指先にキスを 10

 


サンジは、雨がぱらつく通りをウロウロしていたウソップを見つけて共にゴーイングメリー号に戻った。
ナミは意外そうだった。ゾロはどうしたの、と聞く。
「ゴメン、ナミさん。見つからなかった。…もう昼になるし、メシ作ろうと思ってとりあえず帰って来たんだ」
言い訳がましく聞こえたかな、とチラリと航海士を見る。ナミはやや首を傾けたものの、
「…そう」
と頷いて、キッチンへと入っていくサンジを引き止めはしなかった。
サンジはポケットに突っ込んでいた両手を出し、タオルを鷲掴むと濡れた髪をガシガシと擦った。
作り置きのトマトソースやチーズ、スープの入った容器などを冷蔵庫から出す。
チーズをまな板の上に置き、包丁を持ったところで手にどうしても目線が行く。
左手の。
ゾロの黒いバンダナ。
いい加減取らなければ、ナミなどが見た時に勘繰られるだろう。
傷をつけた剣士によって固く結ばれたそれは、ちょっと引っ張ったくらいではびくともしない。
ハサミで切ってしまおうかと思いながらも、サンジは数分かかって結び目を解いた。
注意深く外したが、傷口に張りついていた部分をピッと剥がすと再び血が滲む。
手の平から薬指にかけて走る細い線。
真皮に達する程ではない。
抵抗するサンジに手を斬られたというショックを与えるだけの目的だったのだろうし、それ以上でもそれ以下でもない傷。意識したのかそうでないのかは定かでないが、ゾロの腕は確かだった。
戸棚から救急箱を取り出すと、傷口にガーゼを当ててグルリと手の甲に包帯を巻く。片手だけではどうにも巻きにくかったが、ナミなどにやってもらうわけにもいかない。薬指の傷はまだ浅かったから、消毒して放っておくことにする。指に何かを巻くと、料理などがしにくくて仕方ないからだ。
「サンジ、昼メシできたか?」
ルフィがバタンと扉を開けて入ってきた。
サンジは咄嗟にテーブルに置いていたバンダナをズボンのポケットにしまう。
「…俺は今帰ってきたばっかりなんだぞ。ちょっと待て」
言いながら、野菜を洗った。傷にしみる。
「ナミがさあ」
ルフィは椅子に座って足をブラブラさせながら言った。「サンジの様子が変だって言ってた」
やっぱり不自然だったか、と苦笑いする。目敏い航海士を誤魔化すのは至難の業だ。
「で、お前が様子見に来たか?ナミさんがそんな事頼むとは思えねェが」
「俺は腹減ったし」
「結局それかよ」
ルフィに不向きな偵察役など聡明なナミが頼む由もなかったが、サンジは半ば気抜けしたような心持ちで料理を再開した。出来上がりを待ちながら、目の前に置かれたスティックサラダをかじっているルフィ。物が口に入っている時は静かだ。
サンジはパスタにチーズを散らして、人参のポタージュを暖めた。
皿を並べていきながら、つい習慣でゾロの分まで用意しかけて必要ないと気づく。
「ルフィ」
呼びかけると、船長は口中をサラミやらセロリやらで一杯にしながらもコックを見た。
「───クソ剣士が、このまま船に戻らなかったらどうする?」
「べっばぎべでご」
「全部飲み込んでから喋れ」
サンジが溜息をついて煙草を咥えると火を点ける。ルフィは咀嚼の為に口をしばらくモゴモゴさせていたが、やがて胃へ全て送り込んでから言った。
「絶対ねェよ」
「あん?」
「ゾロが船に戻らないなんて事、絶対にねェ」
断言する船長にサンジは無表情のまま。
「物事に絶対、ってのはないんだぜ、ルフィ。何が起こるかなんて分からねェ。海賊なんかやってたら特にな。それに俺が聞いたのは、もしどうしてもアイツが船を降りるって言ったらどうすんのかってことだ」
「嫌だ。許さねェ」
「…だろうな」
分かりきっていたような答だった。「一緒になって大剣豪だの海賊王だの目指してるんだもんな。んで、人の迷惑なんか顧みず突っ走るんだ。アホだアホ」
ルフィとゾロは語り合わなくてもどこか通じるものがあるようにサンジは思っていた。シンプルな思考や直情的な行動など、共通点が多いせいかもしれない。
「似た者同士だよ、お前らは。俺にゃ到底理解できないね」
独白めいたサンジの言葉を聞いているのかいないのか、ルフィは再びサラダに手を伸ばす。
そしてポリポリと胡瓜をかじりつつ、
「サンジの言ってる事、よく分かんねェよ」
「そりゃ、人種と頭の差だな」
「分かんねェけど、何かゾロの事すごく気にしてんだってのは分かる」
ルフィにそう言われ、サンジは眉をしかめた。
「気色悪ィこと言うな。俺が気にするのは、レディと料理だけなんだよ」
「なくなった」
「男で、しかもあんなクソ野郎を気にしてやるほど俺はお人好しじゃねェぞ。…何だって?」
「これ、なくなった。お代わり」
ルフィがサラダの入っていた大きなガラス容器を差し出した。サンジは既に出来上がっていた料理のことを思い出し、皿にパスタを移していく。煮詰まり気味のポタージュに舌打ちをしながら、それぞれのカップに注いだ。
ナミとビビ、そしてついでにウソップにも声をかけて賄いをしながら。
あの無口な剣士が居ないだけで、いつもの空間はだいぶ違った雰囲気になると感じた。
昼食が済み、サンジは後片付けをする。洗い物ひとつにしても手に神経がいくのがサンジの仕事だ。鬱陶しい所に傷をつけやがってと歯噛みする。
ルフィは時に鋭い。子供のように、いや子供だからこそか。
確かにサンジはゾロを気にしていた。
あんな事があって、気にせずに構えていられるほどサンジは図太くない。
懸念しているというのとはまた違うと自分に言う。
ゾロの、サンジに言わせれば馬鹿げた行動と考えのなさに呆れているだけだ。
(俺が受け入れる筈がねえと思ったんだろうけどよ…)
実際今だって、男同士での交情など冗談ではない。
(だからって強姦ってのはあんまりだろうがよ)
最も怒りを覚えるのは。
まるでサンジの意思を汲取らない、一方的な熱のぶつけ方。
しかもそれを本人は自覚していないのだ。始末が悪い。
(挙句に船降りると来やがった)
謝って済む問題じゃないから、もう近づかない方が良い、だから船を降りる。
短絡思考に苛々させられるし、苛つく自分にも気分が滅入る。
互いに感じているのかもしれないが。ゾロがそうであるように、剣士のやり方はサンジには真似できない。
ゾロは防御さえ攻撃だし、サンジは攻撃して防御する。頂点を目指すゾロは、守るために戦い生きるサンジとは違う。 どこか似ているようで見事に相違していた。型の違いであって、どちらが良いとは結論の出ないものだったが…。
自分にはできない剣士の考え方や行動はある意味、羨ましいような気さえした。
ゾロへの怒りだけでなく犯された悔しさや隙を見せた自分への腹立たしさなども相俟って、サンジの中で渦巻く。
まず一番先に立っていても良い筈の、男に抱かれた嫌悪感は後回しになっていた。
そんな事はどうでもいいから、あの剣士に何とか己の馬鹿さ加減を分からせてやりたい。
そこまで考えて、サンジはグラスを持ったまま動作を止めた。
(どうでもいいって事ァねえだろ)
それでは何だか、抱かれたことじたいは然程大きな問題ではないかのようだ。精神的にも肉体的にもあんなにダメージを与えられたのに。

手の傷が疼いた。



───いつのまにか雨は上がっている。
サンジが甲板に出ようとすると、ちょうど勢い良く走ってきたウソップと突き当たりそうになった。
「サンジ!」
「何慌ててんだ」
「今、海賊狩りだっていう奴らが攻めてきて…」
「ルフィは?」
サンジはネクタイを緩めると、上着を脱いだ。
「とりあえず数人ぶっ飛ばしたけど、それだけじゃないんだって!」
ウソップの混乱した声は最後まで聞かずに甲板へ走り出たサンジは、船から飛び降りた。
「サンジ」
ルフィが腕を振り回しながら、コックを振り返った。船長は珍しく真面目な顔をしている。
戦闘が心配な訳ではないのはサンジにも判断できた。
ずらりと並んだ人相の良くない男たち。体も相応には鍛えてあるのだろう、筋肉質な輩が多かったが、その中に見慣れた男の姿がある。
「…これはこれは」
サンジは紫煙を燻らせ、皮肉な口調で言った。「商売替えか?いや、元に戻っただけか」
ゾロは、端然と立っている。と、横にいたリーダーらしい大男ががなった。
「何だ、貴様ら。知り合いか。腕の立つ剣士だと紹介されたんだがなあ…。おい、ロロノアだったな。まさか寝返ったりはしねえだろうな」
「…金借りちまったからな、それぐらいは働く」
ゾロはボソリと言い、一歩進み出た。ルフィが叫ぶ。
「ゾロ!説明しろ。何でそんな奴らと一緒に居るんだ!」
「どけ、ルフィ」
サンジは飛び出そうとするルフィの腕を引っ張ると後ろへ追いやった。「どうあれ、こいつらは俺たちの首を取りに来たんだろ。こんな奴ら、船長が出るまでもねェ」
「こんな生っ白い兄ちゃんが、俺らとやりあおうってのか?」
大男の台詞に、海賊狩り達がゲラゲラ笑った。
「てめェが来いよ、クソ剣士」
サンジは大男など無視してゾロに向き直る。「ぶっ殺す正当な理由を作ってくれて、ありがたいぜ?」
ゾロがピクリと眉を上げ、黙って雪走を抜いた。
「一本で俺に勝てるとでも思ってんのかよ」
トントン、と革靴でリズムを取るように地面を叩き、煙草を投げ捨てる。「ナメんじゃねえ!」
サンジは言いざまゾロの腕を狙って蹴りつけ、剣士が刀の峯で受け止める。
二人の瞳は、戦う男の色になっていた。

 


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