指先にキスを 11

 

 


「サンジ!」
ルフィが声をかけると、サンジは体勢は変えずに叫んだ。
「ここはいいから、てめェは船でナミさんたちを守っとけ!でないとメシ抜きだ!」
納得したかどうか不明だが、ルフィは甲板へと戻る。
時間が止まったかのように、二人はしばし動かなかった。
サンジが足でジリジリと圧力をかけ、それをゾロが雪走で返そうとする。目を凝らせば、それぞれの足と腕が鬩ぎ合う中で微かに戦慄いているのが分かるだろう。
「───らァ!」
弾かれたように離れ、やや互いの距離を取る。
そしてすぐさま、風を切る空気音がゾロの耳を焼いた。
生じた真空で顔の皮膚が切れるが構わずに下から上に向かって刀を走らせる。サンジは上半身を反らせ、地面に手をつくと開脚し流れるような蹴りを繰り出す。
まともに受け、ゾロの体は海賊狩りたちの立ち並ぶ中へと吹っ飛ばされた。どよめく輩など意に介さず、すぐに立ち上がると鬼徹を抜き雪走と交差させ構える。
「へっ…」
サンジが薄笑いを浮かべる。「二本でいいのか?俺はてめェをぶっ殺したくて堪んねェんだぜ」
「えらく嫌われたもんだな」
ゾロは低く呟く。サンジが口角を歪めた。
「当たり前じゃねェか。てめェ、身に覚えがあり過ぎんだろ」
「体は、もう何ともないのか?」
「てめェ…」
淡々としたゾロの聞き方に、サンジはかえって怒りを煽られたように頬を紅潮させた。「ハッ、今まで気ィ使ってくれてたって訳か。そりゃ、クソありがとうよ。けどな───人より、自分の体の心配しやがれ!」
先刻よりも速さが増した鋭い蹴り。
迷いのない技を次々に仕掛ける。
ひとつひとつの間隔は信じられないほど短い。
バネのように飛び出す黒い線が限界まで標的を蹂躙すべく襲いかかる。
躱したところを狙いすましていたかの如く。
端的に突くような蹴り。
「ぐっ」
腕を蹴られ、ゾロは刀を落とすまいと握り直した。体が揺らぐのを重心を移動させ持ち堪える。
サンジが再び煙草に火を点けた。
「本気出せよ、剣豪さん。それが戦いのマナーってもんだろ…?」
両手をポケットに突っ込み煙を燻らせる。
ゾロは和道一文字の柄を咥えた。少し半身を捻って静かに呼吸を整える。
「龍…」
空気を薙ぐ。「巻き!」
衝撃波でサンジが宙に飛ばされ、高く舞い上げられた。砂埃が舞い、その場にいた者たちの視界を濁らせる。
落下してきた黒い塊を迎え撃つ為にゾロは刀を構え直す。
───まだ終わりではない。
サンジの体は空中で反転し、踵が獣の咆哮のような唸りをあげ振り下ろされる。
真っ向から受け止めては、いくらゾロでも無事には済まない。骨ぐらいは多少犠牲にしなくてはならないだろう。だがゾロは避けなかった。
肩に強い打撃、渾身が重く痺れる。
サンジが着地して、スーツの埃を払った。
「モロに食らいやがって、アホ。なまってんじゃねェのか」
「うるせェ」
刀身を滑らせれば、サンジの服を裂き皮膚を浅く斬り血の匂いが微かにした。だがそれは自分のこめかみから流れ伝うものからなのかも知れず、判別はつき難い。
休みなく、容赦なく蹴りが放たれる。
腹に背中に腰に。
テンポの速い攻撃ペースに、後手後手に回りながらもゾロは刀を払う。サンジが避ける。しなやかに弧を描き向かってくる右足。ゾロは手早く刀を収めるとその足を抱え、もつれるようにして倒れ込んだ。
コックの胸板に乗ると、今一度雪走を抜きピタとサンジの首筋に冷たい刃を当てる。
「すっかりフヌケになっちまったかと思ったけど、そうでもなかったか」
サンジは、あくまでも不敵に嗤笑した。「さっきのも避けようと思ったら避けられたんだろ」
「……」
ゾロか口を開こうとする前に、サンジは続ける。
「ナメやがって。俺に同情するなんざ、結構なご身分だなァオイ」
「そんなんじゃねえ」
「強姦した元仲間を海軍に突き出すか。さぞご立派な大剣豪になるんだろうよ、てめェは」
「黙れ…!」
「俺を黙らせんのは、簡単だろ。ちょっと力入れりゃいいんだからな」
確かにこの戦闘の優劣は明らかだった。既に決着はついたと言っていい。少しゾロが手を押しやれば、サンジの喉に刃が喰い込むだろう。
優位に立っているのはゾロだ。しかし追い詰められているのも余裕がないのもまた、ゾロの方だった。
険しい表情で、砂と血が塗れたサンジの顔をじっと見据える。その視線を鏡のように返す、底光りするサンジの眼。
例えこの場で殺したとしてもこの男に勝ったことにはならない、とゾロは感じた。
身を退かせサンジに背中を向ける。
ゆっくりとサンジが立ち上がった。
「…てめェは何にも分かっちゃいねェんだ」
消えてしまった煙草を忌々し気に投げ捨てる。「俺の気持ちも、自分の気持ちも」
ゾロはサンジの言葉を聞き咎めて振り返った。
「何が言いたい」
「ちったァ物考えろって言ってんだよ。その足りねェ頭でな」
ツンツンと自分の頭を指差して見せるサンジを、ゾロは睨む。
「足りねェは余計だ。俺は俺なりに考えた。だいたい、やっちまった事はもうどうしようもねェだろうが」
「考えた割にゃえらくお粗末な結論だな。ケチな賞金稼ぎに雇われて、俺達を捉えに来るなんてよ」
「…ただの偶然だ。金借りちまったから仕方なくついてきた。この船に来るなんて知るか」
ゾロが開き直って言うと、サンジがやりきれなさに溜息をついた。
「あーあー、そうだろうな。で、やっちまってから初めてどうしようかって思うんだろ。てめェはいっつもそうだ。このクソ原始人が」舌打ちをする。「アホらしくて、付き合ってらんねェよ」
サンジはポケットから黒のバンダナを出し、ゾロへと差し出した。
「ほらよ。もう返す機会もなさそうだしな」
ゾロは何も言わずに腕を伸ばす。
薄皮が張った手の傷に触れた。
サンジの手に、見ようによっては優しく触れたのはほんの何秒かだっただろうか。
その短い時間で、ゾロは唐突に悟った気がした。

本当なら、ここから始めるべきだったのではないかと。


体を強引に繋げる前に、どうしようもなく自分を追い詰めてしまう前に、気づけなかった。
それ故に、何もかもが狂ってしまった。
(今更だ)
ゾロはこみ上げる苦さを噛みしめ、乱暴にバンダナを毟り取った。 サンジが俯いたのを見て───刹那、後悔する。
根拠はないが、サンジはゾロが何か言うのを待っていたのかもしれないと、ふと思ったから。

何故、その手を離してしまったのだろう。

詮無い想いが胸を走る。
それこそ考えても仕方ないこと。もう何もかも遅いのに。遅過ぎるのに。
心さえ近づけないのなら…。せめて、体だけでも。

無自覚でも、それを行ったのがそもそも間違いだったのだ。


「皆に謝っといてくれ」
ゾロはバンダナを普段通りに左の上腕へ手早く巻いてサンジに言うと、コックはフンと鼻を鳴らした。
「一番謝らなきゃならねェ人間がいるんじゃねェのかよ」
「…謝ってほしいか」
もちろん、それで済むわけがないのは分かっていて尋ねる。サンジは首を振った。
「いいや。てめェだって、許してほしいとか思ってねェんだろ?」
ゾロは小さく頷くと、街へと歩き出した。
当然のことながら、海賊狩りたちが追いかけてくる。
「おい!待ちやがれ、ロロノア」
「何だ」
言いながら、ゾロは見向きもせず歩調も緩めない。
「貴様は俺に雇われたんだぞ!責任持って仕事をしてもらわねえと困るな」
大男が前に回って、立ち塞がる。
「たかだか数千ベリーだぜ。それくらいの働きはしたつもりだ」
「あの海賊一人も仕留められなかったのに偉そうに言いやがって。いくらお前が強くても、さっきの戦いで疲れてるだろう。そんなんで俺たち全員を相手にできるとでも思ってんのか」
「試してみるか?」
チキ、と鍔を鳴らしてゾロは大男をじろりと見遣る。そして、敏速な動きで刀を抜き一瞬のうちに男の前髪と出っ張った腹のベルトを斬った。
「うわっ!」
大男が慌ててズボンを押えた。
「次はその腹の脂肪も削いでやってもいいぜ」
羞恥と驚きと侮辱で赤くなったり青くなったりしている男を尻目に、ゾロは街へ入った。
───すべてが、どうにもならない。



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