指先にキスを 13

 

 

石畳を駆けていくと、通りはどんどん狭くなっていった。かなり走ったような気はするが、ごちゃごちゃと小さな店が並んでいるばかりで倉庫らしきものは見えてこない。
いくら何でも、今回ばかりは方向は間違ってはいない筈だが…。
(あのコックにゃ、まったく手を焼かされる)
サンジはゾロが捕まっているなどというのは罠だと分かっていながらも、万が一という可能性を否定しきれなかったのだろう。
(アホが。俺の事なんか、放っとけよ…!)
走りながら、サンジを心中で罵り続ける。
ゾロを受け入れる訳でもないのに、許したりするつもりもないのに、何故危険だと分かっている中に身を投じようとするのか。
残酷だ。
そんなのは、ひどく残酷だ。
だが、この上なくサンジらしい行動のような気も、した。
流石に少し息が切れスピードが落ちてきた頃、遠方にドーム型をした建物が目に入る。
もう陽が暮れ始めており、見通しがかなり利き難かったが…。
細い、黒い影が。
こちらに向かってくる。
見紛う由もない、サンジだ。
ゾロは全身の力が抜けていくような思いがした。
サンジはのんびりとゾロの方へ歩いてくる。
いつものようにズボンのポケットに手を突っ込み、かつん、かつんと革靴を鳴らして。
取り立てて急ぐでもなく、まるで散歩でもしていて、たまたま知り合いの顔を見かけて近づいてきたという風に。
「よう」
咥え煙草のサンジは、普段と何ら変わりのない様態だった。
怪我どころか、黒いスーツはチリ一つついていないし、髪も乱れていない。
「お前…海賊狩りとかは、どうした」
ゾロが不審そうに聞くと、サンジは人の悪い笑みを浮かべた。
「本気にしたのか、てめェ」
「───何だって?」
「ウソップの嘘は超一流だな。ま、引っかかる方も引っかかる方だけどよ」
サンジは煙を細く吐き、「マジで俺がてめェなんかを助けに行くと思ったのか?自惚れてんじゃねえって」
ゾロはサンジが言い終えるのを待たず、その頬を平手で打った。
反動でサンジが上半身を仰け反らせる。
「ふざけんなこのクソコック!」
コックの身には何もなかったのだという安堵と共に、抑えようのない怒りが込み上げてきた。
「何だって、こんなつまらねえ企みしやがったんだ」
「しょうがねェだろ?ナミさんもルフィも口を揃えて、てめェを置いていく訳にゃいかないって言うし」
サンジは逐一説明するように、「けど、てめェがすんなり戻る訳ねェしな。一芝居打ってみようかと思ってよ…ウソップの演技も上等だったみてェだな」
「芝居、だと」
「てめェ、息切らしてんじゃん。そんなに必死だったのか」
冷やかすかの如くサンジが眉を上げた。「俺が気になって気になってしかたねェんだろ。そんなんで船降りるなんて、よく言ったもんだぜ。そろそろ観念して戻ったらどうだ?てめェの負けはもうミエミエなんだからよ」
「…冗談じゃねえぞ」
ゾロは震える手をぐっと握り締め、もう一度サンジの頬を殴る。
「人を馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ!俺が…どれだけ…っ!!」
口惜しさと胸苦しさの余り言葉にならない。
サンジはプッ、と煙草と共に血の混じった唾を吐き捨てた。
「おー痛ェ。馬鹿力め」
コックを辛そうに睨んでいたゾロは、ふっと目を叛ける。
「───てめェに振り回されんのは、もう懲り懲りだ」
「じゃ、どこへでも行っちまえよ」
「言われるまでもねえさ」
押し出すように言い、ゾロはサンジに背を向けた。それとほぼ同時にドッ、と鈍い音。
振り向くとサンジが地面に倒れている。
「…何してんだ、お前」
「ちょっと躓いただけだ」
サンジは緩慢な動作で立ち上がったが、すぐにふらついた。ゾロは反射的にその体を支える。
薄暗いので気がつかなかったが、間近で見るとコックの顔色は蒼白だった。
「触んな、エロ剣士」
「お前───」
サンジの腹の辺りにぬるりとした感触。血だ、と分かった。「どういう事だ、これ」
「…別に」
「とにかく、船まで連れてってやる」
サンジは呆れ口調で、
「バッカ、俺が連れてってやるんだよ。方向音痴に任せてたら戻る前に、俺は血が出すぎて死ぬっつーの」
「口の減らない野郎だな」
「てめェは喋らなさ過ぎだ。物事ってのは、口に出して言わなきゃ通じない事も山ほどあるんだぜ?」
「話は後だ。血が止まらなくなるぞ、黙っとけ」
ゾロが言いながら、サンジの体を担ぎ上げた。
来た道を足早に戻っていく。何時の間にやら、サンジは意識を飛ばしているようだった。
おそらく、ずっと気を張っていたのだろう。
倒れたりしないように、怪我をしてることなど微塵も感じさせないようにと。
先刻の店の前まで来たところで、クルーの皆が走ってくるのに行き会った。
「ゾロ!」
「サンジくん…大丈夫なの?」
「気ィ失ってるだけだ」
ゾロは短く言い、歩調は緩めない。
「まったく、もう…。サンジくんが飛び出したからどうなるかと思ったけど。まあ、結果的にはあんたを連れてきたんだし、良かったのかしらね。とりあえず帰りましょ」
ナミがブツブツと言いながら、ビビの背中を押しつつ先頭をきって歩いた。
(海賊狩りの話は、本当だったのか…)
ゾロはぐったりしているサンジを横目で一瞥する。この男の行動はさっぱり不明瞭だ。
「ゾロ」
横にルフィが並んだ。「船に戻るんだよな?」
「まあ、とりあえずはな」
「そっか」
すでに夜になっていて街灯が仄明るく船長の笑顔を照らしている。
「───ルフィ。このアホコックは、何考えてんだろうな」
「ええ?そんなの知らねェよ」
ルフィは口をちょっと尖らせ。「でもな、サンジは人の事ばっか気にしてるんだ」
「…ああ。かもな」
ゾロは、ずり落ちそうになるコックの体を抱え直した。

 

船に戻り、男部屋のソファでナミがサンジの手当てをする。
サンジの腹には銃創ができていた。弾は残っていないし、出血は多いものの命に関わるような怪我ではないだろうが。
腹が減ったと騒ぎ出した船長に夕食を作ってやる為に、ナミは部屋を出る。
何があったか知らないけど喧嘩はしばらく駄目よ、とゾロに言い残して。
ゾロは血の気の失せた顔をしているサンジの傍らに立っていた。
分からない。理解できない。この男のことは、本当に。
「ん…」
微かに身じろぎをして、サンジが瞼を震わせ目を開けた。
ゾロの姿を認め、起き上がろうとする。
「寝とけ。傷口が開くぞ」
「うるせェ。こんなの掠り傷だ」
サンジは苦悶の表情で半身を起こした。ゾロは仕方なくそれを補助してやりながら、
「海賊狩りの奴ら、てめェ一人で片付けたのか」
「…当然だろ。あんな雑魚ども、何てことねェ。ま、最後でちっと油断したけどな…」
サンジは面白くもなさそうに、ポツリポツリと言葉を紡いだ。
「芝居だったなんて嘘ついて。撃たれてる事も、何で黙ってた?」
ゾロが両膝をつきソファに凭れているコックに向き合う。
「弱味なんか見せたかねェんだよ。てめェだけにはな」
サンジは大袈裟に肩をそびやかした。「それに───てめェの為に飛んでったなんて、言えるかよ」
「……」
「ああほら」
ゾロの表情が変わるのを見てサンジはうんざりした様子で、首を振った。「お前はクソ単純だから、そんな風に期待すんだろうが。気持ちが鈍るだろうが。折角、離れる決心したのによ」
「何でだ」
「てめェの為にならねェだろ。甘えとか弱さとか…邪魔になる時もあるぜ?俺は…お前の重荷になるのだけは、嫌だ」
サンジはちょっと目を伏せる。が、すぐに顔を上げて。「てめェはそういう事、考えもしねェんだろうけどな」
「まあ…確かにな」
「考えなしに、恥も外聞もなく形振り構わず食らいついてきやがって、その癖肝心な事は言わねェ。最低最悪な男だよ」
「滅茶苦茶言いやがって───」
「けど、もう、諦めた」
あァ?何がだと眉をしかめるその胸倉をぐいと掴んで、サンジは乱暴にゾロへと接吻けた。
ゾロは驚いて目を見開く。
ゾロからは何度かした行為。
サンジの方から初めて、意思を持って。
最初は噛みつくように、そして唇を舐め、舌を絡める。
開始と同様に唐突に離れるサンジの唇。
ゾロはサンジを軽く咎めた。
「ったくてめェは…。怪我人なんだから大人しくしてろ、アホ」
「アホにアホなんて言われたくねえ。それに俺ァな、こんな怪我なんか全っ然平気なんだよ」
サンジは左手をゾロの目の前に突き出す。
「この、どこぞのクソマリモがつけた傷の方が…よっぽど俺には、応えたんだぜ」
語尾が僅かに震えていた。ゾロはやや間を置いて、
「───悪かった」
「謝っても許さねェって言ったろ?どうしても償いたきゃ、それなりに覚悟決めろ」
「覚悟って何だ」
ゾロの問いに、サンジはにやりと笑ってみせ。
「…白状しな、俺にメロメロだって。好きで好きで堪らねェって。したら、一生かけてでも落とし前つけさせてやるからよ」ゾロは、深々と溜息をつく。

──ああ。
自分は、何て。
何て男に、心を奪われてしまったのだろう。
我侭で不遜で馬鹿で、残酷なまでに優しい。
何てとんでもない男に……惚れてしまったのだろう…。
もう。離れられそうにない。
…離しはしない。

「言ってやってもいいけどな、クソコック。覚悟決めんのは、てめェの方だぜ」
ゾロがサンジをじっと見詰めると、サンジも目線は反らさず口角を上げた。
「ケッ、上等だ」
ゾロは、どこまでも憎らしくて愛しいサンジの左手を取る。
そして、誓いの儀式のようにそっと。

指先に、キスを。



-fin-

02.2.27完結



back [TOP]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送