love story 4

 



露天風呂に作られている小さな滝の流れが強くなり、湯に浸かっていたゾロの頬にかかる。
タイミングが良かったのか浴場にはあまり人がおらず静かなのと適度な湯加減のせいでウトウトしかけていた目が覚めた。
そろそろ夕食というか宴会の始まる時間だろうが、ゾロは時計も見ず岩に凭れかかる。見回しても会社の人間はいない。三日目になるし、このホテルは温泉以外にも楽しめる施設はあったから風呂にばかりゆったりと入ってられないのだろう。現代人というものは気忙しいのだ。
ゾロも温水プールやカラオケに誘われはしたが逃げてきた。体を動かすのは苦ではないけれど、自分のペースで動けないのが嫌なのだ。そしてカラオケは苦手である。
本来休養目的に来てるんだからのんびりと過ごせばいいんだと、何度目かになるこの露天風呂で寛いでいる。
既に宵の口といった辺りか、植えてある木や石の灯籠が暗く沈んできたなと思ったら折り良く照明が点き始めて黄色い光に浮かび上がった。小さく聴こえるのはポップスを琴の音でアレンジした音楽で、さすがに普段の暮らしではこんな環境はないから悪くないなとタオルを頭に乗せて景色を眺める。
だが、その優雅なひとときもほんの数分だった。
「あっちー、汗ダラダラだぜ」
「お前アレ本気だったろ」
「だって昔テニス部だったもんよ」
「あ、俺サウナ行ってくる」
「女の子たちも、きっと今頃入ってんだろうなあ」
全て聞き覚えのある声、中でも際立つゾロよりは高めだが多分一般的には低めで甘いそれは。
ゾロはこのままぶくぶくとお湯の中に沈んでしまいたくなった。サンジを含めた同僚達が来ては、ここは最早安息の地ではない。
湯煙がもうもうと立っているから会話に忙しい彼らには気づかれずに済むかもしれないと思い、ゾロはのそりと上がった。
サンジたちの横を通り過ぎようとしたら、ふざけ合っていたのか何か知らないがサンジの体がぐらついて倒れそうになったので咄嗟に彼の腕を取った。
「…気ィつけろ」
「あ?何だお前、いたのかよ。一人で入ってたのか?暗ェ奴」
ゾロの存在には全く気づいてなかったらしいサンジが目をぱちくりさせた。
「もう出るところだ」
「宴会ちゃんと出ろよ」
サンジが後ろから声をかけてくる。余計なお世話だと振り返ったところで、さあっと風が吹いて湯気が払われた。
タオルを腰には巻いてはいるが、入浴するのだから彼も当然全裸だ。着やせするのだろう、肌の色は白かったがそこそこに筋肉がついていた。殴り合いの喧嘩をした時から感じていたがサンジはきっと何か武道なりをやっていたに違いないと思う。すらりと伸びた細く引き締まった脚まで目線を落としたところでサンジが冷やかすように顎を上げた。
「何ジロジロ見てんだよ?お前そういうシュミあるわけ」
「…冗談言うな」
ああ、そうだ。こいつとは、まともな話はできないんだった。
ゾロはくるりと背を向け、浴場を出た。案内が出ている広間に行くと夕食が揃い始めている。さっさと食べて早めに抜け出そうとゾロは思った。明日にはやっと帰ることができるのだ。枕が変わると寝られないというタイプではなくむしろその反対で、どこででも寝ようと思えば寝られるのだが自宅の方が落ち着ける。
旅行に来て良かったと言えば、ご馳走が食べられる事くらいか。
ゾロは然程食に細かくはないが、外食やコンビニ等で買うのよりは当然ながら美味だ。酒も飲むがお酌に回るのも鬱陶しいのでひたすら食事に勤しんだ。
刺身に天麩羅、茶碗蒸しなどを食し腹も一杯になってきたので、ちょっと小用でも足す風情でふらりと席を立つ。途端にサンジの声が飛んできた。
「ロロノア・ゾロ脱走!」
皆騒いでいるからそう目立ちはしないが、ぎょっとする。サンジはふんぞり返って腰に両手を当てていた。「逃げるなっつったろ?どこ行く気だよ」
「俺の勝手だ」
「待ちやがれ!」
ゾロは相手にせず広間の真ん中を突っ切った。止められて、今更座り直す気にもならない。他の連中は、おーいいぞ連れ戻せーとか何とか無責任に囃し立てている。
売店が並ぶロビーまで来たゾロの後をサンジが追ってきた。軽く結んだだけの帯を掴まれて、流石に歩調を緩める。
「離せ」
パシッとサンジの手を振り払い、大股に歩く。それ以上はしつこく縋りもせず捨て台詞もなかったので、不審に思い目線だけをやるとサンジがしゃがみこんでいた。
性質の悪い悪戯でも企んでいるのではと考えたのは一瞬で、それよりも早くゾロは彼の許に駆け寄った。
「どうした」
「ん、ああ。何でもね…飲み過ぎたのかもな」
サンジがへへ、と口角を上げる。確かに顔は赤いが肩に触れたら体も妙に熱い。
「お前、熱あんじゃねえのか?」
「違うって。温泉入ったから、そのせい」
「嘘つけ!震えてんじゃねえかよ。寒気してんだろうが」
「ああもう、うっせえな。てめェは人の事なんか気にする性格じゃねえだろうが。放っとけよ」
サンジはふらふらと立ち上がったが、すぐに膝をつきそうになるのでゾロが支える。「…失態だ。てめェなんかに…」
「熱あんのに、見得張ってんじゃねえ。部屋で休めよ。お前何号室だ」
「…506…」
「鍵は?誰が持ってる」
「先輩だけど、言わなくていい。皆楽しくやってんだから」
ゾロに凭れかかるのも口惜しいのだろうが、強がるにも立てないので仕方ない。「なあ、それより──売店に解熱剤売ってねェか?まあ荷物ん中には入ってんたけどよ…」
「解熱剤ってお前…」
ゾロは厳しい表情だったが、サンジの体を抱えたまま自分の部屋に行った。今日はちゃっかり鍵をせしめている。
「おい──!?」
布団が六組並んでいる所へサンジを転がし掛け布団を被せた。「コラ、俺は寝かせろなんて頼んでねェだろうがよ。それより売店で…」
「無理に薬で下げんのは良くねェんだぞ。どうしても飲むってんなら止めやしねえが、どうせ下がってもあのアホくせえ宴会に戻るだけだろが。終わるまで寝とけ」
「満足に人とのコミュニケーションも取れねえようなてめェに命令される筋合いは」
サンジがガバッと起き上がったが、途端に眉根を寄せてウッと手で口元を押さえた。ゾロは察してトイレまで肩を貸してやる。サンジが嘔吐している間、彼の背中をゆっくりと擦っていた。
風邪だか何だか知らないが万全の調子ではないのに酒などを飲むからだ。薬の飲み過ぎで胃も荒れているのだろう。どうも彼の言い分から察するに、今まで解熱剤で抑えて皆に付き合っていたようだ。それもテニスしてたとか何とか言ってたような気もする。
…こいつは。
多分サンジのことだから男はともかく女には殊更いい顔を振り撒いて、自分の体調が悪い事などきっとおくびにも出さずに。道化さながらに場を盛り上げていたのだろう。
「くそ、みっともねえ……」
サンジは胃の中のものを全部吐いた為一応人心地ついて諦めたのか、文句を言いはしてもゾロが横たわらせるのには逆らわなかった。ぐったりと身を投げ出し、大き息を吐く。
ゾロはサンジの前髪を掻き分けて、額に手を当てたがやはりまだ熱かった。
「フロントでアイスノンか何か借りてきてやろうか」
「…ばれる」
「構わねえだろ、悪いことしてるんじゃあるまいし。そんなに知られんのが嫌かよ」
「嫌だね。折角薬まで使って普段どおりにしてきたのによ。俺の努力が水の泡だぜ」
「馬鹿だな、お前」
お調子者にも程があるだろう。そこまで自分殺して、何が楽しい?何が得られる?「そんなとこで頑張るのおかしいだろ。お前が倒れたら会社の人間関係総崩れとでも思ってんのかよ」
「馬鹿だ?てめェの方が馬鹿だってんだ。このアサハカ男め」
サンジは吐いたせいでうっすら涙目になっている。「ロビンちゃんが、部下の監督不行き届きとかって咎められたらどうすんだ」
ゾロはきょとんとしてサンジを見た。
「お前んとこのチーフか。んな下らねェ事で責められたりするかよ普通」
「てめェはこっちの課の事は何にも知らねェからな。仕事ができるレディってのは可哀想なんだぜ。揚げ足取ろうとしてる奴らはいくらでもいる」
いくらフェミニストにしても随分な気の使い方をするものだ。いささか神経過敏過ぎるようにゾロには思えた。
「あ、でも勘違いすんな?俺はやりたいようにやってるだけだ。誰の為でもねえ」サンジは余裕めかして笑う。「それに俺のこんな姿見せたら女の子がっかりだしな」
理解はし難い。それは全く変わらない。けれど。
もっと世渡り上手な、面倒な事からはさっと逃げて旨い汁だけを吸う器用で軽い男だと思っていたのに。
──とんだ番狂わせだっだろうか。
とにかくサンジが誰にも知られたくないのは、汲んでやるかと思った。
何もしないよりはいいだろうと冷蔵庫に入っていたビールをタオルで包んでサンジの額に乗せる。
「氷嚢代わりだ」
「熱下げる時はなァ、額じゃなくて項とか脇を冷やすんだぜ?」
憎まれ口もどことなくいつもより勢いがないのは熱のせいか。ゾロは黙ってサンジの言うとおりにした。
首の下に入れるのは難しいので横を向かせて、項に押し当ててやる。
「あー。ちっと、気持ちいいかも」
くすぐったそうに首を竦めながらも出た言葉に少し驚く。
その横顔を。上気した頬と閉じた瞼の縁にある長い睫を薄めの唇を、ゾロはずっと眺めていた。
何故か飽きもせず。




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