楽園追放 9

 


ルフィの鼾が男部屋に響いている。いつもなら気にもならないのだが、今夜はやけに大きく聞こえた。眠りは待っていても訪れず、ゾロは寝るのを諦めてハンモックから身を起こす。
あの後、夕食の時もサンジはゾロに視線すら寄越さなかった。コックにはもう剣士に話などないのだろう。サンジの御し方と言い、何を示唆しているのか思わせぶりなロビンと言い、まったくどいつもこいつも不愉快だ。スマートに、表面上は何もなかったように取り繕って擦り抜けている。ゾロは元からあれこれ考え込んだり悩んだりする性格ではないが、気になることを放り出しておける性格でもなかった。
短髪を苛立たしく掻き毟り、酒でも飲むかとゾロはキッチンへ向かう。静かな波の音に紛れてこちらでも妙な音がすると思ったら、今夜の不寝番であるウソップが見張り台で居眠りしていた。
まだ中から灯りが漏れているキッチンの扉を開けると、サンジが流しで胡瓜を切っていた。保存食の下拵えや差し入れ作りなど、コックが夜中までコック稼業に勤しむのは然して珍しい事柄ではない。
「夜食ならちょっと待てよ」
サンジがくわえ煙草で顔を向けるが入って来たのがゾロだと知り、小さく舌打ちする。「ウソップかと思った」
ゾロは無言でストッカーから酒を抜き取り、瓶から直接飲む。
サンジは進んで剣士に接触もしたくないのか、素早く調理器具を洗ってしまうとオープンサンドを小さなバスケットに入れ、そそくさとキッチンを出ようとした。
「…逃げんのかよ」
ゾロがぼそり言うと、勘に触ったのであろうサンジがキッと振り返ってバスケットをテーブルに置いた。
「ンだと?誰が逃げてるってんだ」
「てめェが、俺からだ」
「───やっぱり脳が筋肉で出来てる奴は、しっかり理解してなかったみたいだな。俺ァもうてっきり話はついたと思ってたぜ」
「ちっとも済んじゃいねえ。昼間はルフィが海に嵌ったから仕方なく中断しただけだ」
サンジは腰に手を当て、ゾロの前に立つ。
「ふうん。マリモがそれなりに反論を考えたっつーの?」
底光りする瞳が見下ろしている。「要するに、てめェはまだ納得してねえってか」
「…する訳ねェだろうが。同情なんかじゃない……俺の気持ちは俺のもんだ。てめェが決めつける問題じゃねえ」
サンジはどうあれ、ゾロはゾロで引く理由はない筈だと構えていた。どうすればサンジに分からせる事ができるのかは、やはり不明だったが。サンジは尊大にハッと息をついて、煙草を缶の灰皿に押しつけて消す。
「ああそう」
ぐいと襟首を掴まれたかと思うと、そのまま引っ張り上げられた。サンジは剣士には及ばないが、一般の男性よりは余程腕力だって強いのだ。勢いゾロが立ち上がると、鼻すれすれまで近寄る挑戦的なサンジの顔。
「クソ剣士。てめェで何言ってんのかちゃんと分かってるか?気になるってのは、どういうんだ。好きだの、愛してるだのって?それじゃあ例えるならこのまま、キスをして」実際に触れそうなくらいギリギリまで唇を寄せる。「俺の服を脱がして。抱き合って。体中愛撫して。てめェのイチモツを俺のケツに突っ込んで揺さぶって、精液吐き出したい───レディにするみたいにだ。てめェが抜かしたのはそういう意味だって、本当に自覚してやがんのか」
露骨な、あまりと言えばあまりの言い様に、ゾロは渋い表情になった。飛躍しているとまでは思わないが、まず取り上げるのがそこなのは可笑しくないか。このままだと、また自分はまくし立てるようなサンジのペースに巻き込まれてしまうという危惧がゾロの脳裏を掠める。結果返答とも言えない返答が、歯切れ悪くゾロの口から紡ぎ出された。
「俺は…別にそこまで」
「それとも、まさかとは思うがひょっとして抱かれたい方か」
「んな事は言ってねェだろ」
「じゃあ、何だ。そこまでは考えてなかったとでも?健全な男なら好きな奴は抱きたいモンじゃねェのか、普通ならよ!」
サンジはゾロを突き飛ばした。次に、ボタンを千切るようにして自分のシャツの前を荒々しくはだける。「実際に試さなきゃ分かんねェのか。てめェが男に勃つかどうかは責任持てねェが…やりたきゃ、やりゃあいい。俺はまだ完全に足も治ったわけじゃねェし、必死に抵抗したってどうせてめェにゃ敵やしねェからな」
自虐の笑みを浮かべ、サンジはテーブルに手をついて腰を落とす。
「おら、どうしたよ…剣豪さん。てめェは魔獣とか呼ばれてた男なんだろ?別に今更人間になろうなんて思わなくてもいいんじゃねェの」
どうとでもしろと足を広げ自暴自棄に座り込んでいるサンジをゾロは食い入るように見詰めていた。
ブルーのシャツの間から覗く真っ白い肌。
ゾロはそのシャツを滑らせて落とした。着やせするのだろうか、改めてしみじみと眺めると然程華奢な体つきでもない。思ったより肩にも腕にも筋肉はついている。そして無駄な脂肪はなく、平坦な胸も引き締まった腹筋もやはりどうしたって男のものだ。日頃スーツに隠された肌は眩いくらい白かったけれど。ボトムは黒いため、そのコントラストは際立っていた。
「変な気遣いはすんなよ。どうせどこの馬の骨とも分からねェ奴らに掘られてんだ。妊娠する訳じゃなし、二度でも三度でも変わりゃしねえや。好きにしろ…それで気が済むんなら」
その台詞に呼応したかの如くサンジの肩にゾロが手を置くと、反射的なものか彼の体がビクリと一瞬震えた。口ではいくら虚勢を張っても、強姦された経験はサンジにとっては快かったとはお世辞にも言えないだろうに。嫌悪感を伴った口調は、ダメージも完全には癒えていない証ではないのか。
このまま、犯せと?
犯すと言うのは語弊があるが。サンジは抱くなら抱けと自ら身を投げ出している。
女を抱くように彼を扱えば満足すると、 あの島の連中と同じ所まで成り下がれと……。
少なくともサンジにとっては、性行為には変わりなくどちらも大差ないと思っているのかもしれない。
だが。
違う、違うのだ。
ただゾロはサンジが放っておけなかった。できることがあるなら、したかった。頓着されず彼の目が他に向くのも不快だった。だからすべてが、その視線さえも手に入れたくなる。抑えきれない感情を同じく味わえとは言わずとも彼にせめて受け入れてもらいたかった。
ゾロの中で想いは暴れ出すのに、その半分すら言葉にならない。
自分がサンジに望んでいたのは結局こんな事なのだろうか。
欲望に任せてセックスをするのは簡単だろうが、何よりも一番求めている彼の心中には決して近づけない。
「───俺は…」
ゾロがゆっくりとサンジに覆い被さるが、情欲を感じさせる抱擁ではない。「…そんなお前が欲しかったんじゃねえ」雨に濡れたいたいけな子猫を抱くような仕草だ。サンジが守るべき弱い存在ではないのは充分承知しているのだが、口で上手く宥めたりすることができない以上行動で包むしかできなかった。
サンジが拒んで振り払うかと思ったが、彼は身動きはせずに瞼を閉じて眉根を寄せる。
「…ゾロ」
珍しくサンジは剣士の名を口にした。
「元に戻ろうぜ…頼むから。考えてみろよ。てめェは本当なら、単なるコックなんかに関わり合って止まってる人間じゃねェだろ?そりゃ俺だって本気で嫌ってる訳じゃねェさ。喧嘩すんのだって、俺ァタメの奴と一緒だった事なんてあんまねェからやりあうのも悪くねェって…。何があっても涼しい顔してよ、剣士たるもの泰然と構えて少々の事で揺らぐもんじゃねえって態度で…気に入らねェけど、きっとてめェはスゲエ男になるって俺は……俺は、これでもずっと思ってたんだ。自分の決めた通りにどんどん強くなってお前を見るのは───結構、好きだった」
今までこれほど真面目にサンジがゾロについて語った記憶はない。誉めとも取れる、この上ない肯定だ。なのに、何故ここまでサンジの言葉は自分に痛いのだろう。「或いは、勘違いとかじゃ…ないかもしれねえ、お前は。けど俺は?もし俺がてめェに近寄りたくなったとしても、それが勘違いじゃないって確証なんてどこにもねェんだぜ。なあ、そうじゃないってんなら…教えてくれ…」
サンジは何を言っているのだろう。
疑問を投げかけてはいるが、ゾロが応えるのは期待していないらしい。
サンジはひたすら瞼を閉じている。どこか哀しそうに今にも泣き出しそうに唇の端を震わせて。
いつも彼は自分にだけは意地を張り心を開かなかった。そのサンジがほぼ初めて、こちらを見ようとしてくれているのに、いざそうなってみれば訪れたのは当惑。
最良の方法を教えてもらいたいのは俺だと思う。
いったい、どうすればいい。
(分からねえ)
何もかも元通りに、今までと同じようにするのが。サンジとゾロにとって一番良いのだろうか。
彼の主張が正しいからというよりは、これ以上辛そうなサンジを見ているのが嫌だった。しかも要因は他ならぬ自分なのだ。
そんなつもりでは毛頭ないのに、彼を想うことが彼を苦しめる。
己のあからさまな感情を向けた事がサンジを追い詰めてしまったのを、ゾロは漸く感じ始めていた。
サンジは強がらなくてはならなかったのだと、どうして気づかなかったのだろう。
鎧で武装した心を剥き出しにしていけば裸に近い、無防備な脆い部分を見せざるを得ない。
楔を打ち込んだ裂目から流れ出す感情は塞き止められない。だから彼は隠さなければならなかった。弱いからではない、何もかも敏感に感じ取る優しさ故に。
ゾロは、すっかり途方に暮れる。
糸の切れた操り人形さながらに脱力したサンジの背中を抱いて。

 

 

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