楽園追放 1

 

 


不快だった、何もかも。
肌に張りつく服もべたっとした髪も。
体のあちこちが痛い。特に酷いのは下半身だ。
視界を占めるのはどんより濁った空で雨の予感もさせるが、頬や手に感じる湿った空気は潮のせいだろう。少し顔を横に向けると、荒く波が寄せる海。
サンジはまず手に力を入れてみた。何度か握り拳を作ったり開いたりしてから、じっとりした砂に掌をついて上半身を起こす。途端胃から込み上げるものがあり、ゲホゲホと咳き込みながら海水を吐き出した。
(……ここは…)
どこだろう。
サンジは朦朧とした頭で考える。
大型の海賊船から砲撃を受け、何とか逃れたゴーイングメリー号はかなり損傷していた。狙ったかの如く訪れた嵐に玩ばれて船体は揺れる。
最初に投げ出されたのは確か船長だった。
サンジは罵りつつも荒れ狂う海へ身を躍らせ、投げられたロープについた浮き輪を船長に被せて自分もそれに捕まった。引き上げるのは当然と言えば当然ながら、一番力のある剣士だ。
ルフィの体をゾロが甲板へ引っ張り込みサンジも続こうと船縁に手を伸ばした瞬間、船が暗礁に突き当たり、その衝撃で再び彼は海中に嵌る。剥がれ落ち降ってきた船体の破片が浮かんだサンジの頭を強打し、彼の意識は遠退いた。
ゾロが何か叫んで海中に飛び込んだのは、微かに覚えている。
───そこで記憶は途切れた。
多分自分を助けようとしたゾロは間に合わず、気を失ったままこの海岸へと流れ着いたようだ。
ひょっとしたら奴も、と思って見回したが三刀流の剣士の姿はどこにもない。恐らくは、激しくなる嵐に自分の救出は諦めて船に戻ったのだろう。ゾロの仲間はサンジだけでなく、他にもいる。ゴーイングメリー号も下手をすればバラバラになりそうな程酷い暴風雨だった。
(ま、あんなクソマリモに助けられちゃ寝覚めが悪いけどな)
それにあの男がまず最優先に保護しなくてはならないのは船長だ。次にゾロよりも弱い他のクルーたち。少なくとも彼に守られるほど、サンジはか弱くもなかった。
サンジは髭を触り、そして爪を眺める。長さだけでは判断できないが、打ち上げられてから然程日にちは経ってないだろうとは思う。否、そう希望したいと言うべきか。
まずはこの島を調べるのが先だ、と彼は立とうとしたが。
立てない。
腰から足にかけて痛くて堪らなかった。その癖どこか痺れたような感覚があり、自分のものではないみたいだ。
それでもサンジは何度か試みたが、結果は同じだった。岩礁のせいで骨でも折れたのだろうか。骨折の経験は何度もあるが…。
痛みのせいと言うよりは、歩けない事実がこめかみに汗を伝わらせた。
同じ処に居てはいつ波に攫われるか知れないので、とりあえずサンジは動こうとする。
元来短気で待つのは嫌いだ。
救出に来てくれるかもしれないという望みも持っていたが、少しでも自分にできることはしなければ。
腹這いになると匍匐前進を始めたが、どうにも機敏な動作とは言い難く歯噛みする。
それを阻むかのように、濁った空からとうとう雨が降り出した。体は水滴に打たれ重くなったが、サンジはじりじりと進んでいく。とりあえず雨は避けられそうな岩の狭間に入り込んで一息ついた。
無理をしたせいか、体は更に痛みを訴えている。
(…参ったな)
とにかく町を探そうと思った。無人島でないのを願うばかりだ。目に入る岩と波以外に動きのない海は、幼少の頃の遭難を彷彿とさせて気分の良いものではない。
サンジは嘆息し、無意識にポケットを探る。煙草はあったが全部湿気っていた。
しばらくして小降りになったのを見て、サンジは岩陰から出た。どうせずぶ濡れなのは変わりない。必要があるならば待つのも仕方ないが、あまり呑気にもしていられなかった。
潮が満ちて水嵩が増しこの岩場を波が覆ったら、まず間違いなく飲み込まれてしまう。
ゆっくり砂浜を這っていくが、すぐに行き止まりだった。この砂浜は岸壁に囲まれており、普段なら軽く飛び越えられるくらいの高さだが今のサンジには成す術がない。
人がいるかどうかさえ分からないこの島で助けを呼びかけるのも虚しいが、サンジは声を上げた。
返ってくるのは静寂で、嘲りに近いほどの無反応。
だがサンジは諦めるつもりは勿論なかった。
飢餓と絶望感の中で本当にごく僅かな希望だけで幾日も待ち続け生き長らえていたあの体験に比べれば、大抵の事柄は生易しい。
漸く雨が止み、それだけでも状況はましになった。
サンジは舌で唇を湿すと、なるべく突起のある岩に手を伸ばす。岩肌はぬるりとして掴むのすら難しかったが、腕に渾身の力を集中させ上がっていく。
食い込ませた爪が剥がれそうだった。その痛みは堪えても血が出るのはマズイなと感じる。滑り易くなるからだ。
その危惧は的中し、あ、と思った刹那サンジは落下していた。砂浜なのでショックは吸収する。しかしせっかく登った努力が無駄になり、彼は苛々と舌打ちした。
「クソッ」
思わず口に出すが、随分と嗄れていた。喉がカラカラなのだと初めて気がつく。流されている時に海水はしこたま飲んだかもしれないが、塩分のある水では渇きを癒すことにならない。
首を伸ばし、窪みにある雨水を啜る。
喉が潤うと共に疲労感がサンジを襲い、彼は瞼を閉じた。ただでさえ体力は消耗している。気力が尽きれば、そこで終わりだ。
少し休んで、それからもう一度登ろう。日が暮れかけている。夜になる前には何とか事態を好転させたかった。
砂を踏む音が徐々に近づいてきて、サンジは耳に届いた会話に目を開く。
「───本当に声がしたのか?」
「ああ、確かにな。…ほら、そこだ」
住民がいたのだ。サンジは息をついたものの、自分の周りに立った数人の男たちをチラと見て安心するのはまだ早いという気がした。どうにも一癖も二癖もありそうな連中で、武器を手にまるで値踏みでもするみたいにサンジを眺めている。
「もう死んでんじゃねえのか。ボロボロだ」
うつ伏せになっているサンジの体の下に鉄の棒を入れごろりと返し、腹を突く。
「…大した扱いしてくれるな」
サンジが呟きと共にジロリと睨むと、男たちはややどよめいた。
「おい、生きてやがるぞ」
「放っときゃ死ぬだろ。波に連れて行かれるのとどっちが先かってとこだな」
「いや、待て。何か金目のもん持ってねェかな」
良い場所に流れ着いたとは、とても言えないらしい。男たちはサンジの懐を無遠慮に探った。サンジはそれを払い除ける。
「気安く触んじゃねえ」
「何だ、こいつ。ろくに動けもしないみてえなのに、偉そうだな」
連中の一人が鼻白んだように眉を寄せた。「ちょっと黙らせてから、身包み剥いでやろうぜ」
言うと同時にサンジの肩口を踏みつけ、持っていた鎖を痩身に叩き込む。
悲鳴じみた声を出すまいと歯を食い縛ったサンジの様子が、尚更男の残虐心を煽った。再度攻撃を加えようとしたその腕を、少し遠巻きにして見ていた者が止める。
「ちょっと待てよ。ひょっとしたら頭が言ってたのは、こいつの事じゃないのか?」
「ええ?確かに痩せちゃいるが黒いスーツも着てないし…いや、でもよく見ると金髪だな」
男が砂塗れになったサンジの髪を掴んで言った。
「一応、連れて行こうぜ。勝手な事してばれたら、タダじゃ済まねェし」
サンジは男たちに担ぎ上げられた。不本意ではあるが、ここで抵抗しても始まらない。足さえ無事なら、こんな輩に好きにさせはしないのだが今は大人しくするしかなかった。
丁寧な運搬では決してなかった為、いちいち振動が体に響く。大した距離でなかったのが幸いか。
辺りはかなり薄暗く判然としないが、さほど発展した町並みでもない。小さな家が点在しているだけだ。
連れて行かれたのは、一番奥まった所にある建物だった。
内部はランプの光しかなく、中に入ってもそう明るさはない。ほんのりと麝香の匂いが漂っているのをサンジは感じる。料理人の嗅覚は敏感なものなのだ。
男たちがサンジの体を無造作に冷たい床へと転がした。外から想像する以上に天井は高い。取り囲んでいる連中のせいで、部屋の様子はよく分からなかった。
「こいつがお探しの男じゃなかったですかい、頭」
嫌な予感はしていたが、頭と呼ばれて姿を見せた男を認めサンジはげんなりする。
何故か愛用の腹巻はしていなかったが、萌黄の髪と耳元に光る三連のピアス、そして三本の刀は見紛いなくロロノア・ゾロその人だった。

 

 

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