moon

 

 

キイー、と電車が軋んだ音と共に止まる。
その拍子に彼の頭がガクッと傾いて金髪がゾロの鼻先をくすぐった。
「……ん」
そのまま寝続けるのは些か無理な体勢になったのだろう、サンジがもぞりと体を動かした。
「起きたか。降りるぞ」
「ゾロ…?」
半分も覚醒していないサンジだったが、ゾロに腕を引かれて覚束ない足取りでホームに降り立つ。
ふあ、と大欠伸をしてから周囲を見回した。
「何でこんな駅で降りてんだ?どっか行くん…だっけ?」
ぼんやりとしながらも腑に落ちない様子だったが、改札を出たところでいよいよ不審そうに。
「はーん、お前さては仕事が嫌になったか大失敗やらかしてどこか遠くに逃げる計画だな。そして愛する俺を道連れに…」
「お前の場合、そういう台詞が素なのか冗談なのか分かんねえ」
ゾロは笑ったが、サンジがふらついて倒れそうになるのを反射的に止める。「やっぱり、まだ酔ってるみてえだな」
駅のロータリーにある木のベンチが空いてたので、ひとまずサンジを座らせた。
「えー?ああ、そっか。さっきまで、皆で飲んでたんだよな」
「てめェは途中から殆どヤケ酒になってたがな」
「そうだ、ビビちゃん!」
サンジの意識はいきなり鮮明になったらしく、ハタと膝を叩く。「ビビちゃん…ああ、あんな可愛い子が結婚して一人の野郎のものになるなんて、世の中間違ってる。いや、それは百歩譲っていいとしてもだ、仕事辞めなくたっていいだろう?!いまどき寿退社させるなんて、相手は昭和初期の生まれなんじゃねえのか。それともひょっとして出来ちゃったからとか…よくある話だし…もちろん、ビビちゃんが幸せになるんなら何でもいいさ。俺は、心で泣いても笑顔で見送る。それが先輩の男としての愛情ってもんだ。そうだよな?」
「…願わくば、愛情は恋人に示してほしいもんだ」
「あァ?何言いやがる。俺は海より深くお前を愛してやってるだろうが!」
「分かった分かった。ちょっと静かにしろ、酔っ払い」
時間が時間だけにあまり人はいないが、無人というのでもない。大声を出しては注目を集めるばかりだ。「とりあえずこんなトコでくだ巻いてねえで、帰ろうぜ。仕方ねェから、タクシー使おう。深夜料金取られるけど、そのへんのホテルよりゃ安いだろ」
送別会も済んでサンジを連れて帰ろうとしたはいいが何しろ彼は、ビビと名残を惜しんでなかなか電車に乗ろうとしない。ビビは家から迎えの車が来たが、おかげでこちらは終電である。しかも、自宅付近の駅まで行く電車はとうになくなっていた。故に普段は通り過ぎている駅に二人して降りるはめになったのだ。
「俺んちの方が近いから、泊まってけよ。どうせ明日は休みだしな。──どうした?」
とはサンジが急に俯いたからである。
「…気持ち悪い…こんな状態でタクシーなんか乗ったら、別の酔い方する」
「少しの間、我慢しろ」
「俺が吐いてもいいのかよ?何て薄情な奴だ!俺は海より深くお前を愛して」
「分かった」
ゾロは溜息をついて、サンジの隣に並んで座った。「まあ、涼しくて気持ちいいしな。しばらくここで休みゃ、マシになんだろ」
「おう。今の俺はハートブレイカーなんだ、慰めやがれ」
他の女が結婚するから恋人が傷心というのも微妙に間違ってる気もするが、サンジがこうした甘えを見せるのは自分だけなのだ。ならば、最大限に甘やかして包んでやりたい。
自動販売機で清涼飲料水を買って、揃って飲む。とりたてて繁華街でもない場所なので、耳に澄んで聴こえる虫の声以外は静かなものだ。
特におしゃべりもせず肩を触れ合わせて座っていたが、数分か数十分経って空を見上げたサンジが呟いた。
「中秋の名月…ってやつかな」
「ん?」
倣って首を同じ方向へやると、綺麗な満月が浮かんでいた。輪郭は僅かにも欠けることなく、夜空に柔らかく光を放つ。
「ああ。もう月見の時期だもんな」
「おっと、月見団子食いたいなんて色気のねェ事言うなよ。ムーディでロマンティックなこの夜に相応しい話をしろ」
「俺にそんな話できるわけねェだろ」
「確かにそうだ」
会話をするうち酔いもやや冷めたのか、サンジは先刻よりはすっきりした表情になった。「じゃあさ、月に関する話はどうだよ」
「月?アポロ13号とかか」
「…まあ月面着陸も一種浪漫だろうけどさ…。所詮お前に期待するのが無謀だった」
「そう言うお前はどうなんだよ」
「え?そりゃ、例えばかぐや姫とか」
「……ロマンティックか?」
「だってよー月の姫だぜ。言い寄る数多の男を袖にして月に帰らねばならぬ儚くて、美しい…ああ、ビビちゃん…俺はまるでかぐや姫を見送る爺さん婆さんの気持ちだよ…」
思考が戻ってしまったので、ゾロはそれを打開すべく記憶の端にある物語を引っ張り出す。
「あれだろ、色んな男が求愛したけど絶対適えられない条件を出して」
「そうそう、断るためにな」
「けど、男の方にも根性がなかっただけじゃねえのか。本気で欲しかったら、命かけても手に入れるだろ」
「それじゃ物語にならねえし。しかし実際、お前ならどんな無理難題でも克服すんだろうな」
サンジがくっくっと喉の奥で笑う。「俺がもしかぐや姫だったとして、いつか月に帰る日が来ても…連れ戻しに来そうだ」
冗談めかした言い方だが、瞳の色は妙に真面目だ。なのでゾロも真顔になる。
「行くだろうな。けど、そんな日は来ねえよ」
「断言できんのか。帰るのは月とは限らねえぜ?事情で田舎に帰っちまうとか、会社の仕事でどっか遠いトコに飛ばされるとか、な」
この先何があるかなんて分からねェんだしと、サンジは曖昧に語尾を濁した。
なら、もっと話は簡単だ。
地球上だとすれば、どこだって追いかける手段はある。だから。
「俺から逃げるつもりがないんなら、そんなこと言うなよ」
すっかり人気もなくなっていたので、ゾロはサンジの頭をすっと引き寄せる。ついでにくしゃりと金髪を掻き乱す。
サンジも逆らわず、ゾロにゆったり体をもたせかけた。
「うん…悪ィ。秋なもんで、ちょいとセンチメンタルになってみました」
ゾロからしてみれば考える必要のない不安や未来への懐疑心は、サンジの中から完全には消せないかもしれないと思う。それはゾロを信頼していないというのではなく、瑣末な事にも神経を行き届かせてしまう優しさのせいなのだろう。
「お前の行く所なら、どこでもついてってやるさ」
自分の言葉で彼が少しでも安心するなら、何度だって飽きるくらいに繰返してもいい。すべて本当の気持ちなのだ。「あとな、逆に俺がどっか行くのもありえねえし。その心配もすんなよ」
「……やな奴。俺のこと全部分かってるつもりかよ?」
「全部とは言わねェが。全部を好きになってやれる自信はあるな」
「バーカ。自信過剰も大概にしやがれっての」
サンジが口調とは裏腹に甘く軽く唇を重ねてきてから、立ち上がった。「それにしても明るい月だぜ。なァお前、朧月とどっちが好きだ?俺は霞んだようなのも、綺麗だと思うんだが」
「どっちでもいい。ぶっちゃけ、半月でも三日月でもいい。月は月だろ。…お前はお前だし」
どんなふうであろうとも、彼はたった一人の彼だ。かけがえのない。
「ハイハイ。結局のところ、お前は俺にベタ惚れなんだよな」
「よくお分かりで」
「惚れてんのはてめェの方だけじゃねえんだってのも、きっちり分かっとけよ?」
仁王立ちで人差し指をつきつけ、何故かとても威張ったふうに言う彼にゾロが微笑した。
これ以上、俺を口説いてどうするんだ。
今でさえ、お前の何もかもがどうしようもなく愛しいのに。

丸く暖かい光を背にしたサンジに向かって、ゾロは大きく腕を広げた。
──月ごと恋人を抱きしめられそうなほど。

 

-fin-
20040926



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