指先にキスを 12




「どういうことか、説明してくれるわね?」
ナミが両腕を組んでいる。キッチンは静かだった。サンジとナミだけが立ち、あとのクルーたちは座っている。
「…説明?」
ちょっと困ったようにサンジは微笑んだ。
「そうよ。ゾロがどうして、あんな賞金稼ぎの奴らと一緒にいたの」
「それは、俺もよく知らねェよ。金借りたとか言ってたけど。この船襲ったのだって、偶然だったみてえだし。ま、あの筋肉マリモが色々深く考えて行動する訳ないわな」
「サンジくん…」
論点を微妙にずらされていると感じてナミは少し間を置いた。「いいわ。何があったかなんて、聞かない。でも、私の頼みは聞いてくれるわね」
「そりゃあ、愛しのナミさんの頼みなら」
いつだってオッケーさ、と両手を広げてみせた。
「ゾロを連れ戻して」
「ナミさん───」
「あいつが戻らないと、船は出せないわ。そうでしょ、キャプテン」
ナミは、片肘をつき麦藁を指で回しているルフィに声をかけた。
ルフィの顔は表情がなかった。無言のまま、あらぬ方向を見て。船長がこんな様子の時は怒りを蓄えていることが多いことを皆知っている。
応答がないので、ナミは諦めたようにサンジに視線を再び移した。
「ウソップや私じゃ無理だし。サンジくんくらいしかいないのよ」
「ナミさん…。あのクソ野郎が俺に素直についてくると思う?」
苦笑するサンジ。カタンと音をたて、ルフィが立ち上がった。
「サンジが無理なら俺が連れてくる。殺してでも」
冗談でも何でもない、至極真面目な口調だった。
「おいおい、死体と船旅なんてゴメンだぜ。あんな筋肉男、料理しても食えるトコなんてありゃしねえし」
サンジは茶化したが、ルフィが本気だというのは承知していた。
「…どうしてもクソ剣士がいなきゃ駄目か?」
「当たり前だ。サンジだって、ゾロがいないと嫌だろ」
「俺が?」
サンジは目を見開く。「俺ァ、あいつをぶっ殺せなくて後悔してるくらいなんだぜ。あんな野郎はいなくなった方が、せいせいするね」
「嘘だ」
「嘘じゃねえ」
「嘘だ!!」
ダン、とテーブルを叩き、ルフィの語気が荒くなった。
サンジは苦々しく嘆息すると煙草を咥える。
「話にならねェな。お前はいつも、テメエ勝手な意見ばっか押しつける」
「けど俺は、自分に嘘ついたりしねェぞ。サンジは、嘘つきだ」
「嘘つきって、なァ。ガキかよ…」
やれやれという感じで視線を泳がせたサンジは、既に夕方になりつつあるのに気づいた。
「───そろそろ晩メシの用意しなきゃな」
話は済んだとは言いがたいが、仕度を始める。例え何があっても、時間は通常どおりに過ぎていくのだ。それに慣れた作業をしている方がまだ良かった。
余計な事や考えても仕方のないことを考える時間が少しでも減る。
場の空気の重さに、ナミは難しい顔でビビと共にキッチンを出て行く。ウソップもルフィを促す。これ以上船長がここにいると無意味な喧嘩になると思ったのだろう。ルフィは出て行きたくなさそうだったが、食事をタテにされると拗ねたような面持ちでウソップに引っ張られていった。
サンジは、材料を冷蔵庫やストッカーから取り出して、揃える。
(嘘つき、か)
確かにルフィはとても正直だ。何の曇りもないと言っていいくらい。
ルフィの漆黒の瞳は苦手だ、とサンジはつくづく感じる。どこか疚しいような気にさせられるのだ。
自分を誤魔化し保身する術を使っていると、見透かされているような。
複雑な感情が混ざっているからそう見えるだけで、サンジとて意識的に己を偽ろうとしているわけではない。
ゾロがいなくなった方がせいせいすると言ったのは、ひとつの真実だ。
あの男が船にいなければ、精神的には平穏だろうとは思う。
今までどうこう言いながらも、それぞれクルーの一員として旅を続けてきたのだ。その姿がなくなることへの空虚さはあるかもしれないが。
特にあの剣士は。
目線の高さが同じでいちいちサンジのカンに触るが、一番気になる相手だったから。
張り合って、弾き合って、お互い引くことを知らない。それはそれで悪くなかった。
ゾロが馬鹿な事をしでかして、境界線を越えてしまわなければ今まで通りだったのに。
口の端を吊り上げて一人嗤う。
(クソマリモ。俺はてめェとは違うぜ)
剣士のように気づかなかったわけではない。認めなかっただけだ。

強姦そのものは無論耐え難い屈辱だが、それよりも何よりも。

 

ゾロだから。

他の誰でもない───ゾロだからこそ、許せなかった……。


 

 

 



あいつらは、もう出航しただろうか。
サンジとの戦いから一日が経過していた。街に入って適当に見つけた安宿の一室。窓から見える空を眺めてゾロはそんな事を考え、いやそれはないかと思い直す。
サンジはともかく、ルフィは納得しない筈だ。
仲間であることを放棄した自分に対して、最も怒るのはルフィだろう。
船長が動き出す前にどこか適当な船にでも乗ってしまわけなければ…。
未練や迷いが湧き出す前に。
ここ数日まともに寝ていないので、どうも頭が覚醒しない。それでいて妙に神経はピリピリしている。
習慣になっている素振りでもしようかと思ったが、安普請なので下の客から苦情が来て追い出されるかもしれなかった。
酒でも飲んで何か腹に入れとくか、と部屋を出て階段を降りていく。
近くにあった店に入るとカウンターに座り、安いツマミと酒を頼んだ。
食に纏わる事は、どうしても思考がサンジに結びつく。
特に食に拘る方では決してなく、腹に入れば毒以外なら何でもいいというようなサンジにしてみれば実に張り合いのない人間なのだが。
例えばこの目の前に置かれたような───料金相応とはいえいかにも質が悪く雑に盛られた、決して美味ではない料理を味わうと、サンジがいかに優れたコックなのか今になってよく分かる気がした。
(まるで餌付けでもされてたみてえだな。…ルフィじゃあるまいし)
特に執心する事はないから、どんな食事でもやってはいける。ただ、時々は思い出すような気がした。あのメシは名前は分からなかったが美味かった、と。
サンジの存在の名残をどこかに見つけようとしている自分がいる。
思い出そうとしている訳ではないのに、サンジの姿が脳裏に現れては消える。
それも反芻するのは、その体のことや無理に抱いた時の記憶よりは、普段のサンジばかりだった。
くるくると変わる表情が、粗暴な口調と態度が。
自分にはあまり向けられることのなかった、おそらくもう見ることのないだろう笑顔が。
(あんなクソコックに…)
胸を焼き、焦がれるなんて。
サンジ当人がそれを知ったら、大笑いするか冷たく拒絶するかのどっちかだろうなとゾロは自嘲めく。自分自身でさえ滑稽だと思う。
だが、知ってしまった自分の心から目を反らすつもりは、ゾロにはなかった。

もう伝える事のない感情だとしても。

…いつかそのうち、消えていく感情だとしても。



「───ゾロ!」
ウソップが店に飛び込んでくるのを、ゾロは現実感なく視界に入れていた。
「やっと見つけた…。散々探しまくったんだぞ!」
走り回ったのか、息を切らしている。どう反応していいものやら、ゾロには分からない。
「何とかしてくれ、ゾロ。サンジが…早くしないと…」
「落ち着け、ウソップ。一体何なんだよ」
店主に水を貰って、ゾロはウソップに飲ませる。ウソップは咳き込みながらも、
「昨日の奴らだ」
「昨日?」
「お前が一緒にいた海賊狩りたちだよ。あいつらがまた…」
あの連中は、まだ諦めなかったのだろうか。しかし、ゾロにはもう関係のないといえば関係ない話だ。
「別にそんなに慌てる必要ねェだろ。あんな奴ら、クソコック一人でも充分片付けられるだろうし…ルフィだって」
「そうじゃねえって!集団で襲ってきたとかなら、そりゃサンジだけでもいいかもしれねェけど。そんな堂々とした奴らじゃねえんだ」
ウソップはぶんぶんと千切れそうな程に首を振る。「あいつら、ゾロを捕まえてるって」
「何だと?」
「助けたきゃある場所に来いって言う手紙が、船に投げ入れられてたんだよ」
ゾロは呆れたように眉を顰めた。
「そんなの信じたのかよ」
「俺もナミもそう言ったさ。罠だ、ゾロがあんな奴らに捕まる訳ないって」
「当たり前だ」
「サンジも分かってるって言ったんだぜ。それなのに…」
手紙を持って船を飛び出してしまったのだという。
「ゾロ、助けに行ってくれよ。昨日の事でサンジが強いのは知ってるだろうから、あいつら絶対卑怯なやり口で狙ってる…!」
「───場所は?」
ゾロは立ち上がってウソップに問い質す。
「地図が載ってたんだ。書いてた名前は覚えてるけど…」
ウソップは名称を言ったが見知った街ではないから、場所が明確でない。と、皿を拭いていた店主が口を挟んだ。
「ちょっと距離はあるが、前の通りをひたすら真っ直ぐ行きゃ大きな倉庫がある。そこの事だ」
「…すまない。けど、あんたらは海賊狩りに街を守ってもらってんじゃないのか」
ゾロが言うと、店主はとんでもないというように肩を竦めた。
「下手な海賊より始末が悪いんだ、奴らは。防衛団気取りで、好き勝手やらかしてる」
「ゾロ、早く!」
ウソップが急かした。ゾロは店主に礼を言うと金を少し多目に置く。
「ウソップ。お前はついてこなくていい。それよりルフィたちにクソコックを迎えに来させろ」
言い捨て、ゾロは駆け出していた。
もう関わりなど持たない筈だったが、仕方がない。
自分のせいで、サンジが身を投じたなどと言われては。
捨てては置けないではないか。
(あの野郎、無事じゃなかったらぶっ殺すからな…)
ゾロは、ひた走る。



back next [TOP]
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送