麗しのプリンス


 

熱砂の上を進み続けた昼間が嘘みたいに、夜はひどく冷え込む。
ゾロはひとつくしゃみをして、目を開いた。不穏な気配などを感じなければ大抵熟睡するのだが…。
そろそろ明け方だろうか、仄かに色づく空。
他のクルーたちは全員ぐっすりと眠っている。しかしやや離れた岩陰から明かりがちらちらと覗いているのに気づき、ゾロは刀を差し直すとそちらへ向かった。
「……?」
座り込んで何やら読み耽っているサンジの姿。声をかけようとして、彼があまりに真面目な顔でしかも見慣れぬものがそこについてるので躊躇う。
「ん?てめェか」
砂を踏む音にサンジの方がゾロに気づいた。「何で固まってんだ?」
「珍しいモンかけてやがるからよ」
「ああ、コレか。似合うだろ。いや、俺はどんなのでも似合っちまうけどよ」
サンジが指で、その眼鏡をくいと上げる。
確かに似合わないこともないとは思う。普段は愛嬌のある瞳が黒い無機質な長方形に囲まれ、いくぶん年上に見えた。
「目が悪いとは知らなかった」
と言ってもコックのことなど殆ど知らないのだが。
「度は殆ど入ってねェよ。オシャレ小物ってヤツだな。この前ナノハナで服とかと一緒に買ったんだ」
「金の無駄使いだな」
ゾロはあっさり片付け、サンジがヤレヤレと肩を竦めるのには構わず彼の手元にある紙や本を覗く。「何一生懸命勉強してんのかと思ったら地図かよ」
興味を失ったようにゾロが欠伸をした。サンジがぴしっと人差し指を立てる。
「ただの地図じゃねえ。よく聞けよ?レインベース近辺の地図とガイドブックだ。てめェなんかにゃ無用の長物だがな、しっかり地形や街の様子を把握しといて損はねえ。俺ァ頭脳派だからな」
「そんなもんかね」
基本的に傾向と対策を練るよりは体で覚えて超えていく性質なので、確かに自分にはあまり向いていないなと思うがサンジなりに真摯な態度で今回の戦闘に向かう気らしい。「まあ精々頑張れ」
「おう。何しろてめェ含め他の奴らはアテになんねえからな〜。ナミさんとビビちゃんをガードするのは俺しかいないってもんさ。こうしてきちんと前もって覚えとけば、逃げるにも攻めるにも具体的な作戦が立てやすいからな。そして俺が見事に二人を守った暁には、ナミさんはあらサンジくんてやる時はやるのね見直したわご褒美にキスしてあげるチュッチュッチュッなんつったりして、ビビちゃんに至ってはまあやっぱりサンジさんってキレ者なのね素敵よあなたがいなければ国は救えなかったわぜひ結婚して私だけの王子様になってとか言って迫られたりしてな!イヤ参った参った」
「…アホか」
ニヤケ面のサンジにぐいぐい肘で押されて、ゾロはその一言しか出なかった。
あまりに早くて流暢過ぎて、途中からサンジの台詞はよく聞き取れなかったのだが。
「んだと?!地図も読めねェマリモ頭にアホ呼ばわりされるたあ心外だな」
「うっせえ。何が頭脳派だってんだよ。つまり女の為じゃねえか、このエロコック」
「当然だ。俺はレディに尽くすプリンスだからな。あ、てめェはもう呼ぶなよ。気色悪いから」
間髪を入れず予防線を張る。昼間、ゾロにからかい混じりにプリンスと呼ばれたのを根に持ってるらしい。
「呼ばねェから、それ外せ」
ゾロが言いながらサンジの眼鏡に手を伸ばす。
「止めろ!てめェなんかが触ったら壊れんだろが」
「…邪魔だ」
キスをするのには。
ゾロのムスッとした様子にサンジはふふんと顎を反らすと、もったいぶった動作でそっと眼鏡を外した。
唇を合わせ、冷えた首筋に掌を這わせるとサンジがぞくりと身を震わせる。
「サカんなよ、動物」
微妙に掠れた静止の囁きはかえって劣情を誘うのだが。ゆっくり体を重ねられる時ではないのは分かってはいてもつい不満げに、低くそれこそ動物めいてゾロは唸った。「こんなところでヤれる訳ねェだろ?キスだけだ、今は」
サンジは意外に大人で、意外に子供だった。ぺらぺらお喋りをしていたかと思うと急に落ち着いた風情を見せたり、ころころと変化を見せる彼に翻弄されている気がして口惜しい。
だがそれは結局心を奪われているということで、余計と始末が悪かった。
ゾロはせめてもの報復にと彼の下唇をきつめに噛む。
「…どう思う」
唇が離れると、サンジが独り言めいて言った。
「何がだ?」
「今度のはでかい戦いだぜ。まあルフィにとっちゃただの一過程に過ぎねェだろうけどな。…それは、てめェもそうか」
ゾロは黙ってサンジの身を抱き寄せた。
否定はしない。自分も眼前にある階段を上るだけだ。ルフィと向かう場所は違えど進む事しか考えられない。
「けど、今度は相手も悪い。てめェが軽く捻られた七武海の一人だ」
「放っとけ。七武海ったって奴は鷹の目とは違う」あの、世界最強の男とは。「それに、ミホークだって今度会った時にゃ俺が倒すんだよ」
「強がんなってんだ、ガキが」
体を凭せ掛けながら、サンジはつんとゾロのおでこを突付いた。
「こんな奴らばっかりだから、俺みたいなのがしっかりとフォローしてやんなくちゃなんねェんだよなあ。まったく手間のかかる連中だぜ」
「面倒みてくれなんて頼んでねェだろ」
「誰が面倒見るって?俺はナミさんとビビちゃんのためだけに颯爽と現れるヒーローだぜ」
プリンスじゃなかったのか。
思いつつも無駄な指摘は止めにして、サンジの減らない口を再び塞ぐ。
金髪を指で梳くと、砂漠にいるせいかいつもよりも乾燥気味にさらさらに流れた。
いつでも後腐れなく離れられるだろうと体を交わしたのに、彼は思ったよりもずっとゾロの内部に入り込んでいた。
渦巻く想いはこの国全土に舞う砂礫よりも捉えどころがなく、そして途切れず溢れ続ける。オアシスがなければこの地に住めぬように、彼がいなければ自分は枯渇する。
──彼に守ってもらおうなどとは僅かにも考えていない。保身を怠ることが多いのは寧ろサンジである。クロコダイルを倒してこれから更にルフィが伸びていくとしたら、戦いが大きくなるつれて己を磨くことに集中するゾロよりも他に目線をやることのできるサンジの方がよっぽど危うい。だがずっと隣にいてやることは出来ないし、そんな依存はサンジは求めてはいないのだ。
結局はやはり彼を信じるしか術はなく、きっとそれでいいのだろう。おそらく。



レインベースでバラバラになった時も、だからゾロはあまり心配していなかった。
あいつはきっと来る。
そう思っていた。
ただ檻が自分で斬れない事は悔しく、サンジに助けられるのはどうにも不本意だったが。

"待ったか?"

格好をつけたがってたキメ台詞も決まったか、ああ、良かったなおめでとさん。分かったからさっさと鍵を探せ。
ナミさ〜ん、ホレた?と浮かれた声でへなへなと相好を崩して寄って来る。
いや、呆れはしても惚れはしねえだろうと心中ぶつくさ言っている剣士の方にはサンジは視線も寄越さない。
やっとのことで鍵が開いて、狭いところから漸く出られたゾロはひとつ伸びをした。そして、ぞろぞろといるバナナワニを片付けようと刀を抜くと、すれ違いざまに彼がぼそり呟く。
「おい、クソマリモ。言っとくが、お前ら助けたのはあくまでも物のついでだぜ。誤解すんじゃねえぞ」
「だから何だ?」
だーかーらー、とサンジはポケットに両手を突っ込みずいとゾロの懐に踏み込む。
「てめェは惚れんなよって事」
「……生憎手遅れだ、プリンス」
ゾロが口角を上げると、あん?と首を傾げた拍子にサンジの眼鏡のレンズが光を白く反射した。


──これ以上は、惚れようがない。

 


-fin-

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