指先にキスを 1

 


何がきっかけと言えば、皿が割れた事だったのだろうか。
しかしもしその時皿が割れなかったらと考えても詮無い事で、物事のきっかけというのはたいてい実に下らないといえば下らない些細なものだ。
経過や結果に比べれば、本当に小さなこと。
今回だってそうだった。
夜中だけに、皿が割れた音はいやに大きく耳に響く。尤もそれを聞いたのはこのキッチンの主であるサンジと、たまたまこの場へと来ていたゾロだけだったが。


「何だ、てめェ。見張りだろ。ちゃんと仕事しろ仕事」
キッチンへ入ってきたゾロに、朝の仕込みを終えたサンジが振り向いて言った。
「酒取りに来たんだよ。体温めねェと、寒くて敵わねえ」
「てめェは別に寒くなくたって、いつも飲んだくれてんじゃねえかよ」
今更何を理由付けしているのかと言外に匂わせる。「ちょっと待て。夜食作ってやるからそれ食ってけよ」
「別に腹は減ってねえ」
「何か食わねェと、てめェは酒ばっか飲むだろうが」
手早くコンロに火を点けて、鍋を焙る。
サンジが他人の食にうるさいのは今に始まった事ではない。ゾロだけではなく、勿論他のクルーにだってそうだ。というより食事に気を使っているのは、ナミ・ビビを先頭にルフィ、ウソップがほぼ同位、おそらく最後にゾロだろう。
だがそれはゾロにも原因がある。特に好き嫌いもなく、味にこだわるでもなく。注文の少ないゾロは、コックであるサンジにとって楽であると同時に張り合いもなかった。
だいたい同い年と言う以外にこれほど共通点のない男もいないというぐらいで。
航海中昼も夜も忙しく働くサンジとは、まったく違う時間をこの剣士は過ごしている。朝と昼と夕方の鍛錬の他は、眠っているか酒を飲んでいるかだ。
纏わりついてくるルフィやチョッパー、お喋りなウソップ、サンジからサービスするナミやビビと違い。
わざわざ接触する機会を作ろうと思わなければ、話さえしないだろう。交点がないのだ。そして口を利けば大抵喧嘩になる。話し出すと同年のせいか性格のせいかぶつかり、どちらも引くことをしないからだ。
それでも不思議なもので、戦闘などになると妙にかみ合う。その辺はお互い、暗黙に認めている所があった。
サンジは材料を鍋に入れると、じゃっじゃっと小気味良く音を鳴らして炒めてからスープを注いで蓋をする。
「デリシャスな夜食だ。すぐ出来るから待ってろよ」
「何だっていい、食えりゃ」
面倒そうに言うその合間にもゾロがストッカーの奥の酒を選びに行く。
サンジが煙草を吸いつつ。
「ったく、てめェは。何出してもただ食うだけ…。ルフィみたいに肉肉言うのも鬱陶しいけどよ」
「食いモンなんか、腹に入りゃ一緒だろ」
「ケッ、味も分かりゃしねェ男が偉そうに。で、酒飲んで昼寝して体鍛えるのが趣味ってか?つくづく、つまんねェ野郎だよ」
「放っとけ。エロコックに言われたかねェ」
「アア?やんのかクソ野郎」
サンジが唇を捻じ曲げて、いつもの喧嘩になりかける。その時、鍋から汁が吹きこぼれた。
「っと」
サンジが急いで火を止め、鍋の中身を深めの皿に移す。そして相変わらず酒を漁っているゾロに手渡そうとして。
「おい!その酒は駄目だ」
注意がそちらに行き、手に持っていた皿をテーブルに置き損ねる。
皿は運命を全うしたかの如く、派手な音をたて砕け散った。
「あああ、やっちまった」
サンジはため息をつき呟くと破片を拾う為にしゃがみ込もうとして。酒瓶を傾けているゾロに気づく。
「って、てめェは何事もなかったように酒飲んでんじゃねェよ!ナミさんに折角買ってもらったんだからな」
声を荒げた時、左手の人差し指に刺すような痛みが走った。尖った欠片で抉ってしまったのだ。
「っクソ」
サンジが舌打ちして、指先を上向かせる。脈打つ痛み。戸棚の救急箱を取り出しているうちに、血はどんどん流れ出してあっと言う間に手首まで。
「何やってんだ、てめェは」
ゾロが早足で歩いてくるとサンジの細い手首を掴んで、ちらりと傷を見て。
そのまま指を咥えた。サンジがゲッと顔をしかめる。
「アホ、気色悪ィ!離しやがれ」
うるせえ暴れるな血が止まらねェだろとモゴモゴ口を動かして喋るゾロ、てめェが咥えてたら温くなって余計に血が出るじゃねえかとゾロの頭を力任せに押しやるサンジ。
ゾロは構わず、指を含み続け傷口を吸う。
「ったく、暴れるからなかなか取れなかったぜ」
ゾロはようやく口を離し、ペッと小さな破片をテーブルに吐き出した。傷に入り込んでいたのである。勢い怪我の手当てをされたサンジが面白くなさそうに。
「───野郎に指なんか舐められて、大人しくしてられるか」
「舐めたなんて、人聞きの悪いの事言うんじゃねえ」
「じゃあ、『しゃぶった』か?大差ねェけどな」
「てめェは…折角人が親切に取ってやったのに」
サンジとてそれくらいは分かっているが、素直に礼を言える男ではない。この剣士が相手だと特に。
「恩着せがましいんだよ。だいたいてめェ、舌の使い方やらしーっての」
「何言ってやがるんだ」
ゾロがフンと肩を聳やかした。
「器用に動かしてたなと思ってよ。ひょっとして三刀流のせいか?」
サンジはからかい混じりに、「それって、戦い以外でも結構役に立ちそうだよな。レディが喜びそうだぜ。意外な舌技を持つ剣士、ロロノア・ゾロ」にやにや笑う。
「…くだらねえな」
ゾロが無愛想に片付けたのが、サンジの気に障った。
「あん?カッコつけやがって。てめェだって男で俺と同じ年なんだろうがよ。そういうのに興味がねェ方がおかしいじゃねェか。もしそうだったら、かなり不健全だっつーの」
「別にそんな事は言ってねえだろ」
ゾロは基本的に、あの女をどうしたとかいう所謂下世話な話を楽しく盛り上がってできるような男ではない。
サンジはそれを知ってか知らずか、ふーんと言うように片眉をやや上げた。
「ああそう。要するに、不器用剣士様は女性の扱いが苦手ってワケか。確かにてめェは、あんまりそのテの場所には行ってねえよな…」
考え込むように頷いて、おもむろにゾロの下半身へ手を伸ばした。驚いたのは当然ゾロである。
「何してんだ!」
「この所、船に乗りっ放しだからな。一人でもそんなにヤレねェだろうし、溜まってんだろ」
サンジはゾロが呆気に取られている間にその股間の辺りを上から撫で上げた。「さっきの礼だ。出させてやるよ」
別にそんな礼は要らねえ。
言いかけて。
直接敏感なものを触れられる感触に、ゾロは思わず言葉を呑んでしまった。





 

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