羽根のない鳥 5

 

 

「だから俺はそこで店の親父に言ってやったんだ。爺さん、八股の洞窟を潜り抜けたウソップ様を甘く見てもらっちゃ困るぜ…ってな」
「かっこいいな、ウソップ!それからどうしたんだ?」
歩幅が狭い分足を忙しく動かしながらチョッパーが瞳を輝かせた。
「そりゃあもうひれ伏して恐れ入りましたてなもんよ!まあそんなくらいで恐れいるのはまだ早いってやつだ。何しろ俺の冒険奇譚はまだまだあるしよ。そうそう、あれは確か人魚の宮殿と噂される離れ島に行った時──おい、チョッパー聞いてんのか」
ゴーイングメリー号が近づいてくるにつれ、トナカイが不審そうに鼻をひくつかせている。
「あ、ごめん。船から妙な臭いが…それに血も…」
二人は急いで甲板に上がったが、異変があったのはすぐ見てとれた。
ところどころに散った血痕、壁の木が割れ床も一部が抜けている。
誰かが隅の方に倒れているのに気づき、チョッパーが駆け寄った。
「ゾロ!…サンジも!」
剣士がコックの上に重なる形で、二人とも意識はない。トナカイが医師の顔になった。「もうすぐ夜になる。ウソップ、とりあえず格納庫に二人を移すから手伝ってくれ」
「お、おう!」
清潔な布を床に敷き、二人を横たわらせる。「──誰かに襲われたのかな。どうだ?怪我の具合は」
「うん…サンジは頭部の傷だけだな。ゾロがかなり酷い…サンジを庇ってたのかもしれない」
てきぱきと手当てをしながらも、トナカイは厳しい表情だった。冷たい消毒薬を塗布すると、サンジがう、と小さく唸る。
「サンジ、気がついたのか?あ、起き上がるならゆっくりと」
「……」
サンジは半身を起こしたものの、ぼんやりと周りを見回しやがてその視線はチョッパーとウソップに落ち着く。「ここは…格納庫、か」
「うん。俺のこと分かるか?」
「…チョッパー」
「こいつは?」と狙撃手を指差す。
「ウソップ」
「…大丈夫、かな」
「大丈夫って何がだ?」
血が染みたガーゼを片しながらウソップが首を傾けた。
「いや、頭の怪我は見た目が軽くても後が怖いから意識がはっきりしてるかどうか確認しないと。何日か過ぎてから昏睡状態になったりする事もあるし…。サンジ、話せるようなら何があったか言ってみてくれ」
「…船を…襲った奴らがいてな。不甲斐ねェがやられちまった」
「きっと神経の一部を麻痺させるような薬が撒かれたんだと思う。ゾロはそれでもきっと必死に抵抗して追い払ったんじゃないかな」
「──ゾ、ロ…って?」
その名前はサンジの口からぎこちない発音で機械的に零れる。
チョッパーとウソップがサンジを唖然と見ると同時に、バン、と強風の為に扉が勢い良く閉まった。




すべてが疑問だった。
何で。どうして。
サンジに関しては出会った頃から理解できない人間だという括りはしていたが、ここのところ特に言動が掴めなかった。
喧嘩はしょっちゅうで好かれる所以もないが、けんもほろろな態度だったのに突然友好的に酒を持ってきて好色な誘いをかけてきたのには驚いた。女好きのコックがまさか、そんなことを言い出すとは思わなかったのだ。
断ればあっさりとサンジは引いた。
冗談だと暗い顔で笑っていた。
ゾロは本当に男を抱く気などなかった。性欲処理に事欠かないと言えば嘘になるが、鍛練に勤しむのがやはりゾロにとっては第一である。
最初にサンジを抱いた夜だってそんな気はなかった。
強い口調とは裏腹に、彼は手負いの獣みたいだった。言葉では反発しゾロを跳ねつけているのに、冷たい拒絶の表情なのに、どこか縋るような目をしていた。
この前からちょこちょこと干渉したいのかそうでないのかすっきりしない素振りを繰返している彼に、いかに物に頓着しないゾロでもいい加減不審さを感じた。
何が言いたい?いったい何を隠してる。
苛立つ。
その強気は、果たしてどこまで保てるか。試してやろうという気になった。

もっと酷い事を言ってみたらどうだろう。
もっと酷い事をさせてみたらどうだろう。

どうすれば──あの仮面が剥がれ落ちるんだろう。

分からないから、ひとつひとつ踏み込んでいった。
わざと彼の自尊心を踏み躙るような真似をさせた。
それでも彼は嫌そうな顔も見せず、いや見せたくなさそうに。いつもの不遜さは崩さぬままにゾロを受け入れた。
手軽に、やらせてやってもいいなどと言うものだからひょっとして男に慣れているのかとも思ったが実際にやってみれば決してそうではなかった。
初めて体を交わした時も挿入は随分ときつかった。処理し合うも何も彼自身は最初から最後まで萎えていて、ゾロは彼の中に吐き出したものの自分が欲しい答えは結局全く見つかっていないと気づく。
そうだ、そもそも抱けといったのは彼だ。だが、どうしてそんな事を言い出したのかは不明なままである。
もし酔狂にも自分に抱かれたいと思っていたとしたら、満足してもいいのにそんな様子は欠片も感じられない。
彼は辛そうだった。快楽を追うにしてもゾロを欲しかったにしても、どちらにせよとても辛そうで、それなのに拒まない。
何もかもがゾロにとっては矛盾だらけで、要するに。

不愉快だった。

疑問を解決したくても、会話をするとつい諍いになってしまう。牙を剥く相手に穏やかに話ができる成熟さはゾロも持ち合わせていない。同年齢なら尚更だ。
故に体を求めてみた。一方的に抱くのではなく普通にセックスをすれば、少しは彼のことが分かるだろうかと。然程抵抗なく同性を抱けるのが我ながら不思議でもあったが彼が己を抑えこんでいる様は扇情的でもあり、どこか嗜虐心をそそる。
しかし体を重ねてもサンジの頑なな状態は変わらなかった。数回抱いても上滑りするばかりで、彼の中をどんなに探ってもその本心は途方もなく深い場所にある気がした。
それとも奥には大して何もないのだろうか。空っぽで、だからこそ見つけられないのだろうか。
ヘラヘラした男だがルフィが認めて連れてきたのだから、それなりに芯は通っているだろうと無条件に思っていたが、とんだ見込み違いか。
やはり、まず言葉で率直に問い質せば良かったのか?
サンジの今までの振る舞いからして簡単に答えるとは考えられないが、取っ掛りさえみつければ、引き摺り出してやるのに。
そう思いサンジに話しかけようとした矢先、船が襲われた。
海賊稼業ではそう珍しいことではない。まともに正面からかかってくるのではなく戦術を多少練ってくる相手も過去にはいた。
しかしサンジが白煙の中倒れるのを目にしてゾロは冷静さを欠いて飛び出していた。バンダナは咄嗟に巻いたもののどうしても撒かれた薬を吸い込みいつもほどに剣は振るえなかったが、十数人いた敵を斬り散らした。気絶したサンジを抱えて。
向こうの意図が計り知れないだけに、彼から離れる気はなかった。

手を出すな。
こいつには聞かなきゃならないことがある。

敵が逃げていくのを霞む視界で確認してから、ゾロはサンジの上に覆い被さるようにして意識を手放した。

──胸の辺りを触られた。続けて冷たい感覚が走る。
まだ敵が残っていたのかと、ゾロは重い瞼を開いて跳ね起き、その手首を取った。
サンジがゾロの力のきつさに眉を寄せて、やんわりと解く。
「…大丈夫なのか?無理しない方がいい」
「あ?」
ゾロが顔を顰めると、チョッパーが扉を開け入ってきた。
「ゾロ、起きたんだ?良かった。でも、しばらく大人しくしてなきゃ駄目だぞ。今サンジが冷やしてくれてただろ」
言われてみれば枕元には氷水を張った洗面器があり、サンジがタオルを手にしていた。
ゾロは自分の包帯だらけの体を見下ろす。
「船に来た奴らは…どうした」
「俺達が帰ってきた時はゾロとサンジしかいなかったな。今ウソップが街にいる皆に知らせに行ってるから。話はそれからだよ。ゾロ、特に痛いところとかはない?」
「なんてことねえ、これくらい。それより腹減った」
「全体的に痛い筈なんだけどなあ…。まあ何か食べられるなら、消化の良いものを」
チョッパーが息をつくが、煙草を咥えていたサンジが頷く。
「分かった。リゾットでも作ろう」
途端煙草は駄目だとチョッパーに取り上げられた。
「…おいクソコック。てめェは平気だったのか」
出て行きかけたサンジが振り向いて微笑む。
「ああ、きっとあんたが庇ってくれたおかげだと思う。ありがとう、ゾロ」
呆気に取られているゾロには構わず、サンジは格納庫を出てキッチンに向かった。
「おい、チョッパー。あいつ、おかしいぞ。俺の事をあんたとか…」
「うん、と」
トナカイは困ったように顎を掻く。「サンジ、襲撃を受けた時に頭を何かで殴られたらしいんだけど…そのショックによる記憶障害じゃないかと思うんだ」
「記憶って、じゃあ全部忘れたってことか?でも今メシ作ってんだろ」
「全部じゃなくて、ゾロのことだけ…みたいで」
「何だって?名前は呼んでたじゃねェか」
「それは俺が言ったから覚えたんだ。でも他に外傷もないから、普段どおりにするのが一番いいかと思って──きっと、すぐ回復するよ」
「俺のことだけなんて、そんな都合の良い忘れ方があるかよ。実は何ともねえのに、ふざけてんじゃねえのか、あの野郎」
冗談にしてはあまりに度が外れているが、にわかには信じられずゾロはキッチンの方を睨む。
「もしサンジがゾロに対して何か特別な拘りを持っていたとしたらありえないとも言えない」
「拘り、だと?」
「記憶って例えるなら頭の引き出しの奥にしまって出すのが普通なんだけど、忘れたいって強く思ってたら何かのきっかけでそれが出てこなくなったりするんだよ。最近、サンジと揉めたりしなかった?」
チョッパーは何気なく聞いただけなのだろうが、ゾロは厳しい表情で口を閉ざした。


…散々訳の分からない行動で振り回しておいて、忘れたいだと。
そいつはちょっと虫が良過ぎやしないか?


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