サムタイム





「おいサンジ、いい加減にしろ」
ゼフの声が後ろから聞こえた。
サンジは手にしていた杓子を鍋に突っ込む。
「俺が料理に打ち込んでんのに文句つけんな、クソジジィ」
「てめェがそうやって場所を占領するぶん、コックたちの仕事の邪魔になってんのがわからねえのか。買出しに行って来い。港に市場が出てる」
ゼフが髭を弄りながらそう言い捨て、厨房から立ち去った。
サンジは舌打ちしたが、オーナーの命令には文句を言いつつも従うのが常である。
コンロの火を止めると、溜息をついて煙草を咥えた。
「まあ、そう苛つくな。サンジ」
パティが皿を拭きながら、「オーナーはお前に気晴らしでもして来いって言ってんだよ」
「うるせェ。ゴチャゴチャ言うんじゃねえ」
サンジがジロリとパティを一睨みすると、彼はブツブツと口の中で文句を言った。
その相手はせず、サンジは買出し用の小船を用意して港へと向かう。
人に言われなくても、サンジには分かっていた。
ここの所煮詰まっている自分に、市場で新しい食材を手に入れたりすることが少しでも打開になればというあの爺さんの心遣いは、確かにありがたい事なのだろうと思う。
どうやってもゼフの手の中から逃れられないようなもどかしい感覚もあるが。


市場は賑やかだった。
通りを行き交う人々も、色々な人種がいるようだ。異国からも訪れた商人も多いようだし、食材だけでなくいい女にも会えるかもしれないとサンジの胸はやや弾む。
手近な出店を覗くと、スパイスの瓶がずらりと置いてあったのでサンジはそれを逐一手にとった。
シナモンの瓶を調べようとすると同時に伸びてきた手がある。
「あら、ごめんなさい」
綺麗に彩った爪と長い指に、サンジはわざと自分の手を重ねた。
「ああ失礼、マドモワゼル」
脂下がった顔で、その女性を見る。
真っ黒な髪と濃い色の肌、大きな目。なかなかエキゾチックな魅力溢れる美女だった。
「ああ、君と出会えたこの幸運に神に感謝しよう!」
サンジがその手を握ったまま跪く。 「罪深い人だ。一目でこの僕の心を奪ってしまうとは」
高らかに歌うようなサンジのその声に割って入るかの如く。
「───この野郎!いい気になってんじゃねえぞ」
「そう、いい気になってんじゃ…って。何だよ、クソやかましいな」
サンジは顔をしかめた。
せっかく良い調子で相手が聞き惚れる筈の口説き文句を並べている最中なのに、余計な雑音は邪魔以外の何物でもない。
女性の手を渋々離し、騒ぎの方向に目をやる。
と、いきなり男の体(しかも重量級の)がサンジの方へと飛んできた。
「うおっ!?」
サンジは反射的に飛び退り、少し離れた所に着地する。
飛んで来た男は、ぐが、だか、ぐぎ、だかの呻き声を上げて地面に叩きつけられた。
「口ほどにもないな」
低い声がする。
声は、背丈はあまり変わらないものの細身のサンジに比べてるとかなりがっしりした体躯の持ち主から発せられたものだった。
───その男と、刹那目が合う。
最初、黒髪だと思ったのは、黒い布を頭に巻いていた為だ。しかも深めに巻いているので眉毛も隠れており、目つきの鋭さが際立っている。
浅黒い肌、くっきりした二重の目。通った鼻筋と引き締まった口の形、男性的な輪郭も、造作じたいはなかなか整っているのに、漂わせている荒々しい雰囲気と薄汚れたシャツに腹巻という服装のせいで美貌という表現は似つかわしくない。
男の、左耳の三連のピアスが、しゃらんと鳴った。
サンジはすぐに視線を逸らす。
面倒に関わりあうのもごめんだったし、男に興味はない。
それよりも、と先刻の女性の姿を求めるが既に見当たらなかった。
極上の女だったのにと煙草を軽く噛む。
今の騒ぎのせいだろう。喧嘩か何なのか知らないが、いい迷惑である。
もしかしたら近くにまだいるかもしれないとサンジは夕方まで買い物がてら探したが、さっぱりだった。
紙袋を抱えて、バラティエに戻る。
「遅ェぞ。出かけたと思ったら、フラフラしてなかなか戻って来やがらねえ。まるで鉄砲玉だな、チビナス」
出迎えたゼフの言葉に、サンジは食ってかかった。
「チビナスって呼ぶな!」
「いいから、さっさと仕事しねぇか」
「うるせー。いちいち言われなくてもやるっての」
サンジは荷物をしまい、厨房へと移動した。
夕方に差し掛かる時間でもあり、忙しくなってきているのだ。
何番テーブルにどの料理、とコック達が慌しく行き来している。
「しかし今日はかなり忙しいな。今からこの入りじゃあ…」
カルネがじゃっじゃっ、と音をたててフライパンを動かして言った。
「何かよう、でけえ海賊団が港に近づいてるらしいぜ。そのせいだろ」
「そりゃまあ、騒がしくもなるよな。海軍も動くし、町もそれに応じて…」
「おい、てめェら。くっちゃべってねえで、さっさと料理上げろよ」
サンジが入って行くと、カルネが振り向いた。
「お、サンジ。帰ったのか?このソースの仕上げ、頼む」
「ああ」
手早くかき混ぜながら、風味を出す香辛料と酒を入れて最後に強火。
何度も繰り返してきている作業だ。サンジの手つきは鮮やかで、迷いがない。
ロースト肉が盛ってある皿に、順番にクリアなオレンジ色のソースをかけていく。
さながら絵師のように。
「オラ、さっさと持ってけ」
口で言いながら、サンジは次の料理にかかった。が、出掛ける前に自分が手がけていた鍋が無くなっているのに気づき、隣にいたコック見習いに声をかける。
「ここにあった鍋はどうした」
「あ、オーナーがしばらく触ってたよ。で、中身は今日のスープに使えって言われたから…別の所に移したけど」
「何だと?勝手な事しやがって!」
サンジが怒鳴ると、見習いはぶんぶんと頭を振った。
「お、俺は言われた通りにしただけで…」
「クソジジィめ」
サンジがつかつかと歩いて厨房の出入り口に向かうと、ちょうど飛び込んできたカルネとぶつかりそうになって思わず避ける。
「何慌ててんだよ!料理を引っくり返すつもりか、てめェは」
サンジのきつい口調に、カルネは首を竦める。
「だってよう…何か厄介な客が来やがったから。財布ねェとか言いやがるし、とにかくオーナーに」
「アア?戦うコック魂はどうしたんだよ。情けねェ。どけ、俺が行く」
きっちり締めていた襟元をやや緩め、サンジはテーブルの並ぶ店内へ足を踏み入れる。
その背中へ声をかけるカルネ。
「やめろ、サンジ。今回はそんな簡単に───相手は海賊狩りだぞ!」
もちろんその叫びはサンジの耳にも届いたが、ただでさえ虫の居所が悪い彼には歯止めにならなかった。
困惑している様子のパティの傍らに、空の皿が並べられたテーブル。その席に慌てた様子もなく座っている、若い男。
「食い逃げは困りますね、お客様」
慇懃な物腰で言うと、男はサンジの方に向き直った。
「財布がねェから払えないだけだ。人聞きの悪い事言うな」
「財布がないから、代金を払えない」
サンジがにっこり営業スマイルを浮かべて、馬鹿丁寧に繰り返す。そして一瞬後表情を豹変させた。「世間知らずサマに教えてやるよ。それを食い逃げっつんだ、このクソ野郎!」
「アア?客にえらい口調だな、ここのウェイターは」
「俺は副料理長だ。食い逃げ野郎が偉そうにぬかすんじゃねェぞ」
「食い逃げじゃねぇつってんだろ!」
男が立ち上がるとサンジの襟首を掴んだ。
サンジは眉を寄せる。
間近で、そのきつい瞳を見て思い出したのだ。
「てめェ、さっき市場んトコで…」
「あ?」
黒い布が頭から外されてるのとマントのような物を身につけていたせいで、すぐには気づかなかったが。
三連のピアスが鳴る音で、昼の事件が脳裏を過ぎる。
「喧嘩か何かしてただろが。あの騒ぎのおかげで、せっかくのレディとの出会いが丸潰れだったぜ」
サンジが恨みがましく言うと、その男は記憶を探るように両腕を組む。
「───そう言えばてめェみたいな感じの野郎が、女にへらへらしてたな。こっちは忙しいのに近くで間の抜けた声出しやがるヤツがいて、緊張感も何も無かったぜ」
「何だと…?」
サンジがぴくりと口端を歪ませた。
「上等だ、コラ。だいたいなあ、最初っからその目立つ頭、出しとけよ。そしたらすぐ思い出して、店に入れやしなかったのに…。ああ。ひょっとして、昼間は髪隠してたのか?」
「何で隠さなきゃならねぇんだ」
「だってアレだ、日光に当てると育ちそうじゃん。その雑草頭」
嘲笑うサンジに、男は額に青筋を立てた。
「ぶっ殺す」
チキ、と腰の刀の鍔を鳴らす。だが、サンジは揶揄するのを止めない。
「やれるもんなら、やってみろってんだ。この雑草マン!」
「誰がだ!眉毛巻いてる奴に言われる筋合いねえぞ」
「るっせえ。俺はコレがチャームポイントなんだよ!てめェなんざ、雑草で悪けりゃマリモだ、マリモ」
サンジがポケットに手を突っ込んだまま、男の方へと椅子を蹴り飛ばす。
「覚えとけ。俺にはな」
男が刀を抜くと、向かってきた椅子を斬る。「ロロノア・ゾロって名前がある!」
数分後やってきたゼフに一喝されるまで、二人の乱闘は続き。


最初から、互いの印象は最悪だった。


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