指先にキスを 9

 

 

後悔してもしきれない。

薄暗い通りに出たゾロは、娼婦が声をかけるのを憚られるような厳しい顔つきで歩く。
サンジを犯した建物から大分離れたかという辺りで、少し歩調を緩めた。
雨がきつく降りだしており凌げそうな場所はというと酒場くらいしか思いつかない。目についた薄暗い店に入って、安酒を注文する。
店じたいはガラガラだったので、びしょ濡れの剣士も然程嫌な顔はされなかった。
テーブルに置かれたグラスを一気に空け、だん、と乱暴に置く。
代わりを頼み、何杯も続けざまに浴びるように飲んだ。
「何でだ…」
唸り声に近い独言がこぼれる。
あそこまで、自分が抑えられないなんて。
劣情を解消したいなら、女を待てば良かったのに待てなかった。
都合が良いかもしれないが、サンジにだって一因はあると思い込もうとする。
覚醒させてしまったのは、コックなのだからと。 例え自覚がなくとも、ゾロを最初に煽ったのはサンジなのだ。
しかしそれほど、あのコックを抱きたかったというのは自分でもショックだったし、受容し兼ねた。いつのまに自分は男色家になってしまったのか。
そして何よりも、腑に落ちないのは…。
ああまでして抱いたのに、やっとサンジを抱けたのに、辛くて仕方ないこと。
あの体だけが欲しかったのなら、強姦とはいえ抱くことでコックにも言われたように"満足"していても良い筈である。
なのに、野獣のように突き入れた瞬間もひどく切なかった。
確かにサンジの体そのものは堪らなく扇情的で、女とは違った狭くてきつい内壁はゾロ自身を引きずり込み離さないような魅力を持っていたけれど。
体を穿ちその感覚も伴っているのに、サンジそのものは遠かった。実際には手に入ってないのだと思い知らされる。
だから、快楽を強く感じれば感じるほど辛さも倍増した。
サンジの苦痛をこらえる表情は直視できなかった。
哀れに思ったわけではない。同情などはコック当人が一番拒むだろうと分かっている。
何度も自分に問いかけた。
こんなことがしたかったのか?
コックの大切な手を斬って、今までの関係を断ち切ってまで、そんなにまでして。
抵抗されて支配欲を煽られた訳じゃない。手酷い扱いなんか、したくてしたんじゃない。
ただ合意など得られる訳がなかったから。
だから力づくで犯すしかなかった。もう後戻りはできないからしょうがないんだと、理性の飛んだ頭のどこかで思ったのを覚えている。
止まらないのは、体よりも気持ちだった。
(もう、船には戻らないほうがいいな)
ぼんやり考える。
非道な振舞いをした罪悪感は勿論あるが、二度としないとは誓えない。情けないことに、保証ができないのだ。こんな思いは初めてだった。
それにサンジだって、自分の顔などもう見たくないと考えているだろう。
プライドの高い男だから強姦された事を許す筈がないし、きっとゾロを見下げ果てているに違いない。
だったらもうお互いの為に近づかない方がいい。
ルフィと出会うまではずっと一人で旅をしてきていたし、それに関しての心配や懸念はあまりなかった。
「あんた、えらく飲んでるけど払いは大丈夫なんだろうね」
店主に言われ、ゾロははっとした。
そう言えば、先刻ホテルを世話していた小男に持っているだけの金を渡してしまったのだ。
「───これで足りるかい」
後ろから差し出された何枚かの紙幣に、ゾロは振り返った。人の顔を覚えるのは苦手だが、つい夕方に酒場で会った中年男だというのに気づく。
「いや、また会えて良かったよ。ガラス越しに覗いて、ちょうどあんたを見かけたから」
男は、嬉しそうにゾロの背中を軽く叩いた。
「…奢ってもらう理由はないぜ」
「奢るなんてつもりはない。貸しだな、いわば。文無しじゃ色々と困るだろう」
男は更に数千ベリーかを取り出す。「夕方にも言ったが…。金に困ってんなら、仕事する気はないかい?」
ゾロは手に押し付けられた紙幣をしばらく眺めていた。

 

「帰ってない?」
サンジの言葉に、ナミは腕組みをして頷く。
真夜中から暴風雨が港町を襲ったが、朝になってようやく雨も止み風は穏やかになってきている。一睡もせずゴーイングメリー号へ戻ってきたサンジに、ナミはゾロがまだ帰っていないことを伝えた。
「困っちゃうわね、ホントに。どっかで迷子にでもなってんのかしら」
トラブルメーカーのルフィでさえ珍しくちゃんと戻ってきてるのに、とナミは顰めっ面である。
「…サンジくん、探しに行ってくれない?ウソップも一緒に」
ゾロには会いたくもなかったが、女性の頼みを断れるコックではない。
「了解、ナミさん」
そう言って、横にいるビビにも安心させるために軽く微笑む。
ウソップと街へ入ったが、狭くはない街中だしとりあえず手分けして探そうということになった。
ただ帰路を間違えただけかもしれないが、昨夜のことを考えるとそうとも限らないという気がサンジにはしていた。
合わせる顔がないから、戻ってこないのではないだろうかと。
普通なら、同じ船に乗る仲間に暴行を加えて何事もなかったような顔をしていられる方がおかしい。
手分けしようなどとウソップには言ったが、迷ってないのだとすればゾロが居そうな場所はだいたい見当がつく。明るいうちから営業している数件の酒場を巡ってみて、小さな店の片隅でぼんやり酒を飲んでいる剣士の姿を認めた時には、ほらなと内心呟いた。
「───おい」
サンジが声をかけると、明らかにゾロは驚いていた。「何やってんだ、てめェは」
「…お前こそ、何だ」
「ご挨拶じゃねェか。てめェを迎えに来てやった、この心優しいコックさんによ」
傍に立ったまま、サンジはゾロを見下ろした。
「迎えに?」
「ウソップも、多分その辺をウロウロしてっだろ。てめェが迷子になってるんじゃねェかって」
煙草に火を点けてフーと煙を店の天井に向かって吐き、それから再びゾロに視線を落とす。「俺ァてめェのツラなんざ見たくもなかったが、ナミさんの仰せだから探しに来たって訳だ。さ、帰るぜ」
ゾロは首を振る。
「俺は、船に戻らねェよ」
「あァ?」
サンジの額に筋が浮いた。「…ふざけた事抜かしてんじゃねェぞ」
「ふざけてなんかねえ」
ぼそっと言い酒を呷るゾロに、サンジは苛々とゾロの座っていた席のテーブルを蹴飛ばした。
「物は考えてから喋れって、前から言ってんだろうが!」
上に乗っていたナプキンや砂糖などが床に散乱する。店内の客が何事かとざわついた。
「てめェが戻らなかったら、船出せなくてナミさんもビビちゃんもどんなに迷惑か分かって言ってんのかよ?」
「俺を置いていけばいいだろ」
「だからてめェはアホだってんだ。いきなりそんな勝手言い出して、ルフィが承知する訳ねえじゃねェか」
「じゃあ、お前はどうなんだ」
ゾロは立ち上がると、言葉を吐き出す。「ナミとかビビとかルフィとか、他人の事ばっかり言ってんじゃねえ。俺の顔なんか見たくねェんだろ!てめェは、俺がまた船に乗り込んでもいいのかよ」
「俺のため、とでも言ってるつもりか?」
サンジは斜にゾロを睨みつけた。「思い上がんのもいい加減にしやがれ。てめェは自分を大事にしてえだけなんだよ。あんな事したから、俺に引け目を感じんのが嫌なだけじゃねェか」
「俺はっ…!」
焦れたようにサンジの両肩を強く掴む。だが、思いは言葉にならない。
まただ、とサンジは思った。ゾロは、また昨夜の顔をしている。
「───俺だって、てめェを引き摺ってまで連れ戻す気はねェけどよ」
サンジは目を逸らし、ゾロの手から逃れた。
「けど、船下りてどうする。大剣豪になる夢はどうすんだよ」
「それは、諦める気なんかねえ」
ゾロは打って変わって静かな口調になった。「確かにお前の言う通りだ。俺は自分の事しか考えられねェよ。他人大事なてめェとは違ってな…自分の為に生きるだけだ」
「分かった。もういい」
サンジは踵を返して、店を出た。
何を言っても駄目だと思った。それに、冷静に話すことなんかできない。
昨夜の悔しさや怒りはまだサンジの中で燻っている。
ただ。
乱暴に抱かれてる最中、自分の欲望を果たしたいだけにしてはおかしいと何度か怪訝に感じたことがある。
最初はサンジのその部分を解しようとしたり、実際に突き立ててからもサンジ自身を愛撫したり、最後の接吻けと抱擁はさながら恋人たちのセックスの如く。性行為をスムーズにする為だったのかもしれないが、すべてが済んでからの、まるで自分が痛めつけられたかのようなあの顔。
優しさや気遣いなど無意味どころか、かえってサンジにとっては酷い仕打ちなのに。
あの剣士は、そんなことは理解できないのだろう。

自分の心理にさえ疎い男が、他人のそれになど気が回るわけがない。
そう、自分の想いにも気づいていなかったのではないか。
何故、ちゃんと伝えられなかったのか。
情欲だけで抱きたいのではない事を。

勿論最初からそれが分かったとしてもサンジとて、素直に受け入れるかどうかは不明だが。少なくとも不必要に傷つけ合うことはなかっただろう。
(馬鹿だ馬鹿だとは思っちゃいたが)
(本物の馬鹿だな)

馬鹿なうえに。
どうしようもなく融通がきかない、どこまでも真っ直ぐな。
救いようのないほど…不器用な男。

(最悪どころじゃなかったぜ)
サンジは顔に当たる水滴を拭い、足早に歩き出した。

───また雨が降る。





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