原罪

 

 

この仕事についてそう長くは経ってないが、ヨサクが学習したことがある。
決して若に逆らってはいけない。
どんなに無茶で乱暴で我侭放題好き放題であったとしても、サンジはこの組の掛替えのない跡取りである。気紛れな行動もしばしばで正直手に負えず振り回される場合も多いが、どうしても困った時は若頭であるゾロに頼めば良いのだ。
ゾロは、実にサンジの扱いに長けていた。
勿論サンジとて子供ではないのだから飴ひとつでご機嫌になったりはしないものの、彼に任せれば大抵はスムーズに物事が運ぶ。ただ、その"どうしても困った時"がしょっちゅうあるのがヨサクとしては辛いのだが。ゾロは若のお守りだけが仕事ではないし、尊敬する兄貴分をあまり煩わせたくはない。それにヨサクが頼りに行ってもゾロは彼を咎めたり非難したりはせず、すぐにサンジの元に行く。余計にヨサクは心苦しくなるのだ。
「…気にいらねェなあ」
サンジの不貞腐れた言葉にヨサクはビクッとした。また駄目か、と思った。
「何で俺が会いたくもないおっさんに愛想振り撒かなきゃならねェんだ?だいたい今日は朝からダルくて仕方ねェんだよ。体調悪い。断れ」
にべもなく言い放つと、サンジはソファに踏ん反り返って深く腰掛け、煙草を一本咥えた。軽く顎をしゃくられ、ヨサクがはっとしてライターをゴソゴソ探し始める。
「遅ェ!」
体調の悪い割に強烈な蹴りがヨサクの腰にヒットした。
「す、すいやせん」
痛みを堪えつつとりあえず謝ると、サンジは煙草を放り出してソファにゴロリと横になった。
「寝る。てめェ、鬱陶しいからどっか行け」
寝られては困る。これから、とある組との会合があるのだ。サンジを連れて行かなければ、幹部にこっ酷く叱られるだろう。だが今部屋を出て行かなければそれはそれで只では済まないから、ヨサクはお辞儀をして扉を閉めた。急ぎ足で廊下を歩いていくと、玄関の所で靴を履きかけていたゾロと会う。
「兄貴、ちょうど良かった!───あ、お出かけで?」
呼びかけられ、ゾロが振り向いた。
「どうした?」
「若が…今晩の会合にお出でにならねえって…」
ゾロは顔色ひとつ変えず、サンジの部屋へと方向転換した。
ありがたいと思うと同時にゾロに申し訳なく、ヨサクは我ながら情けない心境である。
若に絶対的忠誠を誓っているゾロにとっては、サンジに仕えるのは苦行などではないのかもしれないが…。
軽くノックをして、ゾロが部屋に足を踏み入れた。
「───若」
寝転がって頭の後ろで手を組んでいるサンジからやや距離を置き、端然と佇む。
「そろそろお仕度をなさってください」
「俺は行かねェつってんだ。だりい」
「…お体の調子でも?」
「うっせえ、ただの二日酔いだ。放っとけよ。どうせお前も行かねェんだろ?忙しそうだもんな」
ゾロは僅かに形の良い眉を上げた。
確かに最近のゾロは多忙を極めている。本日の会合の相手でもある暴力団との折り合いが悪いのも手伝って、若頭の仕事は細事から大事までいくらでもあった。
「若のお供をするつもりでしたが」
「あァ?…なら最初からそう言えよ。ったく、聞かねェと喋らねェんだから」
文句をつけながらも、サンジは明らかに機嫌は良くなった様子だ。ヨサクは横で見ていてホッと胸を撫で下ろす。「まあ、どうしてもってんなら行ってやってもいいけどな」
「では、車を」
ゾロが会釈した時、立ち上がったサンジがふらつき倒れそうになる。
「どうしたんですか、若!?」
と思わず叫んで近寄ったヨサクに、サンジを咄嗟に支えたゾロが騒ぐなと目で制する。
「医者を呼べ」
短く指示し、ゾロはぐったりしているサンジの体を軽々抱えて寝室に向かった。




(…熱なんか出したの久々だな)
サンジはぼんやりとした頭で思う。
意識を取り戻したのは翌々日である。
医者によると過労による風邪で、ストレスに気をつけて療養すべしと誠に面白くもなんともない診断結果が出た。だがストレスなどは溜めるなと言う方が無理だろう。望んで暴力団の跡取り息子になった訳ではない。サンジはふてぶてしそうでいて結構神経が細かった。
キングサイズのベッドでサンジが半身を起こすと、側にいたゾロが大きな枕をクッション代わりにして背中に差し込む。
「…ゾロ」
「はい」
「水くれ」
「はい」
ゾロが水差しと薬を小さなワゴンテーブルに用意して、サンジにグラスを差し出した。「お薬もどうぞ」
サンジはふと悪戯めいた顔になった。
「口うつしで飲ませてみな」
「………」
「お前なら風邪うつんねェだろ。俺なんかよりよっぽど頑丈なんだしよ」
それに、ゾロならサンジが風邪をひくなと命じればひかないかもしれないと思った。生身の人間なのだからそんな筈もないが、精神力でウィルスなど寄せ付けないような気がする。
ゾロは黙ったまま薬の封を開けている。彼が大仰な反応を返さないのはいつものことだが、サンジはどこか落ち着かない心持ちになって、まくし立てた。
「嘘。薬なんかどうでもいい。んなの、ただの口実」
サンジは手を止めたゾロをじっと見詰め、やや掠れた声を発する。
「───抱けよ」
野生動物のようなきつい目が見開かれ、サンジを捉えた。ぞくりとして悪寒ではない何かが背筋を駆け抜ける。この男の、禁欲的な容貌からは想像もつかないすべてを貪るような激しい交わりを思い出し、発熱のせいではなく体の芯が熱くなる。しかし、こんな言葉を口に出してしまうのはきっと熱の仕業だと思った。この所ゾロは忙しくて殆どサンジについてなかったのだし、病気の時くらいは甘えたって良いだろうと。
「…今は、お体に障ります」
静かな、静かな拒否。
彼の語調は、相変わらずワントーンで抑揚がなかった。それだけにサンジは冷水を浴びせられたような気分に陥る。
「ゾロ」
「はい」
「てめェは…全部俺のもんだよな」
「はい」
「てめェの体も」
「はい」
「心も?」
「若のものです」
ゾロの言葉に虚偽がないのは、サンジも承知している。
「なのに俺の命令が、きけねェってのか」
「若の御身が何よりも大切です」
まっすぐに曇りなく、サンジを射貫く瞳と言葉。
こちらが強い立場なのに跳ね返されてしまいそうなのが悔しくて、サンジはギュッとシーツを握り締める。
「もういい」
息を大きく吐く。「お前が俺を大事なのは、組の跡取りだからだろ。上っ面で従われるなんざ、うんざりなんだよ。これからは俺につかなくていい。親父にも言っとくから、そのつもりでいろ」
初めて。
癇癪を起こすのはよくあったが、こんな突き放し方をするのは初めてだった。もう何年も傍にいる彼に。
「───若」
「分かったら、出てけ」
「……はい」
ゾロは相変わらず無表情で小憎らしい程に落ち着いていた。元来無口で例え自分の意見があったとしても、必要がなければ決して明らかにはしない。彼はどこまでもその姿勢は崩さずに貫くのだ。軽く一礼すると、踵を返す。
扉が閉められると、サンジは八つ当たり気味に羽根枕を殴りつけた。
(あンの朴念仁のムッツリスケベが。ちったあ、うろたえたりしやがれってんだ)
狼狽して懇願でもすれば少しは可愛げもあるのに、そんな気配は微塵も感じさせない。三行半を突きつけた自分の方が、既に悔やんで胸を締めつけられているなんて酷く不公平な話だ。
サンジは舌打ちして、頭からシーツを被った。
───夜も、次の朝も昼もヨサクが食事を持ってきた。
自らゾロを遠ざけたのだから当然と言えば当然なのだが。
身の回りの世話ひとつを取ってもぴたりぴたりと符合するゾロと違って、どうにもタイミングが合わずサンジは苛々させられる。ヨサクが悪いわけではない。ゾロがサンジの呼吸を飲み込み過ぎているのだ。それが、あまりに自然だったのだと改めて気づく。
「…ゾロはどうしてる」
卵粥を啜りながら、ヨサクに問う。
「兄貴ですかい?今日は新しいビルの施工の打ち合わせと…あと、例の組に行く予定だったと思いやすが」
サンジの父親はこの地方都市の暴力団の総元締めをしているが、西の方から来た新興勢力のヤクザと土地売買で揉めていた。先日の会合も喧嘩別れに終わったという。
「兄貴はどんな仕事でもバリバリ取り仕切ってこなしていくし。いや、すげェ人です」
ゾロに心酔しているヨサクはうっとりと両手を組む。「まあ、今回はちょっと性質悪い連中らしくて流石の兄貴も大変そうですけどね。それに、一昨日から若を寝ずに看病してたし片付けなきゃならねェ用も溜まって…あ、もういいんですかい?」
サンジが唐突にレンゲを置いたので、ヨサクが聞く。
「もう沢山だ」
寝ずに看病とはあいつらしすぎて笑えもしない、とサンジは思った。ベッドから下りると、クローゼットを開きスーツに着替え始める。
「若?無理はしねえ方が」
「熱は下がったし、大丈夫だって」
サンジはシャツのボタンを止め終えると、上着を羽織った。「おい。その新興ヤクザの所に連れてけ」
「勘弁してくださいよ」
ヨサクはぶんぶんと手を振った。「そんなのがバレたら、クビになるかも…」
「俺が直に話つけてやるんだよ」
どんなに足掻いても自分はこの組の跡取りだという事実からは逃れられない。一生、しがらみからは抜けられずに過ごすのだ。
しかし、それもゾロと一緒なら。
「次期組長の俺の言う通りできねェなら、今すぐクビだぜ?」
睨みつけてやると、ヨサクは半泣きになりながら頷いた。



「おやおや、これはまた珍客で」
相手の組長は狡猾そうな小太りの男だった。「会合もすっぽかしたお坊ちゃんが、わざわざ出向いてくれるとはなあ」
「ゾロは来たか?」
金色のシャンデリアや派手な模様の壷など、装飾は悪趣味だが広々とした応接室でサンジは勧められたソファには座らずポケットに手を突っ込んだまま斜に構える。
「ゾロ、と言うと?そちらさんの三下か何かだったか。そう言えば来る予定だったな…約束の時間をえらく過ぎてるが」
「ま、どっちでもいい。話をすんのは俺だ」
サンジは、組長を見下ろす。「ぽっと出のヤクザが、他所の土地に来てシマ荒らすんじゃねェ」
「こりゃ驚いた…田舎ヤクザはどっちかね。敵陣に一人で乗り込むのは、無鉄砲なだけで度胸が良いとは言わん」
組長は下卑た笑い声を上げた。そして一転して凄みの効いた口調になる。「おう。ガキが極道なめとったら怪我すんぞ?」
言うなりサンジの金髪をぐいと引っ張って威しつける。
「ハッ。なめてんのは、そっちだぜ」
予想はしていたが、話は決裂だ。
サンジは贅肉のついた腹に勢い良く踵をのめり込ませる。組長が衝撃に身体を二つに折ったが、病み上がりのせいか普段の力は出なかった。
「…楽しませてくれるな、坊ちゃん」
サンジの肩をつかみ、壁に叩きつける。「怪我させたりしたら、後々厄介や。違う事しよか」
「っ───!」
背中から覆い被られてサンジはもがいた。「てめェ!」
項を舐められ、身の毛がよだつ。撥ね退けるにも体勢が不利だった。ヨサクを外で待たせたのは失敗だったかもしれない。いても大して役に立たないと考えたのだ。
「よく見たら、可愛い面してるな」
荒い息が耳元に被さり、サンジは歯噛みした。口惜しさに震える手で壁を爪で引っ掻く。
不意に、押さえつけられている力が弱くなった。
鈍く光る刃を喉へ添えられた組長がそろそろとサンジから離れる。
「物騒やな…おい」
振り向いたサンジの視界にまず入ったのは、刀の柄を握るゾロの大きな手だった。ゾロだ、と思った瞬間、汗がどっと噴出す。
「……」
ゾロの表情はいつにもまして仮面の如く固い。無言で日本刀を構える彼の周りの空気は、切れそうに鋭利で冷やかだった。全身が研ぎ澄まされた気迫に満ちていて迂闊には近づけない雰囲気を醸し出している。
「まあ落ち着け」
組長は宥めるかの如く言い、徐々に後退した。
「……」
「わしにそんなもんを向けて無事に済むと思っとるのか」
「……」
「…今更止めても、タダじゃ帰さんけどな」
机に置いてある呼び出しボタンをやっと押せた組長が急に強気になる。数秒経たないうちに部屋に屈強そうな連中がやって来た。「このガキら、やってしまえ。───ああ、首はそっちの組にちゃんと届けさせるからな、安心しとけ」と勝ち誇った笑みを浮かべたが、刹那それは驚愕に変わる。
血の飛沫が散った。
ゾロに挑みかかる者は、尖った切先が描く弧に引き込まれ次々と倒れていく。ドライアイスに触れれば火傷をするように、その太刀筋は冷たく熱い。彼は無駄のない動きで確実に敵を討った。決してサンジの側からは離れずに。
どいつもこいつも頼りにならんと慌てて懐から拳銃を取り出した組長がゾロに狙いを定める直前に、刃が滑らかに走った。
やがて───その場に立っているのは、ゾロとサンジだけになる。
ヒュッ、と刀身を一振りしてゾロが刀を鞘に収め、サンジの方を向くと手を差し伸べた。
「ご無事ですか」
「…お前、無茶し過ぎ」
サンジは自分の行いは棚上げしてゾロを窘める。「手加減なしにダンビラ振り回しやがって…。そんなに俺が大事かよ?」
「はい」
あっさり言ってのけるこの男をどうしてくれようかとサンジは必死で厳めしい面を作る。血の匂いが充満する、殺伐としたこの部屋に相応しく。
「さて、と。どう始末つけるかなァ…」
「処分は如何様にも受けます」
「馬鹿、誰が処分なんかさせるかよ。この俺が許さねェ」
絶対にこいつを手離したりできるものか。そう思う。「とにかく、てめェの命は俺のもんだからな。断りなく勝手に捨てるんじゃねェぞ」
「はい」
「…言葉だけじゃなくて、俺にちゃんと分かるようにしろよ」
血がかかっているゾロの精悍な顎に、サンジはゆっくりと手を添えた。すっきりした輪郭をなぞり、引き締まった唇を親指の腹で撫でる。
一瞬、ゾロの瞳の奥に仄かに柔らかい光が差した。
そして耳に低く囁かれることば。
「───」
サンジが口角を上げたそこへ、深い接吻けが降りて来る。

堕ちたのか堕とされたのか。
もう定かではないし、どちらでも構わない。彼となら。共に修羅の道を歩もう。
この先、いかなる事があったとしても。

───生涯かけて、若をお守り致します。




-fin-



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