羽根のない鳥 8

 

 

「サンジ!」
地面に倒れたサンジにチョッパーが駆け寄る。
と、ルフィの手が銃を撃った男の首元に伸び、その体を壁に叩きつけた。
「何だか知らねェけど、こいつはやっつけていいんだろ」
「それよりサンジが…弾丸を早く取り出さないと!」
チョッパーに言われ、ルフィが手を離すと白目を剥いてしまっている男がどさりと落ちた。
「わかった!とにかく船に運ぼう」
「うん。ゾロは俺が背負おうか?」
チョッパーが人型になろうとするのをゾロは手で制した。
「俺は歩ける。お前ら先に戻ってそいつを手当てしろ」
ゾロの傷も気がかりらしかったがサンジの方が一刻を要すると判断したのだろう、船医はサンジを抱え早足で進むルフィの後を追う。
──チョッパーたちからは遅れて、雪走を杖代わりにしたゾロがゴーイングメリー号に帰り着くとナミが顰めっ面で出迎えた。
「いやねえ。あんた、死人みたいな顔色してるわよ」
「ちょっと血が出過ぎただけだ。それより、容態は?」
「サンジくんなら格納庫でチョッパーが見てる。銃弾は摘出したみたいだけどね。意識はまだ…」
「あのアホが」
ゾロは舌打ちすると格納庫の扉を開いた。
「ゾロ!良かった、遅いから心配してたんだ」
チョッパーが振り向く。「包帯も変えて縫合し直さなきゃ」
「俺は平気だが、そいつはどうなんだ」
「出来ることはやったよ。あとはもう、サンジが目覚めるのを待つしかない。弾も心臓からは逸れてたから大丈夫だとは思うけど」
言いながら、チョッパーがてきぱきとゾロの手当てを開始した。
皮膚が引き攣れる痛みに顔を顰めつつ、ゾロは横たわっているサンジに視線を移した。赤黒く汚れてしまった包帯などを片してチョッパーが外に出て行く。
格納庫の中は薄暗いが、差し込む僅かな光にサンジの白い肌は妙に明るく反射した。
上半身裸で包帯を巻かれたその体は細い。初めて抱いた時も、こいつはこんなに細かっただろうかと不審に感じたものだ。もともと自分に比べると痩せてはいるが、筋肉は結構ついていたように思うのに。
借りは返した。
そう彼が言った時、違和感があった。というよりもそれ以前の違和感がなくなった、の方が正しいだろうか。
サンジの態度はゾロについての記憶がなくなってから、ある意味丁寧で常に一線を画してどこか引き気味な余所余所さがあった。しかし、あの時の彼は以前のサンジだった。どこがどう、とは指摘できない。口調や雰囲気、言ってしまえばただの勘だ。ゾロは理論を組み立てるよりはまず己の感覚を信じてそれで判断する男だった。
今までの不自然な物腰が全て、ゾロに対する記憶を失ったという偽りからくるものだとしたら、彼がゾロだけを忘れたふりをしなければならなかった理由は一つしか考えられない。
(起きろ)
(てめェに聞きたいことがあるんだ)
(起きて説明しろよ)
ゾロはサンジの肉が落ちた頬に手を触れてから、傍に座って瞼を閉じる。満身創痍な状態で動いたのでさすがにいくらか疲れていた。


サンジの意識が戻ったのは翌日の昼で、眠っていたゾロはクルーたちの騒ぎに起こされた。
「あ、ゾロ。包帯と薬の塗り替えしなきゃ」
チョッパーがいそいそと救急箱を開ける。処置が一通り済むと、ゾロはサンジの前に立った。
「ちょっとこいつに話がある。悪いが外してくれ」
誰に言うでもなかったが、ロビンとウソップがまず出て行き、それからチョッパーが喧嘩は駄目だからなと一声かけて格納庫を後にする。ルフィがきょとんとしているとナミに襟首を掴まれ、引き摺られて行った。
サンジは固い表情でゾロを見上げていた。一体改まって何を言い出すのかと警戒している様子だ。
彼の横に腰を落としゾロは暫し黙っていた。
「…どうしたんだよ」
沈黙に耐えかねたのかサンジの方から促され、ゾロは口を開いた。
「俺に惚れてんなら、何でそう言わねえ?」
その問いはあまりにも単刀直入で、サンジにとっては切っ先鋭く中心を貫かれたに等しい。明らかに動揺した様子こそ見せないものの、唇を舌で湿してどう返してやろうかと躊躇する。
「──何、言ってんだよ…俺は、だいたいあんたの事は」
「忘れちまった、か。あくまでもそれで通すんだな」
ゾロは横たわっているサンジの脇に両手を着くとのそりと彼に覆い被さる。「なら、思い出させてやるまでだ」
「な…?!」
サンジが身を捩って抵抗するが、ゾロは構わず彼が羽織っているシャツの隙間からその胸に手を這わせる。「止せ…!そんな事できる状態じゃねェだろ。あんた、傷口がまた開くぞ」
自分のことではなくゾロの身を案じている、全く彼らしい言い方。ゾロは荒々しく答える。
「うるせえ、黙れ。俺はやりたいようにするんだよ。我慢したりしねえ…てめェと違ってな」
強引に足を割って彼の間に入ると鎖骨に噛みつき、下肢へ手を伸ばしシルバーのバックルを乱暴に外す。サンジが渾身の力で押し返すが、逆にその両手首をきつく捻り上げた。
「止めろってんだよクソ野郎!てめェは、そんな色ボケた奴じゃなかっただろうが…見損なったぜ!」
サンジの叫びにゾロは動きを止めたが、それでも依然サンジの両腕は拘束して彼を見下ろした。
「やっぱり。忘れた振りしてただけか」
「……」
悔しそうにサンジはゾロを睨む。「ハッ…こんな単純男に嵌められるなんて、な。最悪だ」
「さっきの質問にも答えてもらおうか」
「…そこまで認めた覚えはないね」
サンジは挑みかかるみたいに微笑んだ。「ちょっとカラダ貸したからって、俺がてめェを好きだとか誤解すんじゃねえぞ?単細胞だから直結したのかもしんねえけど、そりゃ大いなる勘違いってヤツだぜ、剣豪さんよ。もともとヤらせてやったのも、ただの気まぐれなんだ。処理にもなるしいいかと思ったけど、てめェはヘタクソだしなあ。いい加減もう飽きたのにお前がしつこくつきまといそうだったから、忘れたフリしてみただけさ。残念だったな」
サンジの反撃とも嘲弄ともつかない言葉は止まらず際限なく続きそうだった。
「…分かった。もういい」
ゾロが力を抜いて、サンジから離れる。「正直、てめェが俺を忘れようがどうしようが構やしねえんだ」
「ああ。てめェにはどうせ関係ねえからな──俺のことなんて」
「勘違いすんな、クソコック。俺についての記憶なんてどうでもいいって意味だ」
「……」
「てめェが俺をどう思おうが勝手だしな。けど、俺ァ結構前のてめェは嫌いじゃなかったぜ。頭に来る事も多かったがよ」
料理人としての矜持も、ゾロとは違う彼の戦い方も、理解や歩み寄りこそできないが一目置いていたのは確かだった。「だから、てめェが自分さえ忘れなきゃ…見失ってなけりゃ、それでいい」
ゾロはふいと立ち上がり、置いてあった三本の刀を取ると腰に装備し直した。
「──俺は…っ…」
振り向けば、サンジが床に手をつき身を起している。前髪が垂れ表情は見えない。「忘れたかった…忘れてェんだ、こんな気持ちは。鬱陶しくて、暑苦しくて、てめェみたいな奴は大嫌いな筈で…なのに…」掠れた声は振り絞るかのようだった。「なのに、どうしたって忘れられねえ…俺は…俺は、お前の邪魔だけはしたくないのに…何で…!」
彼の両膝に、ギュッと握りしめた手の甲にぽたぽたと雫が落ちた。悲しさよりは悔しさか。堪え切れず溢れ出る涙。時折嗚咽が混じり、金髪が微かに揺れる。
じっとゾロは彼を眺めていた。
それは如何程に厳しき自制なのか。
己を抑え込んで想いを檻に閉じ込めて、さながら羽根をもがれた鳥が飛べず暗い闇に蹲っているかのようだ。
手を差し伸べたりするのもいじらしいと感じるのも、彼にとっては屈辱になるだろうか。怒らせるだけだろうか。こんな感情をどう表現すればいいのかゾロには分からない。分からないけれど。
「聞くが。何でお前、初めから諦めてんだよ」
「──てめェは世界一だとか馬鹿げた夢持ってんじゃねェか。他に目ェやる余裕なんてないだろうが」
「随分と見縊られたもんだな」
ゾロは再びサンジに近寄り、その肩に手を置いた。「俺が夢以外には何も抱えられないと思ったか?」
「…憐れむな。そんなのは、絶対にごめんだ」
サンジがゾロの手をぴしゃりと撥ね退ける。だが撥ね退けられた手は、今度はサンジの顎へと移動した。
「てめェが俺に同情されるような男だったら、興味なんか持たねえ」
(放っとけねえよ)
(俺は…お前をもっと知りたい)
この馬鹿で傲慢で、そして強い優しさを持った男に教えてやりたい。
きっと始まりを間違えたのだ。故に歯車が噛み合う事なくずれて行ってしまう。軌道を正さなくては、恐らくどこまでも。今からでも遅くはない。少なくとも気持ちを向き合わせれば、見えるものも手に入るものもある。
サンジは呪文みたいに呟いた。
「俺はてめェの事なんか…忘れたいくらい…嫌いなんだ」
「つまり忘れられねえくらい好きって事か」
「あァ?曲解もいいとこだな。ったく、思い上がってんじゃ──」
サンジが呆れ口調で言いかけ黙った。ゾロの顔がとても近かったからだ。「畜生…」
戸惑いを見せうつむく頬に伝う涙の跡を節くれ立った指で拭い、ゾロはサンジにくちづける。
唇を重ねるのは初めてではない。だが、以前のそれは単に熱を煽り体を交わす為の前戯に過ぎなかったのだ。
こんなふうに存在を確かめ慈しむものではなかった。
互いに認め合う、ここまで深いキスではなかった。

ゾロはサンジの拒まない背中に腕を回して骨ばった体を包むが如くに抱きながら思う。



──羽根は、また生える。

 

 

-fin-

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2003.6.16完結

 
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