眩くて眩し過ぎて、目を背けてしまいたい。
頼むから、忘れさせてくれ。
あの鮮烈さ。
あの焼かれるような熱さ。

 

羽根のない鳥 1

 

 

 

「返せてめェコラ!」
サンジはルフィの口から出ている腸詰のソーセージを持つ。
「いやら〜」
船長は自らの頬を両手で押えて、させまいと踏ん張る。その腕をサンジは引っ張っていたが、やがて舌打ちすると諦めたのか手を離した。伸びていた腕が縮まり、反動でルフィが船のメインマストに衝突する。
「まったく人が保存する端から食い散らかしやがって…。また最初からやり直しだ」
「お疲れ、サンジくん」
女部屋から伸びをしながら出てきたナミがサンジに声をかけた。
「いえいえ、ナミさん。お茶でも淹れようか」
「うん。それにしても大丈夫?まだ次の島まで結構あるわよ」
「この前、余裕見て買い物したし平気だよ。食われたのは、油断してた俺も悪い」
ちょうどストック用の容器に色々と移し替えて其々の残量などを計算していた所で、ルフィが忍び込んでいたのに気がつかなかったのだ。
キッチンに戻ったサンジは小鍋に紅茶とミルクを煮立たせ、二つのカップに注ぐと昨夜作り置いてあったクッキーと一緒にナミのところまで運んで行く。少し考えてから、デッキの上にも移動した。
「ロビンちゃん、冷えない?ティー・オーレでも如何でしょう」
本から考古学者が顔を上げた。
「まあ、ありがとう」
シンプルなデザインのカップを受け取り、「寒いから温まるわね。あなたは飲まないの?気配り上手なコックさん」
「貴女のその笑顔だけで、俺の胸はポカポカです」
「だといいけど」
ロビンは微笑みはさず、本に視線を戻した。サンジはちょっと目を見開いたが、彼女は本の世界に再び入ってしまったのが分かるので無言で階段を下りた。
キッチンの中は、先刻整理をしていた状態から変わっていない。
日付順にラム漬けの果実などが入った瓶を調味料の棚の奥に並べる。それが済むと朝から酒に浸しておいた肉を冷蔵庫より出して香辛料を振り、小麦粉を塗していく。
おやつはとっくに済んでしまった。下拵えできることも、今日のところはもうない。
三日かけて煮込んでいるスープもしょっちゅうアクを取っては水を注ぎ足しているのだが、それも先刻したばかりだ。
何か。何かないだろうか?もっと、忙しくしていたかった。
前はそうでもなかったけれど、最近頓に空白の時間は嫌いだった。
洗濯でもするかと思ったがそれにはやや時間が遅い。サンジは、多分この船ではサンジの次に忙しいウソップを探す。男部屋に居なかったので今度は後尾を覗いたが、望む狙撃手ではない姿が視界に入ってしまった。
ゾロはサンジの存在には気づかないのか背中を向けて、一心不乱に鉄の塊を振り回している。踵を返す時カツンと音がしたせいか背を向ける気配がしたせいか、やっと素振りを止めた。
剣士は裸の上半身に伝う汗を拭う。
「…何か用か?」
「てめェなんかに用はねえ」
サンジは振り向きもせずに言い、その場から立ち去る。
隆起する逞しい胸に、斜めに走る深い傷。あれはきっと一生消えないものなのだろう。
例え剣士が鷹の目に勝ち、世界一の座を手中に収めたとしても。
狭い船内をうろうろしてやっとウソップを見つけたのは、格納庫だった。
「薄暗い所で何コソコソやってんだ」
話しかけられて、ウソップはゴーグルをぐいと上げた。
「ああ。新しい武器の研究で集中したかったからさ」
「船の修理でも手伝おうかと思ったんだが…それどころじゃなさそうだな」
「今んとこはな。それよりサンジ、お前昼寝でもした方がいいんじゃねえのか?チョッパーがサンジが寝てないんじゃないかって心配してるぜ」
「別に寝てないって訳じゃねェよ。チョッパーは心配性だからな」
サンジが苦笑し、邪魔したなと呟いて格納庫を出た。
顔色が良くないのは自分でも承知しているし、クルーの体調に人一倍神経を使っているチョッパーはサンジがあまり睡眠を取らずキッチンにいるのを気遣うのは当然かもしれない。
形だけでも、ハンモックに入り眠っている素振りでもするかなと思いながら煙草を噛む。
だが、眠れもしないのに暗闇でじっと何もせずにいるのは今のサンジには拷問に等しかった。
動いていないと頭に浮かぶのは、尤も考えたくない男の事。
萌黄の短髪。身長は変わらないけれど自分とはあまりに違う逞しい体つき。同じ船に乗ってはいても、自分とは生きる場所があまりに違う剣士。
最初から道が違うのは分かりきっていて、だからこそ鼻につく存在で。
サンジにしてみれば、ゾロの行動すべてが馬鹿馬鹿しい。
それなのに捨て置けず、記憶に鮮やかなほど残っていた。
船に乗り込んで随分な時が経つが、それでも。
志を捨てず派手に血を吹き、倒れた姿が未だに忘れられない。
強くなる。
強くなる。
彼が求めているのは、ただそれだけなのだ。
損得を考えた器用さはなく、体当たりに近い荒削りなものだったがゾロは着実に前へ進んでいる。
反らさず俯かず、頂点を見据える鋭い瞳。…決してこちらを振り返ったりはしない、瞳。
揺るぎなく進んで行く剣士の背中を、サンジはいつからかずっと見つめていた。
アラバスタでの戦いを終えてから、ゾロはまた何かひとつ新たな階段を上ったらしい。そして、それぐらいからサンジのやりきれなさも募り膨れ上がっている。
ゾロみたいな男を懸想しても、仕方ないのは分かっている。
しかし認めたくなくても、自然彼を目で追い姿が見えない時まで頭に浮かぶようではどうしようもない。サンジは剣士と違ってそういう心理状態には敏感である。女性相手とは当然少し違った感情だったが。
もうこれ以上普段通りに接するのは限界にきていると思った。
このまま睡眠も殆ど取れずに働き尽くめで倒れたりしては、元も子もない。
船を降りたくはなかった。サンジ自身にだって目標はある。ルフィからも今は離れられない。それにゾロ以外のクルー達も仲間としてとても大事なのだ。
叶わないなら、それはそれで諦めるしかなかった。いい加減出口の見えない堂々巡りにけりをつけてしまいたい。
この気持ちが伝わらなくてもいい。出来るならば、体だけでも。
サンジは僅かに耐えかねたように吐息した。



気も漫ろな夕食が済み、クルー達が寝静まる頃。
サンジはせっせと作り置いていた料理の中からゾロの好きそうなものを選びトレイに乗せた。隠していた上等の酒と一緒に。
今夜はゾロが不寝番だから夜の鍛錬はしないだろうと見込んで、見張り台へと上がる。
「真面目にやってっか、クソマリモ。差し入れだ」
「…えらく気が利くな」
ゾロは少々驚いた様子だ。最近以前にも増して刺々しい態度だったサンジが穏やかだからだろう。そうなると自然ゾロの応対も和らぐ。
加えていい酒なのは分かるらしく、いつもよりペースを落としてじっくり味を楽しんでいるようだった。
「珍しい事して、雪でも降らなきゃいいけどよ」
「まあ、冬島が辺りにあるらしいからな。それも洒落になんねェぞ」
ペースが遅いと言っても、やはりサンジよりは早い。サンジはグラスの底に数センチ程酒を注いで琥珀色のそれをちびちび舐めていた。
「次の島は近いのか?」
「いや。上陸予定なのはまだだってナミさんは言ってたが…。んだよ、早く島に降りたい理由でもあんのか」
「刀を研ぎたいだけだ。それに、鞘が少し撓んでいる気がするしな。いい武器屋があるといいんだが」
「へっ。相変わらずスカして面白味に欠ける野郎だぜ」
サンジが揶揄すると、ついゾロも反射的に噛みつく。
「てめェにスカしてるとか言われたくねェな。面白味ってなァ、何だ」
「だってよ、普通の海賊なら下船したらまず女だろ。武器屋に直行するなんて色気ねェ話だぜ」
「…くだらねェ」
こういう話の流れを気軽に楽しめるゾロではない。サンジはそうと知りつつも食い下がった。
「興味がねェなんて言うんじゃねえだろうな。同じ19歳だってのに…枯れちまってんのか?哀れなもんだ」
「そんな事言ってねェだろうが」
ふいと横を向くゾロを、サンジは挑発的に眺める。
「ふうん。──何なら俺で抜かせてやろうか?」
「…アホか」
「結構長いこと乗ってるもんなあ。溜まるモンもあって当り前だしよ」
一歩。
サンジはずいとゾロの懐に踏み込んだ。
ゾロは石像みたいに、動かない。
「お互い処理し合うのも悪くねェんじゃねえかと俺ァ思うんだが」
もう一歩。
少し体重をかけて圧し掛かる。
「…止せ」
「野郎同士なんだから別に遠慮しなくたっていいんだぜ?」
分厚い胸板を擦り、下肢に手をやんわりと伸ばす。
「止めろ」
ゾロは眉を顰めて、サンジの体を押し遣った。逆らい難い力だった。「──迷惑だ」

メイワクダ。

氷の矢の如く、冷たく胸に突き刺さる言葉。
救いの余地など微塵もない、拒否。
彼は然程深く考えて言ったのではないのかもしれないし、きっぱり断る方が良いと思ったのかもしれない。どちらにせよサンジにとっては変わらなかった。
追い討ちをかけるように、ゾロの低い落ち着いた声が続く。

「俺は男とヤるつもりはねえ」


ああ。
分かってたさ、クソ野郎が。
ご丁寧に、わざわざ口に出さなくたってな。
止めの一言だけでは物足りねェか。
刺した場所を更に抉らねェと諦めないようにでも見えたか。


安心しやがれ。

初めから望みなんて持ってなかった。
だって分かってた事だから。
結果なんてとうに、お見通しだから。
ただの、確認作業だから……。



傷ついた顔なんて。
絶対に見せたりしねェよ?

 



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