楽園追放 5

 

 


下半身が不自由だと、寝返りひとつも難しいものである。
サンジは両腕をついて起き上がると、腰の辺りを押えてみる。
部屋のもう一つのベッドで眠っているゾロを一瞥して、サンジはベッドに手をつきそろそろと両足を下ろした。
麻痺してるわけではない、ちゃんと感覚はあるのだ。それなのに自分の思い通りにならない。自分の、足なのに。
痛みは最近大分ましになっていた。徐々に、徐々にサンジは体をずらす。腰から膝にかけて、膝から踝にかけて。重心を移動させていく。ベッドの手すりを持ち、寄り掛かりながら立ち上がる。
そして手を離すと、ず、ずと床に踵を擦りつつも二、三歩ほど進むが、バランスを崩して倒れてしまった。腰を強かに打つ。
「…クソッ」
歯軋りして自分の膝を擦ったサンジは、ふと鼻腔を刺激する焦臭さに眉を寄せた。薄暗いからよく分からないが、うっすらと煙が漂ってきている。
「───おい、起きろ!」
緊張感を伴った響きにゾロは瞼を開いた。
開くと同時に、煙が目に入り思わず何度か瞬く。
「やっと起きたか、寝ぐされ剣士」
「おう…。いったい何だ、こりゃ」
「どうも火事らしいな」
「へェ。って呑気にしてる場合か。逃げねェとやべえだろうが」
ゾロは腕のバンダナを外して口元を覆うように巻くと、サンジの体を抱え煙が渦巻く中を急ぎ足で廊下を進んだ。
そして外へと転がるようにして飛び出す。サンジが何度も咳き込んだ。煙が喉に入ったのだろう。
仮住いとは言え、十日ほどは寝起きしていた住居が火に包まれている。咳がやっと収まったサンジは炎に照らされて仄かに明るい周囲を見回した。
「あのレディはどこだ?」
「そう言やいねェな。…まだ家の中か」
ゾロは舌打ち一つすると、すぐ傍のポンプから水を汲み頭から被る。
再び家に入ろうとした時、黒い影がいくつもゾロの行く手を阻んだ。
「おっと。貴様にはたっぷり礼をさせてもらおうか」
中心にいた大柄な男が言う。ゾロはチキ、と刀の柄を鳴らした。
「回りが早いから変だと思ったぜ…。てめェらか?ここに火を点けやがったのは」
「俺の島を乗っ取ろうとしやがった報いだ。しかし酒でも飲ませて起きねェようにしろと言っといたのに…あの女、裏切りやがったか」
「何だと…?」
「おい、クソマリモ。そんな肉ダルマとお喋りしてる暇なんかねェぞ。早くレディを助けに行け」
サンジが苛々と言い放つと、男たちの注意がそちらに向く。
ゾロは躊躇した。この場にサンジを置いておけば、格好の餌食となってしまう。先にこの連中を素早く片付けてから女の救出に行くかと男達に向き直ったら、サンジが怒鳴った。
「俺は大丈夫だから、さっさと行けクソ野郎!レディの安全守るのが最優先だろうが!!」
足がろくに立たない状態で何がどう大丈夫なのかとゾロは思うが、あまりにサンジらしい言葉に苦笑する。
「すぐ戻るから待ってろ」
「へっ。気にしなくても、俺は簡単に死にゃしねェよ」
サンジが家へと走って戻るゾロを見もせずに呟いた。流石に火中に入る気はしないのだろう、相手のいなくなった男たちが全員でサンジを取り囲む。
「えらく強気だな…こいつだろう、お前らがヤったってのは。まあ、顔だけは結構見られるがな」
大男がサンジの顎を掴み、後ろの方にいた男たちを振り返る。
「いやあ、具合もなかなかでしたぜ」
「ああ、なまじな売女より締まりが良くて」
「そりゃぜひ試してみてえな」
下品な笑い声に、サンジは顔から血の気が引くのを感じた。恐怖ではなく、怒りの為に。


ゾロは女の寝室へ向かったが、鍵がかけられているのに気づく。
乱暴にノックして呼びかけても返事は返ってこなかった。
仕方が無いので、扉を破ることにした。どうせここまで燃えてしまっては、家が壊れても大差ないだろう。
数回殴ると、木の扉が鈍い音をたてて外れる。
足を踏み入れると中は火の海だ。ゾロはベッドで意識を失っている女を抱き起こした。所々火傷はしているようだが、重症ではない。軽く頬を叩いて呼びかけると彼女の瞼が開いた。
「…私なんか…別に助けてくれなくても、良かったのに…」
「あァ?何言ってやがる。とにかく早く出て、あの連中も何とかしねェと」
「奴らがここに来たのかい…じゃ、分かるでしょ。私はあんたたちを嵌めたんだよ」
「なら…放火されると知ってて何でお前は、ここにいたんだ?」
「それは───」
「話は後だ。だいたいお前を放っといたら、あのコックから散々文句言われる」
話している間にも熱気と煙が押し寄せ、それに飲み込まれてしまいそうだった。
ゾロは窓を叩き割ると、女を抱えて勢いのままに飛び出す。

「どれ。連れてってゆっくり可愛がってやるか。…おい」
指示されて、二人がサンジの両腕を持った。「こいつを人質にすりゃ、あの剣士も言う事を聞くだろうしな」
「……人質…?」
サンジの語調は、まるで地を這うかのように低かった。俯いているせいで前髪が垂れて表情は見えない。
「今更怖がっても遅いぜ」
大男は口角を吊り上げるが…耳障りな音声に顔をしかめる。
サンジが笑っていた。
「貴様、何がおかしい」
「この俺が人質か。しかもクソマリモの為の?これが笑わずにいられるかってんだ、下衆どもが」
「ふん、口だけは一丁前だな。歩けもしない癖に…」
言うなり、拳をサンジの腹にのめり込ませる。衝撃に彼の体が二つに折れた。
「自分の置かれてる状況を思い知ったか」
「ああ…おかげで気合入ったぜ」
サンジが顔を上げると唇の端から一筋の赤い血が伝う。そして体を捩じると、渾身の力で男の脇に蹴りを叩き込んだ。巨体がもんどり打って倒れる。
「お頭!」
男たちが怯んだ所に、サンジは足を回転させ脇にいた男二人を弾く。まだ完全に力は戻ってはいないが、基本的な脚力が常人とは違う。
反動で軋むような痛みが太腿に走り、サンジはぐらついて転んだ。だが何とか壁伝いにゆっくりと立ち上がる。
「貴様、怪我人だと思ってたらナメた真似しやがって…」
大男が、斧を構えてサンジに近寄ってきた。
「ナメてんのはどっちだかね。感謝しな…俺が完璧に復活してたら、てめェは今頃あの世行きだぜ」
「まずはその減らない口から潰してやろう」
斧が振り上げられる───が。
「鷹波!」
剣士の攻撃が一閃し、男たちが次々に薙ぎ倒された。
家屋が焼け落ちて壁が崩れてくる。住民が集まってきて消火に努め、漸く鎮火されたがまだ燻りが残っている。空が白んできても、女は黒い家の残骸をずっと眺めていた。
やがて、ゾロとサンジの方を向くとちょっと来てくれないかと促す。
女が案内したのはサンジたちが打ち上げられたのとは違う、ちゃんとした港だった。女は黒いカバーをかけてあった小型の船を示す。
「この船をあげるよ。このへんは島の集まりだから…近くに大きな島もある。仲間を探すんなら、こんな辺鄙な所よりも見つかる可能性は高いからね」
ゾロはサンジを支えるようにして船に乗り、
「乗れよ。お前だって、もうここにいても仕方ねェんだろ」
と女に向かって手を差し伸べる。
「レディがいないと、その近くの島でさえ行けねェよ」
二人の言葉に、女はしばらく躊躇していたが少しして思い切ったようにゾロの手を取った。
船が進むにつれ、段々と島が遠ざかっていく。
指針を女の言う通りに取ると、半日も経たないうちに大きな港が見えてきた。
古い知り合いがいる、という女について街の酒場まで行く。サンジは足を引き摺り、やはりまだ通常通りに動かすのは辛そうだった。ゾロが肩を貸すと、渋々剣士に寄り掛かるようにして歩く。サンジが回復したと分かり、口には出さないがゾロは内心喜んでいた。
「やあ、久しぶりじゃないか。元気にしてたか?」
女の姿に店主は驚いたらしいが、嬉しそうに声を弾ませた。
「───麦わらの海賊?そう言えば…二、三日前に仲間を探してるとかで来てたな」
酒を振舞いながら、店主は大きく頷いた。ゾロが身を乗り出す。
「本当か。どこへ向かったか分かるか?」
「ああ。南の方にも島があるから、そっちも探すって言ってたが…」
ゾロが杯を一気に空けて、荒々しくジョッキを置くと席を立った。
「行くのか」
「近くにいる筈なんだ、行かなきゃ嘘だろ」
「…まあ、てめェはそういう性格だよな」
サンジも煙草を咥え紫煙をひとつ吐き、テーブルに手をついた。
保存できそうな食糧をいくつか貰って積み、再び船に乗り込んだ二人を女は見送りに来る。
「どうしてずっとあの島から出なかったか聞いていいかな」
サンジが、帆の準備をしているゾロを横目に言った。
「あいつと過ごしたあの家を…捨てられなかっただけだよ。もう今回のことで、キリはついたけどね」
「あいつってのは…君をここに連れてきた海賊か」
「うん。何年も前に海賊狩りにやられたって聞いたけど。自分でも馬鹿だと思っててもね、待っちまうのさ」
「……海賊狩りに?」
「ロロノア・ゾロってのは結構有名らしいね」
「───」
縄を握っていたゾロが曰く言い難い表情で、女を見た。
「…恨んだりしてるんじゃないよ。だいたい、噂なんてアテにならないからね。一緒に住んでみても、あんたが魔獣なんて呼ばれてる男とは思えなかったし」
女は気を奮い立たせるかの如く、明るい調子で手を振った。
「ああ、ごめんね。こんな事は言う気はなかったのに…。じゃ、元気でやりなよ」
「レディも。自分を大事にして」
サンジが微笑むと、一瞬女は泣きそうになるが無理矢理笑顔を作る。
「…分かったよ。本当に変わった海賊だね、あんたたちは。でも、会えて良かった」
静かな風を受け、船は海へと緩やかに滑り出した。


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