ノクターン 7

 





「コーヒー豆がちょうど今朝切れてさ。紅茶でいいか?あ、スーパーに買いに行く?緑茶もあるぜ。濃いめにしてミルクで割っても…」
籠に入った缶をとっかえひっかえしながら忙しく早口で訊ねるサンジに対して、勧められたソファに座ったゾロはゆったり穏やかに応じた。
「何でも」
「それ、一番困るんだよなァ」
「そうか?なら緑茶。熱い方がいい」
了解と頷き、サンジは筒状の缶の蓋を開けた。ケトルに水を汲んで、ガステーブルに乗せて火にかける。
「茶請けに饅頭か和菓子でもありゃいいけど…煎餅とかのが好きか?まあメシも作るし、甘いのは後にしても」
「あんまり気を使うなよ。ウロウロしてないで、落ち着いて座ったらどうだ。自分の部屋なのに」
おかしそうにゾロが言うが、しかしサンジとしてはやはり落ち着かない。
ゾロの家にはこれまで何度も行った。だがサンジが暮らすマンションに彼が訪れたのは今日が初めてである。
当然ながらゾロの家とは比べ物にならないほどに狭い。そこそこガタイのいいゾロが部屋にいると尚更強く感じる。小さなキッチンと居間兼寝室である一部屋など数歩で行き来できてしまい、その数歩の空間にすぐゾロがいるのだ。二人きりなのは彼の家にいるのと変わらないのに、いつもとは違う緊張感があった。
「どうかしたのか?体調でも…」
キッチンと居間の境目で固まってしまったサンジを不審に思ったのだろう、ゾロが立ち上がって手をサンジの額に触れた。
「いや、別に。どうもしねえよ、うん。全然」
ハッとして首をぶんぶんと振る。ピーッというケトルの音が聞こえ、これ幸いとばかりにさりげなくゾロから離れる。
緑茶を淹れて白木のテーブルに置くと、サンジは早々に料理に取り掛かることにした。のんびり作ればいい時間になるだろう。
間が持たない。
恋人が自分の部屋に遊びに来た時はどうするんだっけ。
ぼんやり考えながら包丁を滑らせて、ジャガイモの皮を剥いていく。
女性相手なら、食事が済んだらTVか映画のビデオやDVDを観たり音楽を聴いたり話をしたり、そのうちムードに任せてキスをして、その後は。その後はどうすればいい。
キスはされた。
好きだとも言われた。
最初は意図が計りきれなかったがゾロが自分を年の離れた友人以上に見ているのは、既に疑う余地もない。そしてサンジの中でも答などはとうに出ていたのだとは思う。男が相手だというのは不思議なくらい取るに足らない事柄だと感じた。ゾロという人間に惹かれているのだ。どうしようもなく。
以前は和食だったから、と今夜は洋食にした。とはいえ、パンではなくて米だったし味付けじたいもあっさりめにはしたが。ゾロがそれを好むのを何となく察していたからだ。
旨いな、と率直に言うゾロは食べっぷりも良いのでこちらまで嬉しくなる。
「ご馳走さん」
食器を片して戻ろうと振り向くとゾロが立っていた。「邪魔したな。お前の住んでる部屋に興味があったし…一度見てみたかったんだ。来られて良かった」
「へ?もう帰んのかよ。まだ早いじゃん」
夜には違いないが、ゾロの家に行った時は深夜近くまで共に過ごすのに。ピアノを聴いたりするせいもあるけれど。
「ああ…俺がいると、何かお前が寛げてない気がするから。押しかけて、すまなかった」
違う。
「明日も仕事なんだろ?あんまり遅くまでいるのも迷惑だからな。今度は、またうちに来いよ」
確かに口数は少なかったかもしれないが、迷惑などではなかった。
「じゃあ」
止めなければ行ってしまうという切迫感。咄嗟に、サンジはゾロの服を掴んだ。
「ってねえ…」
「え?」
「迷惑なんて言ってねえ。思ってねえ。普通、惚れた相手の傍にいたくないとか思うかよ?好きな奴が自分ちに来たら、そわそわしても仕方ねえだろ。俺はどうせアンタよりガキだし」
ゾロは細い目を見開いていたが、やがてシャツの裾をぎゅっと握っているサンジの手を己の掌で包み込む。
「……悪かった」
「だから謝んなって。悪いことなんかしてねェだろ」
「お前にそこまで言わせたのは俺の配慮が足りないからだ。一緒にいたいのは…俺も同じなのにな」
愛しいと思う気持ちに、年齢も性別も関係ないのだ。だからこそゾロは自制していた。気持ちだけでなく体まで手に入れてしまったら、サンジを今より一層離せなくなる。
だが…もう手遅れだ。
なら帰るなよ、と俯くサンジにくちづけをひとつ落とすと止まらなくなった。
腰を引き寄せれば、啄ばむだけだったのが深く濃いキスに変わる。がくりとサンジの膝の力が抜けたので支えて、そのままパイプベッドに倒れこんだ。
ギッ、という軋んだ音にサンジが瞼を開ける。その瞼にも優しく唇を寄せた。
「ゾ──」
「俺がお前を抱きたいと思うのは…おかしいか?」
サンジは瞬きもせず、ゾロの顔を見詰めていた。
「おかしくは、ねェだろ。まあ俺も男だし……抱きたいって言われても、喜んでいいのか微妙だけどさ」
「そりゃそうだな」
「だろ」
笑って、気分も楽になったのだろうか。サンジは自ら両腕をゾロの首に絡ませてきた。誘われるように彼の耳朶を甘く噛む。コロンかシャンプーの爽やかな香りがする。
同性を抱いた経験はないが、負担が大きいであろうことは想像に難くなかった。本来交わるべきではない性なのだ。せめて、苦痛は最低限に大切にしてやりたい。
耳から項へ、項から鎖骨へ。胸から形の良い臍へ。
焦れるほどに丁寧な愛撫は甘やかな拷問で、寧ろ責め呵みに近いかもしれなかった。
指先もどんな曲を奏でるよりも柔らかく反応を探った。
彼が微かにでも快感を感じる場所は決して逃さずに。
従順な僕さながらに足の先まで舌を這わせた。
解しても最奥はやはりきついのは否めない様子だったが、穿ち貫いてから緩く揺さぶっていくと彼が痩身を震わせ、ついに極まった掠れた声を上げた。
トロンと潤みきった瞳にも乱れる髪にも波打つ体にも、捉われる。
彼の熱い内部が強請るが如くの動きを見せてからは、ゾロはまるで初めて女を抱く少年のように余裕がなくなった。夢中になった。
精を吐き出すのもお互い一度では到底治まらず、汗だくになって求め合った。数え切れないくらいのキスをして、シャワーを浴びようと言いつつ真夜中になってもベッドの中にいた。
シングルベッドは大の男二人には窮屈だったが、肌を寄せる快さの前には問題にならない。

 

まどろむだけのつもりが、すっかり朝になっていた。
半身を起こしたサンジは未だどこか信じられない心持ちで、ゾロの寝顔を眺める。
綺麗な鋭角の細い眉毛と通った鼻筋を指で辿ってみた。くすぐったいのか、むずがるみたいに眉を寄せるのが面白い。いつも彼は、そう表情が激しく変わらないから。
「遊ぶなよ」
鼻先まで人差し指を運んだ瞬間、目を開けてゾロも起き上がった。シーツがずれてゾロのがっしりした体が露になる。状況的に殆ど裸であることを思い出さざるを得ず、気恥ずかしくなったサンジは急いで離れようとしたがゾロが許さずに引き寄せた。
「おはよう」
「…はよ」
小さく返したのに、ゾロは聞こえないなとわざと意地悪く顔を近づけた。目覚めて最初のキスをする。
「仕事は何時からだ?」
「今日は遅いけど」
「じゃあ、車でちょっと出かけてみるか」
「どこに?」
「買い物でもいいし、観たい映画があればそれでもいい」
「デートのお誘いみたいだな」
「そのつもりだが」
衒いがないゾロの言い方には、サンジも笑うしかなく異論があるわけでもなかった。さっとシャワーを浴び朝食を取り、服を着る。ゾロに服を貸そうとしたが、身長はさほど変わらないのにサイズが合わず車も取りに行くからと結局ゾロの家に途中で寄った。
目的は二人で出かけることであり場所はどこでも良かったけれど。適当に走らせて適当な駅の駐車場に車を入れておく。特に買うものも決めず服や鞄や靴の店をうろついて、歩いて足がだるくなったらカフェに入り飲み物。他愛もない話。紛れもなくデートだ。
「食ったら帰るか?」
正午をかなり過ぎてから入った店で、ゾロが聞いた。オリーブオイルが多すぎる茄子とベーコンのパスタと奮闘していたサンジは、フォークを休めて冷やかしてやる。
「ははん、さては疲れたんだろ。年には勝てないね」
「馬鹿、そうじゃない。俺はいいが、お前は仕事あるだろ」
もちろん仕事はあるし休んだりはしないが、離れがたいのも事実だった。如何に長く一緒に過ごしてもきっと足りない。「終わったら、また家に寄ればいい」
ゾロも、同様なのだろう。
「そうだな。ゾロのピアノ聴きたいし」
サンジが照れ隠しにすまして言うのも、ゾロは分かっているというように微笑んだ。
「店まで送ろう」
まだ余裕はあるから遠回りをしてドライブがてら郊外の道を通った。車も少ないしと風を入れ、時折止めて休憩する。微糖の缶コーヒーを飲んで。晴れた空を、たまに流れる雲を並んで見る。そんな何でもない些細な事がどこまでも楽しく、幸せな時間だった。
──もう少しもう少し、の延長がいつの間にか随分と遅くなっていた。
やや高台になった休憩場所もベンチもゴミ箱も暖かい色に染まり始めて、さすがにそろそろ行かなきゃなと車に乗り込むとゾロがエンジンをかける。
急がせはしなかったが、責任を感じたゾロは多分いつもよりスピードを速めたに違いない。
それはあまりに一瞬のことで、サンジも全部は把握しきれなかった。
何かが側道から飛び出したと思う。
ゾロが急ハンドルを切ったと思う。
対向車線には車がいたと思う。
意識を失う直前のサンジの記憶はフロントガラスに映る風景でも、迫ってきた相手の赤い車でもない。
自分に半ば覆い被さってきたゾロの鮮やかな、昼間見た青空に似たブルーのシャツ。

そして激しい衝撃。



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