言うが、ゾロは心を偽るつもりなどない。触りたいものは触りたいし、傍にいたいものはいたい。自覚するより先に動いたのが問題なら、それについては謝る。だが好きになった事実は曖昧にせず認めて欲しかった。
「俺の事が嫌いか」
「好きとか嫌いとかいう話じゃねェだろ」
「触られるのも嫌なのか」
一歩近寄るとサンジがじり、と一歩下がる。
「あのな、行動する前にちょっと考えろってんだ!本能で動きやがって、動物かてめェは」
「言えよ。大嫌いだって…触られるのもゴメンだって。でなきゃ諦めらんねえ、俺は」
好きになってくれなんて無理は言わない。ただ、一度目覚めてしまっては今更何事もなかったように振舞うなんて出来ない。やるなら、徹底的に完膚なきまでに叩きのめしてもらいたかった。這い上がる気力すら持てない程。
「ハ、まるっきり状況が見えなくもねェみたいだ。諦める覚悟してんのか…そりゃご立派なこった」
サンジが紫煙ごと台詞を吐き出す。「お前はとことんアホだな」
「あァ?」
「な、お前のそれは世間的な分別ってやつ?するんなら、他の覚悟した方がいいんじゃねェのか」
訝しげなゾロにサンジは肩を竦めてみせた。「俺がむかついてんのはてめェより自分にだ」
「自分って…」
「もちろん段階素っ飛ばしてくるてめェにも呆れてるがな。アホっつうか…あんま余計な事は考えてないんだろなと思うと羨ましい。俺のが馬鹿みてえだよ、っとに」
始末悪いよなぁと自嘲めいて首を振る。
「知ってるか、ゾロ」
名前。そう言えば戻ってきてから彼はゾロを苗字ではなく名前で呼んでいるとふと気づく。「この二ヵ月…俺が、どんだけお前の事ばっかり考えて過ごしてたか…知ってるかよ?会いたかったし、喋りたかった。電話してみようかと思って大阪支社の電話番号調べたこともある。用事なんかねえけど単に声が聞きたくて、本当はお前が帰る日だってちゃんと知ってたんだ。今日が待ち遠しくて、あんまり何度も何度も頭で繰返したからいつの間にかお前を名前で呼ぶのも癖になっちまってさ。止めようと思っても、どうしたっててめェのその面が離れねえ…メシもまともに食えないぐらいにな。言っとくが喜ぶなよ。ここは悲嘆するのが正解だ」
ゾロは身をやや屈めて堰を切ったように語るサンジに手を伸ばせなかった。彼の事を深く考えもせず昂ぶりに任せて触れようとした、先刻の短絡さが忌わしい。
「マズイだろ?お前はどっからどう見たって野郎なのにさ?さっきだってお前に抱きしめられて…嫌がって逃げたと思っただろうが、違う。嬉しくて…ゾクゾクしたし興奮した。友達の線なんてとっくに越えてんのはよ、てめェじゃなくて俺の方なんだ。へへっ、汚えだろ…お前が入ろうとしたのは──境界を越えようとしたのは、そんなヤバイ世界だってマジで理解してるか。考え直せよ…今ならまだ引き返せる。お前だって俺だって、元から同性愛者って訳じゃねえんだからさ」
お前は、難しいんだな。
惚れたならそれだけでいいだろ?と軽く流すのは簡単だ。だがサンジが自分をすぐ受け入れられなかったのはサンジ本人の事よりもきっとゾロを案じたのが大きいと分かるが故に、感情を押しつけて安易に抱きしめたりできない。彼はゾロが何もしなければ同僚としての顔を崩さなかっただろうに、決して。
それを壊したのは自分だ。確かにそうだ。
ならば、責任を取るのも自分だと思う。ここですべてを止めてしまう以外にも方法はある筈だろう。なければ探すし探しても見つからなかったら作るまでだ。もしサンジが深みに嵌る事を潔しとせず心底退けたかったのなら、ゾロの家に来てはいけなかったし、さっきの電話だってすぐに切るべきだった。

だから…自惚れる。悪ィな。

「キスしていいか?」
「人の話、ちゃんと聞いてたのかてめェは」
サンジが非難がましく斜に睨んできた。
「聞いてたし、理解も…しにくいが分かる気はする。けど、俺は嘘はつきたくねえ。ってか、つけねえからな。俺の大事なもんは常識とかじゃなくて、目の前にいるお前だ」
「即物的だな…所詮マリモに物の道理を説くのも意味ねェってか」
「問題がありゃ、その都度教えてくれ。リスクばっかり考えてちゃ欲しいモンも手に入らねえだろ。お前だって欲しかったら言えばいい」
「偉そうに──つけあがんなよ」
けど俺にも責任はあるかと続けて呟いたサンジの溜息混じりの台詞を塞ぐように。
距離を縮めても彼は逃げなかったから、柔らかい髪に手を差し入れて柔らかく唇を重ねる。
煙草の匂いが混じるキスは、過去の誰としたものよりも心地良くて暖かくて。
この先、何が待ち受けていても構やしない。
彼が傍にいるなら、ゾロには恐れるものなんて欠片もなかった。



[←][→]  [TOP]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送