楽園追放 6

 




船が高くなった波に揺れる。
帆船の形はしているが、小型なので今ひとつ安定性がないのだ。
「嫌な色の雲だな…天気が持てばいいが」
暗雲に覆われた空が低く感じられる。見上げていたサンジが呟くが、反応がないので剣士に視線をやった。「おい、聞いてんのか」
「あ?ああ」
細い帆柱を掴んでいたゾロはやや眉を上げる。
「ひょっとして気にしてんのかよ?さっきのレディの話」
「…そう言うんでもねえ。昔の事なんざ、今更悔やんでもどうしようもねェからよ」
考えていては先に進めなかった頃。がむしゃらに剣を振るい、阻む者を容赦なく斬捨てていた過去は捨てようと思っても捨てられるものではない。「ただ…巡り合わせってのは因果なもんだな。あの女に謝るのも何だし」
「あったりめェだ、このクソボケ」
サンジは鼻をフンと鳴らす。「謝られたらあのレディは辛くなるだけだろうが。だいたい、てめェは救いようのねェ悪人なんだからな、一生罪背負ってけ。それが責任だ」
「悪人かよ」
「バァカ。海賊王になる男の許で世界一の剣豪目指してんだろ。善人な訳あるか」
成る程サンジは慰め役でも相談役でもないらしい。それでも、ゾロはふと楽になったような気持ちがして口元を緩める。サンジの言い方は冷やかで突き放すみたいにも聞こえるが配慮がない訳ではないのだ。
全く不思議な男だと思う。
虚勢を張っているだけかと思えば底に強靭さを秘めており、それでいて危うい。彼はしなやかな強さを持っている。撓んで受け止め、返す。あまりにも自分とは型が違っており、考えてみれば当然の事なのだがそれはゾロを少なからず惑わせ捉えてしまっていた。
「───ちっ。予感が当たっちまったな」
サンジは湿気を含んで、やや重くなった髪を掻き上げた。ぱらぱらと大粒の雨が降り始めたのだ。
「まだ島は見えねェのか?」
「向こうに黒い岩みたいなのがあるが…小さいな。ありゃ目的の島じゃねェだろ」
「とりあえず着けろ。もし嵐になったらまずい。───あーあ、ナミさんならそういうのも分かるんだろうけどな」
サンジは独り言の如くに言いながら、太い櫂を手にした。
ゾロが船を近づけると岩場に麻で編んだロープを括りつけ、帆をややずらして調整する。さほど強い雨風ではないから、帆の下に入れば凌げるだろうと考えたのだ。
「てめェの仕事はホントに大雑把だな。もうちょっとしっかり結んどかねえと…」
サンジが幅の狭い手すりを持ち立ち上がる。ロープが引っかかっている岩に手を伸ばした時、その体が傾いだ。
「危ねェ!」
「うっわ」
倒れ込むのをゾロが咄嗟に支え、結果サンジを抱え込む格好になったまま尻餅をつく。
「アホ。まだ完全に治ってねェんだから、気をつけろ」
「うるせェ。もう平気だっつの」
口ではいくら突っ撥ねても、普段なら瞬時に起き上がったであろうサンジの動作は緩慢としている。
ゾロはサンジの体を離そうとして、息を呑んだ。シャツ姿だったのが、岩に引っ掛けたのか肩口の辺りが少し裂けている。項から鎖骨にかけての白さがゾロを射るように貫いた。艶っぽさの為と言うよりは、眩い程くっきりした線の嫋やかさ故に目が離せなかった。
しばらくその体勢でいると、サンジの腰辺りが熱を持っていて妙に暖かいのに気づく。よく見えないが、足も腫れているのではないか。
「おい、クソコック。やっぱり無理してやがったな」
下半身がまだ完全に治ってはいないのに、急に動かしたせいで負担がかかったのかもしれない。
ゾロが咎めると、サンジは苛々と吐き散らすかの如く。
「うるせェつってんだろうが。何がむかつくって、てめェに同情されたり心配されたりすんのが俺ァ一番頭にくんだよ。マリモの分際で何様のつもりだコラ」
起きようとするがゾロが下腹部を押えているので立てない。「離せよ…クソ」
「何でてめェはそう───」
一人で何もかも抱えちまって。そんなに自分の弱さを見せるのが嫌か。
ゾロの胸に言い様のない半ば腹立たしい感情が広がり、厳しい表情で腕に力を込める。要するに抱擁以外の何物でもなく、サンジは抗い身を捩った。
「離せってんだよ」
「いいから、じっとしとけ。この方が…雨に濡れねえだろ」
言い訳めいている。自分でもそう感じた。痩せてはいるが筋肉もそれなりについた固いこの体を締めつけているのは、そんな便宜上の理由ではない。
どこか不安定なサンジを捕まえていたかった。形だけでも、とりあえず。
帆に当たる雨の音はいつしか止んでいた。
「…お前、まさか……」
サンジが首を捻り剣士を睨む。
視線が合うと、ゾロは落ち着かない心持ちになった。深い色の瞳に引き込まれる、そんな錯覚が起こりそうで。
「何だ?」
押し出した声は喉の奥で絡んで、やや掠れる。
サンジが何か言いかけた時、小船にがくんと衝撃がきた。
何事かとゾロがサンジから離れて、帆の陰から姿を現すと歓喜の叫びがした。
「───ゾロだ!サンジもいるぞ!」
すぐ近くに停泊したゴーイングメリー号から伸びてきたルフィのゴムの腕は、何だか現実感がなかった。
サンジが横で大きく息をつく。
「運が良かったな。少なくともてめェと海で遭難するハメにだきゃならなくて済んだ」
「…ああ」
ゾロとサンジが甲板に上がると、クルーたちがそれを迎えた。
たった数週間なのに、並ぶ面々が懐かしい気さえする。帰るべき所に戻ってこられたのだと。
「二人一緒に見つかったし良かったな!」
ルフィが嬉々として両手を振り回すと、ウソップも腕組みをして頷く。
「いやー、まったくだ。ゾロもサンジもいなくなった時は、どうなるかと思ったぜ。まあ、キャプテンウソップがいる限りこの船は俺が守るけどな!」
「とにかく、念のためにもう一度引き返してみて正解だったわね」
「ナミさ〜ん!会いたかった!寂しかったろ?さあ、遠慮は要らないから俺の胸に飛び込んでおいで」
両手を広げているサンジだが、階段に座り込んでしまっているのを見てナミは訝しげに。
「…サンジくん、足どうかしたの」
「いや、ちょっと怪我しただけさ。何て事ねェよ」
「見せて」
チョッパーが医者の顔つきになり、サンジを男部屋へ移動させるようにてきぱきと指示をした。

「まったく何があったか知らないけど、サンジも無茶し過ぎだ」
診察時のトナカイは、しっかりしていて普段の子供じみた言動はあまり窺えない。湿布を貼り包帯を巻き終えると、真面目な顔で患者であるサンジを戒める。「ここの熱が引くまでは安静にしてくれ。料理とかも駄目だぞ」
「そりゃねェよ、チョッパー。別にキッチン歩くぐらいは平気だぜ?痛みも大分マシになったし」
「さっき腰に注射したからだよ。また酷くなって歩けなくなったりしたら困るだろ」
「やれやれ」
サンジが大袈裟に嘆息した。
「疲れもあるだろうし、少し寝た方がいいよ」
チョッパーが言い置いて診察用具を片した。部屋の蓋を押し上げると、ゾロがマストに凭れて立っている。
「…どうだ?様子は」
「今、鎮静剤とかを投与したから状態は落ち着いてるよ。患部の炎症が治まったらまずは大丈夫だと思う。ウロウロしたりしないように、ゾロも見張っててくれ」
「俺がか。ナミから言われた方が、あのアホコックは大人しくしてんじゃねェか」
「そうかな。じゃあ、ナミに後で頼もう」
チョッパーがキッチンに入ってゆくと、ゾロは男部屋の中を覗き込んでみる。
サンジはソファで横たわっていた。降りていっても目を開かない所を見ると、眠ってるのだろう。
薬の作用も手伝って、気を張っていたのが和らいだのかもしれない。
浅い呼吸だが、寝顔は穏やかだった。
決して短くない時間を過ごしてきた船に戻って来たという安心感は、ゾロ自身にも広がっていた。
チョッパーの医師としての腕は確かだし、彼の診断通りならサンジが完治するまではそう時間も要さないだろう。
そして、これからも再び仲間たちと航海を続けていく。ごく普通の状態に戻る筈だ。
怪我だけでなく───サンジ自身とゾロしか知らない、あの島での忌わしい出来事も過ぎた記憶として整理される筈だった。
サンジが治るのは喜ぶべきだろう。肉体的にも精神的にも、もう手を貸さなくても彼は一人で大丈夫なのだ。ゾロの存在などサンジにとっては不要と言っても良いくらいになる。それは殊更に取り上げるような特別な事ではなく、ただ以前と同様になるだけ。
だが、ゾロの中で元通りにならないものがあった。
それはまだ本人が自覚して認めるには至らないほどに不確定で曖昧なものだったが、生まれて息づき始めた感情が行き場を求めて動き出している。
サンジへと、向かっている。




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