ugetu monogatari

 

 



窓を伝う水滴をぼんやりと眺めていたゾロは、背中の気配に振り向いた。
「止まねえな、やっぱり」
タオルを首にかけて湯上りのサンジが近寄ってくると、石鹸の香りとすぐには引かない蒸気がともに隣にやってくる。「クソ、珍しくお前も土日休みだったのに。この分じゃ明日も無理だなあ」
「だろうな」
手を伸ばしTシャツ姿のサンジの腰を抱き寄せる。
「止めろ、湯に浸かり過ぎてノボセ気味なんだ。あちい」
口ではそう言いながらもされるがままにゾロに身を凭せかける。
「そう言や、えらく長風呂だった」
「捻挫がやっと治ったしのんびり入ってたんだよ。…しかし、せっかく明日は遠出しようって言ってたのに残念だ」
ゾロがまだ湿った髪に触れるのに任せ、サンジはゾロと同じように窓を眺めていたがやがてふっと微笑む。
「何だ?」
「ん…そう言えば雨ン中転がり回った事あったなと思ってよ」

ああ。去年、だったか…?
ゾロは飽きずサンジの髪を何度も指で梳きかき上げた。

 


──記録的な豪雨が数日続いていて、やっと止んだ日。傘が標準装備になっていたが、今日はさすがにもう大丈夫だろうと身軽に出かけて、しかしちょうど帰る頃にまたひどく降り出した。
残業で遅くなったゾロは、ビルの玄関で少し小降りになるのを待つかそれとも諦めて濡れて帰るかと躊躇していた。と、後ろから決して好意的ではないからかい混じりの声がする。
「馬鹿じゃねえの」
後ろに立っているのが所属部署は違うのに入社以来何のかんのとぶつかってきた金髪の男だと知ってゾロは正直うんざりした。
「あァ?」
「こんな天気なんだから雨止んでても傘持ってくんの、常識じゃん」
「…傘は鬱陶しくて邪魔になるから、嫌いでな。ちょっとぐらいなら濡れる方がマシだ」
「ハッ、小学生じゃあるまいし。それとも技術屋さんてのは専門分野以外はお子ちゃまなんですか」
「傘持ってなかったぐらいで何で仕事の事まで口出されなきゃいけないんだ。さっさと帰れよ」
「俺はねえ、優しい男なんだよ」
サンジは黒い折り畳みの傘を広げながら、噛んで含めるように言う。「女性はもちろん、例えどんなに気に入らない野郎でも駅まで送るくらいの器の大きさはある訳だ」
ゾロは訝しげにサンジを眺めていた。
要するに自分の傘に入って行けと言ってるのか?
回りくどいと言うか捻くれてると言うか、そんな施しみたいなものを受けてまで入りたいとも思わなかった。
「こんな小さなことで恩着せられるのなんてゴメンだ。構わないでくれ」
言い捨て走り出そうとしたが、サンジの揶揄は止まらない。
「うっわー、やっぱりガキだな。しかも意地っ張りの。女子社員憧れのクールで大人っぽいとか言われてるロロノアさんがこんな一面持ってるなんて、株下がりまくりなんじゃねえ?」
女性にどう思われようが気になどしないが、サンジの口調が非常に勘に触る。この男と話していると学生の頃にでも戻ったかの如くムキになってしまうのだ。
放っとくと何を言われるか分からないので軽く舌打ちして、傘を差すサンジの傍に立った。
「最初っから素直にそうしてりゃいいんだよ」
満足げに勝ち誇った様子が、それこそガキじみてると思ったが口論になるのが分かってるので無言を貫き彼の隣を歩く。
駅まではそう遠くないが、終始穏やかとはいかなかった。何しろ横のサンジが煩くてかなわない。
「あんまりくっつくな、気持ち悪い」
「てめえ極端なんだよ。そりゃ離れ過ぎだろ。嫌味か!」
「あーあ、何で野郎なんかと相合傘なんてしなきゃいけないんだ」
…云々。
ゾロにとっては拷問みたいな十分が過ぎ、駅の改札に立った時にはほっとしたものだが。
「感謝しろよ。まあお礼の言葉と…コーヒーでも奢ってくれりゃ割に合うかな」
居丈高なサンジの言葉についにゾロの堪忍袋の緒も切れた。
「てめェ、いい加減にしろよ」
サンジの胸倉を勢いよく掴んだ時、濡れた床に革靴が滑った。結果、二人して地面に転がる形になる。
「こんにゃろ、俺のオーダーメイドのスーツがドロドロじゃねェかっ。どうしてくれんだコラ!」
「うるせえ。そのまま転がっとけ!クリーニング代くらいは出してやる」
「誰がてめェに金なんか出してもらうかよ。目には目をってのが俺のポリシーだ」
サンジがゾロに泥を投げつければ、お返しとばかりにゾロが水溜りへサンジの体をバシャンと押しつける。
駅員が見かねて仲裁に入るまで、雨の中スーツ姿の二人の乱闘は続いた。

 


「あのスーツ、結局オシャカになっちまってさ。気に入ってたのによ」
「ありゃお互い様だ」
ゾロが苦笑いして肩を竦める。「喧嘩売ってきたのはお前だったぞ」
「いや俺はな、円滑な人間関係を築きたいと思ってたんだぜ。ちょっと話すりゃ、お前の事も理解できるかなあと…」
「あれでか」
「そう、あれで」
真面目くさった表情でサンジが頷いた。
外では相変わらず雨が降り続いている。
「それにしてもよく降るよな。梅雨…いや、雨月ってのか?それも風流っつうか日本のワビサビってヤツかね」
「それ、季節的には秋だろ。うちの婆さんに聞いたことあるぜ。雨のせいで名月が拝めないからとかどうとか」
「ふーん。確かに雨じゃ月は見えねえな」
サンジの言葉に、ゾロは黄色の丸い頭を引き寄せて優しく撫でる。
「俺の月はここにあるから別にいい」
「バーカ。何言ってんだか」
ゾロの胸に頭部を預けたまま顎を少し反らしてサンジがゾロを悪戯っぽく笑いながら見上げた。細い金髪をかき分けて、その瞼にキスをする。
お互い、こんな心地良いゆったりした時間を持てるとあの時は考えもしなかった。けれど、今はそれすら不思議なほど傍らに彼がいるのがあまりにさりげなく自然で、それだけに。
何にも代え難くかけがえがない彼を。この時間を。大切にして失いたくないのだと強く思った。
雨音は決して激しくはなく、静かに穏やかに一定のリズムを窓に響かせている。


-fin-
2003.6.6

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