楽園追放 12





サンジは、砂だらけの服を手で掃う。そしてゾロの前を素通りして、遠く船が見える方へと歩を進めていった。
「…怪我だけ、か」
ゾロの問いかけに、サンジは剣士を振り返った。
「また野郎に犯られたんじゃないかって意味かよ?はいはい、ご心配なく。アナタが来てくださったおかげで無事でございました」
「俺はただ───」
「ンだよ…礼が足りねェか。ドウモアリガトウゴザイマス、ロロノア・ゾロ様」
お辞儀した拍子にサンジの身がぐらつき、ゾロは咄嗟にその腕を取る。サンジが蜿いた。
「触んなって言っただろうが。まったくてめェはよ、強くて優しくてご立派なもんだぜ」唇を歪めて嗤う。「そうやって、俺をどんどん見下げた男にしやがる。楽しいだろ?満足だろ、あァ?」
ゾロは息を深く吸うと、いきなりサンジの頬を殴りつけた。彼が砂浜に倒れ込む。
通じない。通じない。
この心はやはり絶対にサンジには届かないのだ。
諦めたつもりだった。希望など殆ど持たないつもりだった。
だが、まともな関わりさえ自分には許されないのだろうか?
そんな些細な願いすらも。
叶わない……。
「…俺は」
ゾロの語調は、地の底を這うように低い。握った拳は震えていた。「俺は、優しくもねえ、立派でもねえ。優しかったら、怪我してる奴殴ったりするかよ。てめェが勝手すんのが許せなかっただけだ」
「へっ、逆切れかよ…。ざけんじゃねえぞ、てめェ」
もともと傷は負っていたが更に新しい血が口元に伝ったのをサンジは拭った。起き上がり様ゾロの足を払う。不意打ちにゾロが膝をつく。続けて背中を蹴ろうとする足首を掴み、二人して波打ち際で縺れ合った。
海面にサンジの顔を叩きつけると海水を飲んだのか激しく咳き込み、ゾロは振り上げた右手を下ろす。
サンジの咳が止むと、しんと静けさが訪れた。月明かりに照らされるのは、海水と砂で全身が泥まみれになっている二人の姿。酷い状態だ。
座った姿勢のまま、しばらく動かずにいた。ゾロはそうでもないが、サンジは怪我のダメージで立てないのかもしれない。
ゾロは奥歯を噛み締める。
ああ。
やっちまった、と思った。
抑えられなかった。
どうあってもゾロを退けようとするサンジが腹立たしかったし、憎くさえあるのに傷つけたくない。相反する思いは直接的な暴力となって表われてしまった。
所詮彼を大切にしたいなどと言うのは、単なる自己欺瞞に過ぎなかったのか。
もう駄目だ。今度こそ、本当に戻れなくなった。取り繕っても結局感情は漏れてしまう。可能ならば、彼の為に口を噤み己の感情も消し去って、完全に白紙に戻したかったけれど。
「───気にしちゃ悪ィか」
漸く出た声は、自分でも情けないほどに掠れていた。「てめェを、放っとけるもんなら放っとくさ。けど、無理だから仕方ねェんだ。これは…俺の都合だからよ。すまねェが」
訥々と思うまま語る。どうせサンジには疎まれているのだ。この上何を恐れることがあるだろう。
俯いていたサンジがゾロに視線を移す。
長い長い沈黙の後、
「見くびるな」
とポツリと言った。ゾロもサンジを見るが、彼は気持ちが幾つも渾然となった目をしていた。
「俺はそんなに頼りねェか。単に強がるだけの男か?だから腫れ物並みに扱ってやんなきゃって───無茶したら俺が壊れちまうとでも思ってんのかよ?」
「…思って…ねえ」
「なら、証明してみろ。上っ面の奇麗事なんて要らねえ。てめェがさっき俺を殴ったのは何でだ?ぶつけるしか脳がねェ動物が下手に頭使うな。大事に大事にって、遠巻きにしやがる野郎の言い分が信用できるもんかよ。本気じゃねェって……同情だって疑いたくもなんだろうが…」
サンジはゾロの襟首をぐいと引っ張る。「真剣に欲しいなら俺の血を啜るぐらい、とことん欲しがったらどうなんだ。俺が死ぬほど嫌がっても逃げようとしても、肉に喰いつくくれえ性根は据わってなかったのかよ、てめェは…!」
虚勢ではなく、サンジは本当でそう思っているのだろう。ゾロは穴が開きそうなほどに彼を見つめていた。
何て男だ。底が知れない。
外も内も傷を負っている癖に、正面から手加減なしにかかってこいと言うのか。
…俺はこいつの、何を知ったつもりでいた?
こいつに何を伝えたつもりでいた?
確かに。先に引いたのはゾロだった。
そうするのが一番良いと思ったからだ。サンジだって、何度も言ったではないか。元に戻ろう、と。だが…。
「俺は───」
自分はサンジを求めているのだ。それ以上の答はない。
「どうしても、お前が必要だ。迷惑だろうが…これは、譲れそうにねェ」
「ふん。ちったぁらしくなってきたじゃねェかよ」
ゾロから手を離すと、片膝を立てて座り剣士を斜に眺める。「俺がてめェに何もやったりしなくても、それでもか?」
「ああ…。構わねェさ」
サンジの身が無事だったと知った時、自分はどんなに胸を撫で下ろしたことか。
彼さえ生きていればいいと本気でそう感じた。
同じように想いを返されなくても。心も体も与えられなくとも。
気持ちが消えたりはしないとつくづく分かってしまったから。
手に入らないのは承知の上で、それでも彼が彼らしくあればそれで十分ではないかと思えるのだ。
「てめェ、諦め悪そうだもんな。馬鹿だね、まったく…。俺なんかに執着しやがって。後悔しても俺は責任持たねェぞ」
サンジはゆっくり立ち上がると、皮肉めいて呟く。
「責任なんか取らなくていいし、俺の道理にケチつけられる筋合いもねえ。この場合、諦めんのはそっちだろ。俺はどんなにお前に嫌われても、離れる気はねェからな」
ゾロはまっすぐにサンジに言葉を告げた。どんなに情けなくても、みっともなくても。泥と土塗れになって進む方が悔やまずに済む。適当に手抜きなど出来ない。
「……てめェは正真正銘のアホだ」
サンジはいよいよ呆れ果てたという口調で髪を揺らした。「誰が、いつ、嫌いだって言った?」
「───何…?」
「好きだぜ」
ゾロが目を瞬くのを、サンジはとても柔らかい表情で見ている。

「好きだ。大好きだ。って言ってんだ、クソ野郎」

ゾロは。何と答えていいものか分からなかった。空耳だろうかとさえ疑った。まるでずっと言い続けて来たみたいに自然で、さらりと流れて耳を過ぎようとするその言葉を。
「ボケーっとしやがって、聞こえてんのかよ。そう滅多にゃ言わねェぞ」
サンジに言われ、やっとゾロは口を開いた。
「お前…正気か?」
サンジがポカンとして、一瞬後笑い出した。
「ははは!人が告白してやったのに、そんな受け答えがあるかこの間抜け!だが…てめェならそんなもんか」
ゾロは屈託ない別人のようなサンジに、こいつは俺の与り知らないところで今までどれほど重いものを抱え隠し通してきたのだろうと思った。刹那、この強くて優しい男が愛しくて堪らなくなる。
サンジの体に右手をおずおずと伸ばす。
彼は今度は避けなかった。ずぶ濡れのサンジのシャツに触れ、指に引き締まった肩の肉を感じ、自分に比べるとやはり細い腰に左手を添えて、やんわりと抱き寄せる。
過去に何度かこうしてこの身を擁した記憶はあったがそれはいつも、どこか希薄な感じのする彼を正視できなくて支えずにいられないからだった。でも今は違う。
サンジはちゃんとここに居る。居てくれる。どこにも行かず、自分を見てくれている。
その確信が、砂漠に水が染み渡るかの如く胸に暖かさを広げていった。
「……何だか知らねェが」
ゆっくり金髪に鼻先を埋める。「泣きそう、だ」
拒絶されて苦しい時も涙など出なかったのに。
サンジは少し驚いた様子だったが、やがてゾロの幅広い背中に掌を置いた。
「幸せ過ぎてか?てめェは…ナリばっかりでけえガキみてえだなあ…」
「うるせえ」
「まあ、てめェを好きだなんて正気の沙汰じゃねェのは認めるがな。どうも本当らしいから仕方ねえ」サンジはゆるゆるとゾロの背を撫でる。「お前は折角人が引き剥がそうとしても整理つけようとしても、いちいちカンに触る事しやがるし、本当ンとこ頭にきてしょうがなかったぜ」
「てめェが言うか、それを。お互い様だろ」
ゾロが反射的に返すが、彼が普段以上に早口でお喋りなのは照れているからなのだと分かったのでそれ以上は止めておく。
「───さて、そろそろ帰るか。しかしチョッパーに怒鳴られるな、こりゃ。ひでェひでェ。俺の高級な服もサッパリだ」
ゾロから離れて、泥のついた服を軽く引っ張った。
「あーあ。…楽園、追放か」
歩き出したサンジの小さな独り言を、ゾロが耳聡く聞きつける。
「何だって?」
「楽園みたいなもんだと思ってたんだ。今まで通りの生活は。そりゃいつ死ぬかも分からねェから、楽しいことばっかりでもねェけどよ。少なくとも仲間うちでワイワイやってる時は平和だろ?」
「そうかね。よく分かんねえな」
「これだから詩的センスのない奴は駄目なんだっつの」
サンジが大げさに嘆息すれば、ゾロはこともなげにさらりと言った。
「てめェがいりゃ、どこでも楽園だ」
「…センスのないわりにこっ恥ずかしい台詞並べやがるし…」
ぶつぶつと不満そうに続ける彼の横顔を、ゾロは飽くことを知らず眺める。
散々遠回りをして、サンジとの関係はやっと始まったばかりなのだ。
追い出されるような楽園なら、出て行けばいいだろう。
自らの手で新しく作ればいい。
誰にも文句など言わせたりはしない。

凛々しくも不遜とも窺える笑みを零し、ゾロはもう一度サンジの身を包む。
冴え冴えとした月は、二人の背中を明るく、そして際限ない程優しく浮かび上がらせていた。

 

-fin-



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02.12.3 完結
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