羽根のない鳥 2

 

 

「バッカじゃねェの?」
明るく笑うサンジを、ゾロは訝しげに睨む。
「あァ?」
「冗談に決まってんじゃん。てめェが真面目なツラすんのが面白くてよ…からかっただけだ。本気にしてんじゃねえって」
「えらく笑えねェ冗談だな」
むっとしたゾロを殊更煽るようにサンジはオーバーな動作で、
「やれやれ。大剣豪になる男が、こんくらいで怒るんじゃねえよ。器が狭ェぞ」
ますます口角を吊り上げて、斜に構えてみせる。
…表情だけなら、完璧に笑顔でいる自信はある。
「余計なお世話だ」
フンと鼻を鳴らして、ゾロは酒のグラスを空けた。
無愛想だが明らかに安堵のため息をつきながら。
正直な剣士は隠そうともしない。ホッとしたその様子を、サンジは目に入れない事にした。既にゾロの気持ちは分かったのだから。もう、充分過ぎる。
「飲むのはいいが、ちゃんと見張りしろよ」
言い置き、背中を向けた。
目的は果たせなかったがとりあえず用件は済んだのだし、自分が近くにいてはゾロも寛げないだろう。元々一人を好む男である。
夜中のキッチンはサンジの城だ。だが、今は同時に牢獄でもある気がする。料理に打ち込めば他の事柄は頭の隅に追いやることはできるが、決して忘れたりはできないのだ。
サンジは弱火にかけてある深鍋を二、三度掻き回すと、椅子に座り肘をついて自らの頭を抱え込んだ。
──強く肩を叩かれる。
うとうとしてたらしい。見上げるとルフィとチョッパーが傍らにいる。
「サンジ、朝メシ!」
「お?おう。朝か…ちょっと待て」
半ば機械的に流し台に向かって調理を始める。下拵えは殆ど済んでいるし、ずっと繰り返してきた作業に迷いはない。
朝食を並べるうちにナミやロビン、そしてウソップもやってきた。
「サンジ、こんな所で寝ちゃ駄目だ。いくら丈夫でも体壊すぞ」
チョッパーが咎める。
「ああ、悪ィな。ちょっとうっかり寝ちまっただけだから、心配すんな」
「だったらいいけど…サンジ、ひょっとして不眠症とかなんじゃないか?精神安定剤でも調合しようか。なるべく習慣性のないやつ」
「そうだな、また今度頼む」
そうでも言わないとトナカイは引っ込みそうになかったのでサンジは頷く。スープの皿を配り終えたが、まだ剣士が来てないのに気づいた。
「いっただきまーす!」
ルフィがパンに齧りつくのを横目に、サンジは甲板へと出る。
ゾロの姿はない。まだ見張り台にいるのだろうか?
上がってみれば、案の定剣士は高鼾をかいている。呑気なものだ。
さっぱり見張りになってねェなとゾロを起こしかけて、少し躊躇った。
しばらくしてから、ゆっくり手を伸ばしてゾロの腕を掴む。
「おい、起きろ」
剣士が瞼を開いた。サンジの顔が間近いのが分かって、反射的にか後ろに素早く身を引く。
「…何警戒してんだ?アホかてめェ」
「気味悪い起こし方すんじゃねえ」
ゾロは深呼吸すると、立ち上がって刀を差し直す。
「ケッ、人が優しく起こしてやりゃ随分な言い草だな。蹴られた方が嬉しかったかよ」
「うるせェ。いちいち突っ掛かんな」
眠気もあって小競り合いするのも面倒なのか、素っ気なくゾロが先に下りて行く。
──剣士が避けたのは本能に近いのかもしれない。
額面通りに悪ふざけと受け取ったかどうかは不明だが、あまり進んではコックに関わりたくないのだろう。揶揄されたにしろ本気にしろ、性質が悪いのに然したる違いもない。
サンジはふっと唇を歪めて小さく呟いた。
「…触られるのも、嫌か」
そして自分もキッチンに入った。すっかり料理人の顔に戻って。

 

「島があるけど、どうする?サンジくん」
数日後、すり鉢でみかんの皮を潰しているサンジにナミが問う。
「え?どうするって。俺に聞くの?」
サンジは手を一旦止めて、へらっといつもの調子で答えた。
「食料関係が大丈夫かなと思って」
「うん、まあ保存食はまだあるけど」
「でもその次となると、日にち空くわよ?わりと長く航海続いてるから、降りて皆も発散したほうがいいかもしれないわね」
「発散?」
「そう。特に船長とか」
ナミはちょっと舌を出し、「それに大きめの島だから、カジノとかもあるらしいの」
サンジは、ゾロが刀を研ぎたいと言っていたのを思い出した。
「じゃあ、上陸しようか」
「オッケー」
海図を丸めると、ナミがクルーたちに知らせる。航海士の一声は、ある意味船長のそれよりも絶対命令だ。
帆を引き、向きを調整して指示通りに各々が動く。風は強めだったが、その分到着が早くなった。
錨を下ろすと船長を始めそれぞれが、好きなように町へと繰り出す。特に大量に買い出すでもなく荷物持ちも不必要だった為最後に残ったサンジは賑やかな港を眺め、成る程なかなか発展していると感じた。
ナミが言ったように、自身の気分転換にもなればいいのだが…。
目新しい調味料の瓶を買った後どうしたものかと時間を持て余し、店が並ぶ道を歩く。やや人の多さに閉口して大通りから外れると場末の酒場があった。
飲んでもいいのだが精神の安定しない状態では酔いも早いだろうし、厄介を引き起こすのは不味い。
踵を返したサンジの前に、女が佇んでいた。
「ねえ。お暇なら奢ってくれない?」
栗色の長髪がさらりと靡いた。派手で熟れた化粧と無意識に媚びを売る体つきは、一見して商売女と判断できる。
サンジは大きな瞳を瞬かせているその女に恭しくお辞儀してみせた。
「そりゃあ、君みたいな女性と過ごせたら光栄のいたりです。でもごめんね、金がないんだ」
柔らかく微笑む。「あ、お節介をひとつ。髪はアップにした方がより綺麗だと思いますよ、レディ。解く楽しみも男に与えてやって」
ヘンな子ね、と女がくすりと笑ったのが後ろで聞こえた。
ゾロを想っていても、女を嫌いになった訳ではない。しかし、少なくとも今みたいな気分で抱くのは女性に対して失礼だと思う。
折角だし適当な宿でも取った方がいいかと考えて辺りを見回すと近づいてくる男がいた。どうも、こちらをずっと窺っていたらしい。
「よう。宿を探してるなら紹介するぜ。見ない顔だし、旅の途中なんだろ」
またか、とサンジはげんなりした。一人になりたくもないが、他人に構われるとそれはそれで疎ましい。
「気安く声かけんじゃねェよ。放っといてくれ」
先刻と違い今度は男なのでサンジも容赦ない態度だ。男は気分を害したふうでもなく。
「おいおい、兄さん。さっきとえらい違いだな。女相手にゃニコニコしてたのに」
「てめェの知ったこっちゃねェ。言っとくが、たかろうとでもしてんならお門違いだぜ」
サンジはその外見上、大して強くないと見なされる事が度々あった。しつこく絡んできた手合いは大抵数秒後に後悔することになる。
「へえ?」
「まあ、信じられねェなら体に教えてやってもいいがな」
苛ついているので手加減するのは難しいが。穏やかに話を続けるほどの忍耐力もなかった。
男は両手を軽く上げてニヤリとする。
「体にねえ…是非お相手願いたいぜ。どうだ、ゆっくり酒でも飲んで話さねェか?」
サンジは複雑な心境になった。
つまりこれは、誘われているということなのか。
自分はそんなに物欲しげで、誰かに頼りたそうな顔でもしているのだろうか。
どう拒絶するか、或いは無言で蹴りでも一発くれてやるかと思った矢先。
脇道から出てきた二人連れが視界に入る。
ゾロだ。
隣で親しげに腕を組んでいるのは、さっきサンジに声をかけた女だった。
刹那、彼と目線が合う。
ゾロはややばつが悪いのか、間を置かず反らした。女に絡められた腕は解こうとはせずそのまま。
(なるほどね)
禁欲的に見えても、そして真っ直ぐ強さへの階段を上っているだけのように見えても、ゾロとて普通の男なのだ。一夜限りで女を買うこともあるだろう。おそらくはこれまでだって、あっただろう。
それは当然で、非難するような事では全くないけれど。

──ゾロは、絶対に自分を抱いたりはしないのだ。
例え行きずりの女を抱いても。


その確信が胸に広がり、サンジは大地が揺らぎそうな感覚に襲われた。
「おい…どうしたんだ」
男に揺さぶられて、ハッとする。「大丈夫か?」
サンジはぼんやりと男に視線をやった。よく見ていなかったが、逞しい体つきの男である。肌蹴たシャツの間から覗く腹筋。ゾロ程ではないにせよ、そこそこに体は鍛えているのだろう。
「何でもねえ。…それより」
この男がゾロではないのも、自分がやろうとしている行動の愚かさも承知している。「酒…奢ってくれるんだっけか」
ただ、ここではない場所に行きたい。あの剣士から少しでも離れなくてはならない。
「おや、これまた急に気が変わったもんだな」
「文句あるなら別にいい」
「いや、ないさ。いい宿を知ってるから案内しよう。酒も用意させる」
喜んだ男が親しげに腰を抱くのに一瞬身を硬くするが、退ける気にもならなかった。

…平気になるから。そのうちに何だってきっと。

考えるのを止めてしまえば、とても楽になれる。

 

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