指先にキスを 7

 


「───オイ、降ってきたぞ。早くしろよ。折角買った火薬が湿気っちまう」
賑わっている市場で買い物していると、ぽつりぽつりと顔に当たる水滴がある。両手一杯に紙袋を持たされたウソップがぼやいた。サンジは不満げに、
「まだ足りねェってのに。じゃあ、お前先に帰ってろよ。ああ、これもついでにな」
荷物をもう一つ押し付けられたがウソップは袋が濡れるのが気になるらしく、嫌な顔はしたもののそのまま船への帰途へ着いた。
「…こんなもんか」
出店のちょっと綺麗な売り子に愛想を振りまいてちゃっかり負けてもらったりもした。女性と話しだすと長くなってしまうのもあり、だいたい買い物が済んだ頃にはすっかり雨は本調子だったが。
袋を片手に、サンジは軒下で煙草を咥えた。嵐が来るとナミは言ってたから、酷くなりはしても止むのは期待できないかなと思う。
「兄さん、宿をお探しかい?」
背後からの声に振り向くと、40前後の小男が立っている。
「…いや、別に」
「そうかい。惜しいねえ、今ならちょうどいい部屋があるんだが。しかも別嬪さんのお持成しつきだよ」
「何だ、客引きか」
サンジが納得した様子に、男は下卑て笑う。
「そう言われちゃ身も蓋もないがね。兄さんみたいな若い客なら安くしとくよ、どうだい?場所もすぐそこなんだ。ウチの女の子達は上玉揃いだよ」
男が指差した通りに、ゾロの姿を認めてサンジは眉を上げた。
そして、小男に視線を戻す。
「もう一人客増えても構わないか?」
「ああ、そりゃあ。この天気じゃ客足もつかなくてね」
小男が頷くのを尻目にサンジは小走りにゾロへ近づいた…。




街へ足を踏み入れたゾロは、とりあえずとばかりに酒場へと入った。
酒を飲む場所というのは、その土地の雰囲気を知るには適していることが多い。色んな話が飛び交い、活気故に話が大きくなりがちな嫌いはあるが。
酒だけを味わうなら一人を好むゾロであるが心が何となく落ち着かない今は、顔も知らない他人が大勢いる中で飲む方がいいような気がした。
だが別段誰と打ち解けるわけでもなく、黙々と一人杯を傾ける剣士の様子は人目を引く。
鍛えられた体つき、鋭い端整な面立ち、腰が据わった雰囲気、何一つ取っても存在感が余り有るのだ。
男も女も、この見慣れない剣士はどこの誰だろうかとチラチラと眺めている。
そして中には声をかける者もいて。
「───強そうだねえ、あんた」
ゾロの座っている席の隣に腰掛けた中年男が、値踏みするが如く剣士を見て言う。ゾロは答えなかった。見ず知らずの人間にすぐ迎合出来る性格ではない。
「その三本の剣もかなりしっくり馴染んでる。腕に覚えがあるからここに来たんじゃないのかい」
「…何のことだ?」
「いや、最近性質の悪い海賊も流れてくることが多くてね。海軍なんざ、あてにならないからな。それを仕留める仕事も需要が高いってわけさ」
「賞金稼ぎか」
「言葉は悪いがそういうことだ。ま、海賊狩りとも言われているがな。もし何ならその組織を紹介してやってもいいが?」
海賊狩り。自分もそう呼ばれていた昔の記憶の断片が微かに脳裏をよぎる。
ゾロは首を振った。
「生憎、仕事探しに来たわけじゃねェんだ」
「そうかい?惜しいねえ。いい体してんのに」
男は本当に残念そうだった。ゾロが狩られる方の人間とは当然ながら考えてもみないのだろう。
何となく居心地が悪くなり、ゾロは立ち上がる。
自分だけでなく、他のクルーも街に入っている筈だ。多数の海賊狩りが目を光らせているような街で悶着が起こらないだろうか。泊まるのは一日だけだから多分大丈夫だろうとは思うが…。
と、軽く袖の端を引っ張られた。
振り向くと、黒髪の女が立っている。
「仕事探しじゃないんなら、遊びに来たんでしょう?」
にっこりと魅惑的に微笑みながらもあまり下品さがない、コックなどが見れば一発で瞳をハートマークにしそうな美女だ。
「もし良かったら、お酒でもご馳走してくれないかしら」
男を誘うのも誘われるのも慣れているような物腰。羽織っている薄いショールは少し透けた材質で、なで肩気味の均整の取れた体つきのラインが艶かしい。
だがゾロはそれに乗る気は起こらなかった。
サンジに情欲を感じた自分の状態はとても歓迎できたものではないから、ゾロも適当な女を抱いた方がいいのだろうかとは考えたが…デートのような手順を踏んで酒を飲み食事をしてホテルを取って、という流れは。
まだるっこしいというか面倒臭かった。
コックなどは、逆にそのプロセスに喜びを感じる方かもしれないが…少なくとも今のゾロはそんな浮かれた気分ではない。
「他、当たれよ」
ゾロの不躾な言い方に、女は気分を害したらしい。ムッとしたように向こうへと行ってしまった。
「あんな美人を振るなんて、余程女の条件が厳しいんだな」
中年男がニヤニヤしている。
「別に…」
ゾロは煩わしくなってきて、そのまま店の出口へと向かう。
「この先の通りを真っ直ぐ行けば、その手の店もあるぜ。色んなタイプがいるからお眼鏡に適う娘もいるだろうさ」
親切心なのか、背中に声をかけられた。
ゾロは苦笑いする。別に好みがうるさいとかそんなことではないのに。
女漁りに行くのもいいが、妙に苛々しているので商売女とはいえ手酷い扱いをしそうな気が自分でもしていた。何かのきっかけで箍が外れてしまうような…焦燥感。
雨も降り出してきたし、宿でも探して少し落ち着いた方がいい。
その為ゾロは、男が言っていた方向とは逆に歩き出した。───つもりだった。自分では。
だが、歩くにつれ香水の匂いがきつく漂う娼婦にしか見えない女性たちが意味ありげに視線を送ってくるような小さな通りに出てしまい、ようやく道を間違えたらしいことを悟る。
舌打ちしてぐるりと後ろに方向転換した所に、ちょうど現れた人影。
「お兄さん、どう?」
娼婦の一人が上目遣いに、ゾロの首に手をかけてくる。
ゾロは動かなかった。
女は焦れたように、体を摺り寄せてくる。豊かな胸の感触には張りがあった。
容姿じたいは悪くない。普段なら応じていたかも、しれない。
しかし、女は細身で金髪だった。色の白さや瞳の色までサンジに似ていて。
…それだけで。
この女を抱くのかコックを反映させて抱くのか、まるで性的倒錯になってしまうだろう。おそらく確実に。
「いや、いい」
ゾロは女の体を引き離した。
早くさっきの通りに戻ろうと再び歩き出し───また肩を叩かれる。しつこいな、と鬱陶しく感じて振り向くとサンジが立っていた。
「何だよ、物騒なツラしやがって」
「お前…」
「そんな顔してちゃ、レディが寄り付かないぜ?」
「俺は別に」
ゾロが言いかけるのを、サンジは分かってる皆まで言うなとばかりに遮る。
「まあ、野暮は言いっこなしだ。どうせてめェのことだから、女に声をかけようにもなかなか上手く行かずにこういう場所に来たんだろ。ちょうどいい話があんだよ」
勝手な論理展開に、呆気に取られているゾロの背中を押すようにしてサンジは先刻の小男の元へと連れていく。
小男はニコニコしながら、二人を少し離れた建物の中へと連れて行った。看板にはホテルとある。
「兄さんは、こっちの部屋。剣士さんは…その隣でいいかい?待ってれば女の子が来る。払いはそれからでいいよ」
もみ手せんばかりに言い、男は隣り合った部屋を示す。
「隣かよ。ま、いいか」
サンジはゾロへ冷やかすように言った。「久々だからってあんまデケェ声、出さすなよ?」
「俺は───」
ゾロは何となく事情は飲み込めはしたが、どうにも躊躇いがあった。サンジはそんな剣士の声など聞かず、さっさと中に入ってしまう。
「あんたも入りなよ。何、心配しなくてもウチの女の子たちは慣れないお客さんにもサービスしてくれるさ」
小男がゾロを促す。無骨な剣士だからこういう事に戸惑っているのだと判断したらしかった。
ゾロはちらとサンジの入っていった部屋を見やる。
お互い隣り合った部屋で、違う女を抱くというのか。
「剣士さん?」
せっつかれて。ゾロが懐からあるだけの金を取り出したので、小男は両手を上げた。
「いや、金は済んだ後でいいよ。それに、二人分にしてもちょっと多いぜ」
「いいんだ。全部受け取ってくれ。…女は、来させなくていい」
ゾロの暗い声に、男はしばらく黙って剣士の顔を眺めた。
「成る程。つまり、邪魔はしないでくれってことかい?」
「ああ」
男としては、女に取り分を渡さなくてもよくなり都合が良い話だった。ごゆっくり、と下世話に言ってそそくさとその場を立ち去る。
「───何だよ。お前は、隣だって言ったろ?」
部屋に入ってきたゾロに、ベッドに転がっていたサンジが少し驚いたように身を起こした。 「しっかし言い値の割には、良い部屋だよな。ホラ、スプリングも上等だぜ」
心地いいのか軽く体を弾ませる。サンジは濡れた上着とネクタイを側にあるチェストにかけていた。 よくよく見れば、髪もシャツもまだ湿っているのだ。ゾロは何かに突き動かされるようにベッドの傍に立った。
「おい、自分の部屋で待ってろよ」
ゾロにとっては、無防備なコックの顔が見上げてくる。
(…駄目だ、もう)
ゾロはサンジの肩を持つと荒々しく反転させ、その体躯をベッドへと押しつけた。

 

 

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