楽園追放 3

 


「こっちだよ、先生」
女がふらふらと道を逸れそうになる、その男の腕を軽く引っ張った。
「ああ。分かっとる分かっとる」
何度も頷くが、酔っ払ってるんじゃないかと思わせるほど足取りが覚束ない。
「…この爺さん、本当に医者なのか?」
太い枝を肩に担いだゾロの不躾な言葉にも、初老の男は応えたふうでもなかった。女は苦笑して、
「素人よりゃマシな程度だけどね」
通りを奥に進めば茶色の建物が見えてくる。ここは、もともとこの女の住居であるらしかった。平屋造りのこの建物は部屋数も意外に多いみたいだが、ゾロは自分の寝ている部屋と食堂を兼ねた応接間くらいしか入ったことがない。
扉に手をかけると、中で不穏な物音がした。ゾロと女が顔を見合わせる。
───応接間に足を踏み入れると、窓から幾つかの人影が飛び出していくのがゾロの視界に入った。
むっと鼻を突く臭い。
汗と体液の入り混じった……。
ゾロは訝しげに眉を寄せる。ゾロ達が出て行った時と部屋の様子はあまり変わっていない。
サンジは背の倒されたカウチに長い腕と足を投げ出して寝そべっていた。
ズボンは床に投げ出してある。最初はシャツ一枚だけを着ているのかと思ったが、今のそれは衣服としての用は成さず背中にかけられているただの布に過ぎなかった。
「…おい」
ゾロはサンジの肩に手をかけて体を返す。サンジはしばらく焦点の合わない目をしていたが、漸う剣士を見上げた。その瞳の暗さに、ゾロは次に発する言葉を失う。
乱れた髪と顔に残る痣、所々血や精液がこびりついたサンジの体を見れば、彼に何がなされたのかは明らかだった。
「───酷いね」
女が厳しい顔でポツリ言うと部屋を出て、湯を張った桶を持ちすぐに戻ってくる。
そして絞ったタオルでサンジの体を拭き始めた。サンジは無表情で、されるがままだ。
ゾロは何故かじっと眺めているのも憚られる気がして、目を背けた。
女が拭き終わるとサンジにシャツを着せ掛けた。下着とズボンを拾うと、サンジは腕を伸ばす。
「自分で着られるから」
「分かったわ。でもとりあえず下着だけで…医者を連れてきたからね。先生、頼むよ!」
部屋の入り口にいた男に声をかけると、座り込んでウトウトしていた医者が欠伸をしながらサンジに近寄った。
足や腰を触りつつ、反応を確めている。
頼りない様子だが一応は医者らしき仕草にゾロは少し安心して、部屋を後にした。自分がいても出来ることは何もない。
やがて、女と医者が話しながら扉を開けて出て来る。彼女に数枚の札を手渡された医者はこれでまた酒が飲めると上機嫌になって帰って行った。
「で、どうなんだ」
「骨はせいぜいヒビくらいで、折れてはないらしいよ。多分岩礁に挟まれて腰をやられたんじゃないかって。一時的なもんだろうって話だけど……まあ、あの先生の診断じゃ絶対って保証はないけどね」
洗面器を抱え直すと応接間をちらと一瞥する。「可哀想に。大体やった奴らの見当はつくけど…。あんたがこの島を取り仕切るのが気に入らないんだろうね」
「俺はここにずっと住む気なんかねェぞ。何度も言ってるだろ」
「そう思ってないよ、皆は。…私もね」
女が洗面所の方へ行ってしまうと、ゾロはその場に立ち尽くした。

───欲望に追い立てられた汚らしい手が、絡んで纏わりつく。
深々と貫かれた痛みはこれまで経験したどんな辛さとも違っていた。
激しく楔を打ち込むように、男たちは次々と交替して痩身を犯した。
突かれ、揺さぶられ、覆い被さられ、性の狼藉はいつ終わるとも知れなかった。いっそ下半身が麻痺でもすれば楽だったろうに、それすらも許されない。サンジ本人の意思に関係なく入ってくる圧迫感は夢でも何でもない実際の出来事なのだと教え込まれた。
猿轡は、悲鳴を抑えるのもあり汚辱に絶えられず舌を噛み切ってしまうのを防ぐのもあったのだろうか。
サンジはだかしかし、どちらもする気はなかった。
男と交わったことなど今までに一度もなく、苦痛も全く去ってはくれない。それでも。
助けを乞うのも真っ平ごめんだったし、自分の命を削って反撃するなど下劣な連中には勿体無すぎだと内心せせら笑う。
こんな事で自分の矜持は傷つかないと思った。
外面の暴力が内面にも移っただけだと思った。
だから。この程度の事には屈しない。
屈してたまるかと。
反芻などする気はないのに、先刻のことがまざまざと甦ってきてサンジは頭を振った。
我が身を抱き瞼をギュッと閉じるが、人の気配を感じてすぐに目を開ける。所在無さげな剣士に、サンジは威嚇宛ら身構えた。
「…何だよ?まさか慰めようってんじゃねェだろうな」
「そうじゃねェ」
「じゃあ何だ。笑いたきゃ笑えよ。無様に男なんかに掘られて、おかしいだろ」
サンジは自虐的に口元を歪める。
この男に下手な労りはできない、とゾロは感じた。
可哀想にとあの女は言ったが、もしゾロがそんなニュアンスの台詞を漏らせばサンジを怒らせるだけだろう。
「───俺の、せいかもしれねえ」
だが、これも正解ではないらしかった。サンジがきつく睨みつけてくる。
「思い上がんな。てめェにゃ関係ないこった」
「……」
「俺の魅力は野郎にまで効いたみてェだしなァ。あいつら、誉めてたぜ?いいカラダしてるってよ。お前もそう思うか」
「馬鹿言ってんじゃねえ」
真意はどうあれ上辺は平然とした調子で揶揄するサンジに、ゾロは顔を顰めた。




素振りをしていたゾロはある程度の数をこなすと、裸の上半身に流れる汗を拭う。
慣れない土地とは言え、日が過ぎればそれなりに生活のリズムは決まってくる。特に戦闘などがあるわけでもないし、ゾロは時間があれば鍛練に費やしていた。
サンジがこの島に着いて三日、つまりゾロが来てからは十日ほどが経つ。妙に宙ぶらりんな状態だった。ゴーイングメリー号のクルーたちはきっと自分たちを探しているだろうとは思う。ゾロ一人なら我慢できずにどうにかして船を手に入れ当てもなく再び海へ出たかもしれないが、サンジの存在がブレーキをかけている。
彼の下半身は未だ回復の様子は見せず、あの医者はやっぱりアテにはならないんじゃないかとゾロは女に詰め寄りそうになったが詮無いことだと諦めた。
ふう、と息をつき空を見上げれば、ぽっかり丸い月が浮かんだ空。
彼は酒でも飲んで寝るかと、家屋に入った。静かな廊下を歩いていたゾロは、何かが割れる音に耳を欹てる。台所だ。
中に入ると、サンジが座り込んでいる。傍には割れたグラスと皿の破片があり、ゾロはそれを避けてサンジに駆け寄った。
「何してんだてめェは」
「……ちょっと、喉乾いただけだ」
「誰か呼べばいいだろ」
「うるせェな。俺は寝たきり病人って訳じゃねえぞ」
大差ないだろうと感じはしたが口には出さず、ゾロはサンジを椅子に座らせた。
棚からジョッキを二つ出して酒を注ぎ、サンジに渡す。喉が乾いていたと言う割に彼は一口含んだだけで、テーブルにジョッキを置いた。
ゾロは大雑把に床を拭って破片を隅に集めると雑巾を流しに放り込む。そして自分も長椅子に腰をかけ、ごくごくと一気に酒を空けた。再び酒を注ぎ今度はちょっとペースを落として飲みながら、剣士は行き場のない視線を彷徨わせる。
長い間同じ船で過ごしてはいたが、コックと差し向かいで酒を飲んだことなど殆どない。何度か甲板でなし崩しに一緒に飲んだりした記憶はあったが…。その時もサンジのおしゃべりに適当な相槌を打っていただけだ。元来無口な男である。
例の事件もあり気まずさ故に、ゾロはひたすら無言で酒を飲んだ。
一本空けてしまってから、横のサンジがあまりに大人しいのでふと気になり彼を見る。
サンジは、テーブルに肘をついて手の甲に顎を乗せていた。ゾロを見もせずにぼそっと呟く。
「…料理を」
「あ?」
「料理、作ろうと思ったんだ」
まるで独り言のようにも聞こえる小さな声だった。「何だか、忘れちまいそうな気がした」
「いくら何でも、そんなすぐには忘れねェだろ」
「俺はコックだ」
「んな事ァ分かってる」
「コックで、海賊だ」
「…分かってる」
「それを忘れたくなかった」
サンジの口調は静かなものだったが、唇は戦慄いて表情は固い。それを隠そうとするかの如く彼は自身の腕で頭部を抱え込んだ。
「けど…俺が忘れなくても……こんな足じゃ、コックにも戻れねえんだよ…!」
あまり食が進まないせいかサンジは以前よりも痩せて、微かに震える背中はいっそう小さく見える。
ゾロは何と言っていいものか分からないまま、サンジの肩に手を置いた。サンジは一瞬身を強張らせたが、退けはしなかった。ただ、乾いた笑みを浮かべる口元がちらりと覗いた。
「───哀れんでるつもりか。ハッ、マリモに同情されるなんざ俺も堕ちたもんだぜ」
彼が強がれば強がるほど、それはどこか空虚で儚さを感じさせた。
「……もう黙っとけ」
らしくない、とは己で考えつつも手に少し力を込めて、宥めるように彼の背中をそっと擦る。普段と違うサンジにはやはり戸惑ってしまう。
辛いなら辛いと言えばいいのに。誰もそれを責めたり蔑んだりはしない。
無論、できるなら自分に対して弱みをさらけ出すコックなど見たくはなかったが。
早く元に戻ればいい、そう思った。

 

 

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