楽園追放 8

 



「で……俺はどう答えりゃいいんだ?」
どれくらい経ったのか。笑いは治まったが相変わらずサンジは引きつった表情である。
「どう…って」
鸚鵡返しに言うゾロを、サンジは斜に眺める。
「野郎に告白されて、どう答えりゃいいのかって聞いてんだよ」
サンジの口調は穏やかとも取れる。身長が殆ど変わらない為、お互いの鼻がぶつかりそうだった。「しかもそれが盛大な勘違いときた」
「勘違いってのはどういう意味だ」
至近距離でのゾロの厳しい視線も、サンジは物怖じせず撥ね返すのみだ。
「どうもこうも」
肩を竦めてから、ゆっくりゾロの腕を解いていこうとする。「てめェのは、同情だ」
「同情だと?何言ってやがる」
させまいとするゾロにその手首をきつく掴まれ、サンジは大袈裟に溜息をついた。
「一から百まで教えなきゃ分からねェか、このマリモ頭は。てめェは──俺の足が立たなかったり、下衆野郎達に突っ込まれたりすんのを見てたからカワイソウニって心ン中で思ってやがる。その可哀想な俺が無理すんのも、段々回復すんのも面白くねェんだよな。折角一段高い所から俺を見下ろして憐れんでたのによ」
噛んで含めるかの如くのサンジの台詞は、ゾロには意味が飲み込めなかった。いや、頭には入っているのだが納得はし難く、ただ単語だけがゾロをからかうように乱舞しているのだ。
同情とか、可哀想とか、何を言ってるんだこいつは?
何とか辿り着いた気持ちを、そんなふうに簡単に片付ける…この、男。
「おい、勝手に決めつけんな。俺はそんなつもりでお前を──」
思わず掴んだ手に力がこもる。サンジが顔を顰めた。
「てめェは全然分かっちゃいねェんだ。レディの気持ちも知らなかったろうが」
「あァ?何急に…」
いきなり話が飛んで、ゾロはポカンとする。「レディって、あの島にいた女のことか」
ほらなとサンジは唇を歪めた。
「やっぱりだ。彼女がてめェをどんな目で見てたかも気づいてねえ。レディはな、本当はてめェに一緒にいて欲しかったんだぜ」
そんな事を突然言われてもゾロには青天の霹靂で、すぐには言葉が出ない。サンジが勢いづいて捲くし立てた。
「思った通りの馬鹿だな。好きでもない男と一緒に住んだり世話焼いたりするかよ。ひょっとしてこれも気づいてねェかもしれねェが、善人ぶって施しができる暮らし向きじゃなかったんだぜ」
「…あの女は、一言もそんなの言わなかったぜ。だいたい一緒にいるなんて、無理に決まってんじゃねェか」
「ああ、彼女だってそれは分かってたさ。てめェはまだ旅の途中だって事くらい。だから口には出さなかった。ま、俺はそう言うの特に敏感だし気づいちまったけどな」
自分に関してはそうでもないのに、他人について語るサンジは通常よりもっと饒舌だ。はぐらかされて、論点がどんどんずれて行く気がした。
「───今は、あの女の事は関係ねェだろうが」
「鈍い鈍い鈍い、どうしようもねえ。恋とか愛とかなーんにも分かってねえ奴が、告白なんかした気でいるんじゃねェってんだ。しかも男にな!まったく笑うしかないね」
今度は容赦なく、グッとゾロの体を押し退ける。「いい加減に離せ」
ゾロは逆らわず腕は外したが、目だけは彼を追って。
「俺が本気じゃねェってのか」
「そう言うことだ。ご理解いただけたみたいで、何よりだぜ?」
慇懃無礼に頭まで下げるサンジに、どう反論すれば良いのかとゾロは考える。そのまま彼を逃す気はなかった。だが、具体的な術が不明瞭なのだ。確かに自分は恋愛沙汰には殆ど縁がなく、今まで扱った経験のない感情の表し方なんて知らない。打ち明けて、サンジがそれを素直に受容するとは──ましてや好意的に応えてくれるなどとは思いもしなかったが、それ以前の段階で躓いてしまった。そもそも彼が拒むにしろ受け取るにしろ、まず大前提として気持ちが認められてこそ次に進めるのだ。なのにサンジは真剣だとさえ捉えていない、ゾロにもそれを覆すだけの根拠がない。
きちんと理論立てて説明できるなら、初めから苦労はしないのだ。
「俺は……」
とりあえず何か言葉を発しなければ終わりにされてしまう。ゾロが声を押し出した時、扉が静かに開かれた。
「ちょっといいかしら?」
「何?ロビンちゃん。紅茶でも淹れようか」
サンジが愛想良い素振りで、ラブコックモードになる。ロビンは黒髪をさらと揺らして微笑んだ。
「嬉しいけどそんな場合じゃないみたい。船長さんが海に落ちたわ」
「またかよ」
ルフィは泳げない癖に不安定な船首にいるので、しょっちゅう海に落ちている。大抵の場合、泳ぎの得意なサンジが助けるのだが…。
「おい、拾ってこい」クイと顎でゾロに指図する。「俺が飛び込むのは、流石にチョッパーに止められそうだしな」
ゾロにとってサンジとの話は済んでいなかったが、船長が溺れるのを放っておくわけにも行くまい。仕方なく彼はロビンについていった。
二人が出て行ってしまうと、サンジは大きく息を吐き出し疲れたように座り込む。ほんの僅かだが、膝が震えていた。煙草を取り出す長い指も。
……自分は、ちゃんと演じきれただろうか?
悟られなかっただろうか、この動揺は。
ゾロの気持ちを無事に逸らすことができただろうか…。
あの島で過ごした日々、そして船に戻ってきてから。
彼の熱を持った視線に気がついていない訳では、無論なかった。
だって隠そうともしないのだ、あの愚直な剣士は。
経過や結果など案じもせず、ただ向けられるまっすぐな感情。まるで道理が分かっていない子供だ。気が利かなくて鈍い、その癖何かできることはないかと躍起になって。
馬鹿だな。
お情けなんか、誰が望んだ?
労りを欲しいなんて言った覚えはない。反対に、手を出すなと口でも態度でも示した筈だ。他の人間ならまだしも、特にゾロには。憐れんでいる自覚はないとしても、行為はそれと殆ど同義ではないか。
無骨な太い指がたどたどしく髪を撫でた感触や、がさつな抱擁もサンジの中に未だありありと残っている。低い声でかけられた不器用な言葉も、嫌になるほど胸に。
痛手を負ったサンジが、彼にどんなに癒されたか。
ゾロには永遠に教えてやる気はない。
剣士の心を蔑ろにしたい訳ではなかった。信用していないのでもない。あの剣士は、いつだって嘘はつかない。つけない、のかもしれない。
いつかこんな風に感情をぶつけられるだろうと覚悟していた。故に予防線を張った。
やんわりと上手く諦めさせることが可能な程、サンジも熟成した大人ではない。
だいたい、いくら本人が真剣な気持ちだと言っても一時の気の迷いや情でないと誰が保証できるのか。もしもあの島での出来事がなければ、こうはならなかったに違いないのだ。
勘違いだったらと恐れているのはゾロよりもサンジ自身だった。
できるなら、ただの同情であってくれと頼みたいくらいだった。
なら拒絶すればいいだけで、話は簡単に片づく。男同士で慰み合う趣味などないのだから。
しかし、自分達はあまりにも違い過ぎた。本質的にことごとく折り合えないのだ。
すべてを元通りにしてしまいたくてゾロの存在を退けても、あの剣士は無遠慮にテリトリーを侵そうとする。己の行動によって何が壊れるかなど考えもしていないだろう。
冗談じゃない。
ようやっと取り返せる気がしていたのに。
各々の夢を持ちながら航海を続け、騒がしくも楽しい海賊としての日常。
再び楽園に戻れたのだと。
───煙草はいつもより苦い気がした。


「プハー、助かった!ゾロ、サンキューな」
びしょ濡れでルフィが屈託なく笑顔を見せた。海水を飲んだのか、だらりと手足は投げ出しているが相変わらず元気だ。
「ったく、てめェは懲りねェな。いい加減にしろよ」
ゾロは言いながら頭を振り、滴を散らす。「嵌ったら溺れんの分かってんだろうが」
「うん。そうなんだけどさ。俺、溺れてもいいんだ。海好きだからな」
「…アホか」
「それに、ちゃんとこうやって皆が助けてくれるだろ?」
この手の物言いは今に始まったことではなく、船長は結構性質が悪いとゾロは感じる。しかし、ルフィは無類に素直だ。何も怖がらずに腕を伸ばしてくる。捻くれたクソコックに見習わせたいと思い、ゾロは一人苦笑った。
「はい」
ロビンがすっとタオルを差し出した。横ではナミがルフィを乱暴に介抱している。
「ああ、悪い」
受け取りはしたが、何にせよ全身濡れているので着替えなくてはならない。
「邪魔しちゃった?」
ロビンの独り言めいた呟きが、男部屋へと向かうゾロの耳に入る。
「何がだ」
振り返る表情が険しいのは自覚しているが仕方ない。どうにもロビンの相手は不得手だった。未だ馴染めない。何を考えてるか分からないのはコックと似ているが、感情表現が大きくないので余計に始末が悪いのだ。
「何だかさっきはお取り込み中らしかったから…でもコックさんはホッとしたみたいだし。そんなに悪い事はしなかったかしらね」
「クソコックが?」
「私には、そう見えたっていうだけよ。人に左右されないで、あなたは自分の気持ちを大切にしなさい」
それだけ言い、ロビンは読みかけの分厚い本に戻ってしまう。
やっぱりこの女は苦手だとゾロは砂を噛む思いで、タオルを握って髪をガシガシと拭いた。





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