指先にキスを 6

 

 

少し乾燥した唇は、柔らかくて感触がいい。

しかし、それは刹那だけのものだった。
「…のクソ野郎!」
罵りと容赦ない蹴りとがゾロに放たれる。攻撃をまともに受けたゾロの体は壁に叩きつけられた。衝撃に息が詰まり、ゾロは呻く。
「ふざけた真似してくれるじゃねェか、剣豪さんよ」
サンジが起き上がろうとしたゾロの腹をぐい、と踏みつけた。「勘違いしてんじゃねェぞコラ」
「俺は…」
「ああそりゃ、互いに処理しようって持ちかけたのは俺だけどな。誰が女の代わりになってやるなんて言ったよ?ざけんな。人を馬鹿にすんのも大概にしやがれ」
「そんなつもりはねェ」
「ああん?じゃあ、どんなつもりでキスなんかしやがった。ルフィじゃねェんだから、何かついてたなんて言い訳は通用しねえぜ。サカッてただけだろうが」
確かにサンジの言う通り、湧き上がる欲情に赴き接吻けたのは事実だった。だが、サンジを馬鹿にしたり貶めたりする気などゾロには毛頭なかったのだ。
それをどう言ったものかと思案しているゾロに、サンジはそれ見ろと鼻を鳴らす。
「図星だろ。まあ、俺も考えが足りなかったかもしれねェ。まさかてめェが男に手ェ出すとは思ってなかったからな…。計算外だ」
やっとゾロから足を退けると、サンジは煙草に火を点けた。「この話はなかったことにしようぜ。野郎に突っ込まれる趣味は、さらさらないんでね」
ゾロは立ち上がって、キッチンを出ようとしたコックの腕をつかむ。
「──抱きてえんだ」
サンジは冷ややかな視線を剣士に投げ返した。
「てめェは、人の言ってる事聞いてねえのかよ。俺ァごめんだぜ」
「俺は抱きたい」
「はいどうぞ、とでも俺が言うと思ってんのか?てめェ勝手並べんのもいい加減にしろよ、エロ剣士が。ったく、ちったあ頭で考えてからモノ喋れ」
「考えたって…分からねェよ」
ほんの少し前までは、コックにそんな欲望を感じるなんて思いもしなかったのに。もちろん今だって信じたくはない。
だが体の方が先に答を出してしまったのだ。
「だからって本能のままにサカってんじゃねえ。だいたいな、船に乗りっ放しだからロクでもねえ状態になるんだ。実際に女抱きゃ分かるさ」
サンジはゾロの手をゆっくりと、だが抗い難い力で離させる。「錯覚。思い違い。OK?」
錯覚か。
先刻だってそうならどんなにいいだろうと自分でも思っていた。
話は終わったと言うように、もう外へと足踏み出していたサンジへゾロが問う。
「もし、錯覚じゃなかったら?」
サンジは振り向かず肩を揺らして言った。
「最悪だな」
ぱたん。扉が静かに閉じられる。
(…最悪か)
ゾロは壁に体を凭せ掛け、自嘲気味にサンジの言葉を繰り返した。
まったくだと思った。
サンジを抱きたいという自覚をしただけでも、沢山だ。それ以上のことなど考えられなかった。
もとから器用な男では決してなく。ただ自分の状態を認めコックに伝えるだけで精一杯だった。
昼間ルフィに感じた嫉妬も、うやむやの内に心の隅へと押し込めてしまったことにゾロは気づかない。




「ごちそうさま、サンジくん。コーヒー貰える?ビビの分もね」
朝食が済んだ所でナミが言い、サンジはニッコリ微笑んだ。
「は〜い、ナミさん」
「私は甲板にいるから、出来たら持ってきて」
「かしこまりました、レディ」
ちょっと敬礼してみせてから、気遣うように。「でも天気も悪いし、外寒いぜ?ナミさんが風邪でもひいたら俺は心配で心配で…」
「そろそろ食料補給したいって言ってたでしょう?島も近いと思うから。外の様子見ようと思って」
「島っ!近いのか?」
ルフィが声を弾ませるのを、ナミは諌める。
「ルフィ。言っとくけど、ゆっくり遊ぶヒマはないからね。買い物したらすぐ船を出すのよ」
「島か〜。久しぶりだよなあ」
船長がワクワクした様子で、キッチンを飛び出してしまった。航海士の言葉は右から左へ通り抜けたらしい。
「くくりつけてないとダメかしらね」
ナミは嘆息すると甲板へと出て行く。
サンジは咥え煙草で手早くコーヒーの準備をするとビビに恭しく差し出し、もうひとつカップを乗せてトレイ片手にキッチンを後にした。
「どうぞ、ナミさん」
ナミにカップを渡す。航海士はいつも通りにありがと、と軽く礼を言い、海図と睨めっこしている。
ゾロの姿は見えない。朝食の時にいくら大声で呼んでも来なかったし、サンジもあえて探しには行かなかった。どうせ寝ているか、鍛錬しているかだろう。
昨日のこともあり、二人きりになるのは避けたかった。
と、船長が叫ぶ。
「ナミ、見えたぞ〜!あれか?」
いつもの特等席で身を乗り出し、灰色の島影を指差している。
「そうそう。風が強いから、結構早く着いたわね。───皆上陸の準備してちょうだい」
手を叩いて、ナミが仕切る。クルーたちは、それぞれの仕事をする為持ち場へと向かった。
ちょうど港へ碇を下ろしたあたりで、不穏な雷の音が響く。
「嵐が来る…。今夜は出航は止めにした方が無難ね」
ナミが空を見上げて呟くように言った。
「じゃあ探検してきていいか?」
飛び出しかけたところで腕を引っ張られたルフィが、うずうずして言う。ナミはしょうがないわねと頷いた。
「明日の朝には戻ってくること。いいわね?」
念押しされるのもそこそこに、ルフィは走り出して行った。
「じゃ、俺は早めに買出しに行くか…。ナミさんたちは、どうするんだ?船に残るならメシ作るけど」
サンジが聞くと、ナミはちょっと思案して。
「いいわよ。ビビと何処かに泊まるわ」
「了解。おい、ウソップ。荷物持ちだ、ついて来いよ」
しかしウソップは気が進まなさそうだった。
「いや、俺だって買いたいもんあるしよ」
「どうせ市場にも行くんだろうが」
「荷物持ちなら、ゾロの方が向いてるって。なあ、ゾロ」
横にいたゾロの肩を叩くのを、サンジが一瞥した。
「コラ、長っパナ。自分が行きたくねえもんだからそんな事言ってやがるな」
「…別に俺は構わねえぜ」
ゾロが無表情に言ったが、サンジは取り合わなかった。
「てめェは色々とやることもあんだろ。ちょうど島に着いたんだから、な」
暗に昨夜の事を匂わせてやる。
ゾロは眉をぴくりと上げ、黙ったまま街へと歩いて行った。ウソップが不思議そうにそれを眺めて言った。
「何だ、ゾロの奴。いつもより更に愛想がなかったな」
「ま、そんな訳で、お前が荷物持ちだ」
「そんな訳って…。俺はまだ承知してないぞ!」
ウソップが文句たらたらで、それでもサンジに引きずられるようにしてついて来る。
頓着のない剣士だが、さすがに昨日の今日だ。自分が警戒されているのが分かったのかもしれない、とサンジは苦笑した。
こうして、島に着いたのは幸運だったのではないだろうかと考える。娼婦でも行きずりの女でも抱けばいいのだ。男である自分なんかより余程いいと我に返るに違いない。
男に欲情されるのは、正直言うと初めてではなかった。
サンジの向う気の強さと粗暴さを知らず、その外見だけで彼にちょっかいを出そうと目論んだ輩は結構いたものだ。バラティエにいた頃からそうだった。
もちろんそんな奴らは、ことごとく蹴り飛ばしてきたのだが…。
面倒だな。
まず、そう感じた。
同じ船に乗り込んでいる仲間からそんな目で見られるのは、厄介でしかない。
特にゾロのような男は、突き進んで止まらない所がある。
だからこそサンジは警戒した。
ゾロが自分のことを抱いてから、ああやっぱり錯覚だったと分かっても遅過ぎるのだ。
すべてが崩れてしまってからでは。
そして、ショックや腹立たしさも当然ある。自分を何だと思っているのかと。
長い航海で体を持て余すのは無理もないし理解もできたから、ふざけ半分とは言えああいう交渉もした。
だが、抱く抱かないという実際の性交渉となると、サンジの中では全く別の話だ。
サンジはもとより男色の気などないゾロに抱かれるということは、性欲の吐き出し口として利用されることであり上下関係の発生でありサンジの自尊心を傷つけることである。
まさか自分を性欲の対象にするとは思わなかったし、そういう意味では剣士を見誤っていた。
だが、それはゾロを信頼していたからこそだ。
性嗜好の問題だけではなく。
男として、同性として。
こいつだけには負けたくないと反発はするが、認める部分もあるからこそなのだ。
お互い目指すものは違うが立つラインは一緒だということを。
譲る気も引く気も、サンジにはない。
───あくまでも対等で肩を並べていたかった。

 

 

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