ZAP  #file 9 -side Z-  

 

 

人間、余計な時間があるとロクな事は考えない。

俺は深く思索にふけったりする方じゃねェけど、時間はあるのにする事はないこんな状態が続くと、どうしても色々考えちまうってもんだ。
入院なんて初めての体験だったが、ここまで退屈なもんだとは思わなかった。
本読んだりするタチでもないし、テレビも特に好きじゃねえ。
これじゃ体がナマっちまうと、左腕だけで腕縦伏せしてたら看護婦に怒られる。折れたのは右なんだから、別にいいと思うんだが。
こうなると、本当にぼんやりとしてるしかないんだよな。
で。
思い浮かぶと言えば仕事か雑多な事(ビデオ返したっけとか、あのゲームもう発売してんだろうなとか、車のエンジンオイルそろそろ変えなきゃなとか)。あとは──サンジの事、だった。
それもかなり、とりとめがない。
喋ってる様子や、軽い身のこなし、皮肉にねじまげた口、柔らかい笑顔なんかが何かのプロモーション映像みたいに浮かんでは消える。
何なんだこれは。
放っとくと延々と続き、しまいに以前触れた髪や頬や唇の感触までが甦ってくる気がして、いよいよ俺はヤバいんじゃないかと思う。
暇で運動不足なせいだ。そうに決まってる。…でないと、困る。
俺はモヤモヤとした感覚を追い出したくて、ベッドの上で腹筋を始めた。三十回数えた所で、からかうような声が注がれる。
「体力余って仕方ないって感じだな」
「あ、おはようございます」
顔を上げた俺は担当の医師の姿を認め、条件反射的に挨拶する。
そう言えば、診察時間か。
「おはよう。お前さんは挨拶だけはキチッとするよな。最近の若いヤツにゃ珍しい。それは誉めるが、患者なんだから一応は安静にしてほしいもんだ」
「すいません」
「退屈なのは分かるけどな」
無精髭の医師はそう言いながら、俺の右腕を取り軽く押したり擦ったりしている。「どうだ?特に痛みとかは、ないか」
「大丈夫です。あの、もう全然平気なんでそろそろ」
「そう焦って出なくても、のんびり養生しときゃいいのに」
医師は赤い髪を掻き上げる。「ま、若いしジッとしてんのも辛いだろうな。喜べ、明日には退院できる」
「ほ…」
「おう、良かったなロロノア!ついに退院か」
本当ですか、と俺が言おうとするのを遮ったのはエースだった。
「こらこら、まだ面会時間じゃねェだろ」
「堅い事言うなよ、シャンクス」
紙袋を持ったエースは、後ろにいたサンジも引っ張るようにして病室に入ってくる。「こいつの家族代わりで来てんだからさ」
「ここでは先生と呼べ」
「はいはい。失礼しました、シャンクス先生」
大仰にお辞儀してみせる。
知り合いの医師がいるからとこの病院に俺を入院させたのはエースだが、この中年医師とエースにどういう関わりがあるのかは俺は知らない。最初はあまりにくだけた態度なので親戚か何かかと思ってたんだが、そうでもないらしい。
「ルフィは元気か?最近会ってねェが」
「二言めにゃそれだからなァ、あんたは。たまには俺の心配しろよ」
「お前が元気なのは見て分かるだろ」
会話をしているエースとシャンクスの横をすり抜け、サンジが俺の方へやって来る。
「退院だって?良かったじゃねェか」
サンジは小さな風呂敷包みをワゴンテーブルに置いた。弁当だろうと見当はつく。毎日じゃないが、結構マメに持ってきてくれている。「てことは、弁当も今日で終わりか。さすがにもう、食わしてくれなんて言わねェだろうな」
「言うかよ」
手首まで包帯はしてるものの、ギプスは取れている俺は肩を竦めた。
「今日はビビちゃんはいねェのか?」
サンジが空っぽの隣のベッドに視線をやる。
「コーザに付添ってCT検査室とかに行ってる」
「ふーん。手術、どうだったんだろうな」
「成功したみたいだぜ」
「そうかァ。そりゃ良かったな」
途端、ぱっと顔がほころんだ。白い歯を見せて、ふんわりとした笑顔を見せる。
「ビビちゃんならどっちでも大丈夫だったろうけど、そりゃ成功した方がやっぱいいよな」
「…ああ」
「──おい、サンジ。弁当置いたら帰るぞ」
見ればエースがサンジの後ろに立っている。とうにシャンクス医師の姿はなかった。
「もう帰んのか?」
「明日は退院だってんなら、その準備も要るだろ。ロロノアの為に、快気祝いでもしてやろうぜ」
エースが両手を広げた。「お前も異存はねェだろ?」
「いや、お祝いなんか…」
俺がもごもご口の中で言うのなんか構わず、サンジが大きく頷く。
「ああ、そいつはいいな。弁当用に買った食材も残ってるし、パーティ料理にしちまおう。それにてめェの部屋、閉めきってて埃だらけだからな。掃除もしといてやるよ」
「手伝おう。俺も今日は仕事休みだし」
「おい。別に俺は──」
「じゃあな、ロロノア。明日迎えに来てやるから」
エースはサンジの肩を親しげに抱き、さっさと出て行ってしまった。去り際に俺を一瞥して余裕ありげに微笑む。
…台風一過。
そんな感じだ。
つうか、何だあの最後のツラは。何処となく好戦的だったような気がする。肩なんか抱きやがって。
俺が入院して長くは経ってねェし、サンジの奴も大丈夫とか言ってたからエースは特に手出しはしてない、とは思う。
──今のところは。
パーティ料理だって?俺の部屋を掃除するだって?
要するに、今日はあいつら二人っきりって訳なのか。
俺はどうにも落ち着かず、動物園の熊よろしく病室内をうろうろする。
最後のエースの顔が気になった。
サンジにその気がない以上は、エースも無理強いしたりは…いや…けど、もし酒でも飲まされて流されたり…いやいや、あのチンピラが黙って犯されるタマじゃねェだろうが…。
「……畜生」
やめだ、やめ!
これじゃマンションから落ちた時と同じじゃねェか。
元々、ごちゃごちゃ思い悩んだりすんのは得意じゃない。結論が出るわけでもなし。
俺はサンジが置いていった弁当を開け、殆ど事務的に口に運んだ。多分いつもと同じように美味い筈なんだが、味まで神経が回らなかった。

病院の夜は、早い。
九時には就寝の時間になって電気が消される。何人かの患者は休憩室で喋っていたりするが。
静かで、看護婦が廊下を歩く音なんかが時折響く。
俺は寝つけず、ベッドの上で何度も寝返りを打っていた。ろくに動いてないのに、そんなに夜早く眠れるかよ。
無理矢理目を閉じれば、サンジやエースの顔がちらつく。
それでも二、三時間は寝ようと努力していたが、空しく時間だけが過ぎて行った。
俺はむくっと起き上がるとジャージのまま携帯電話を持ち、人がいないのを確めて薄暗い廊下から中庭と出る。病院内で携帯は使えないから仕方ない。
サンジにかけるが、奴は出なかった。電源を切ってるのか、それとも…出られない状態なのか。
俺は暫く携帯の光る画面を眺めていたが、ポケットに直すと病院の外へ向かって歩き出した。通りに出てすぐ運良く空のタクシーを捕まえる。
──無事なら、戻ってくりゃいいんだから。
そう自分を納得させる。
病院からマンションまでは然程遠くない。ただ、道が混んでて苛々させられた。
やっとのことで着きタクシーから降りると、真っ直ぐサンジの部屋へと向かう。チャイムを何度も鳴らしたが、一向に出る気配はなかった。部屋も暗いし、寝てるんだろうか。鍵もかかっている。留守か?
俺はその時初めて、自分の部屋に灯りが点いてるのに気づいた。あ…そうか、掃除するって言ってたから、ひょっとしたらまだ俺の部屋にいるのかもな。
自分の部屋なら遠慮はいらない。
意気揚揚、とまでは行かないが俺は勢いよく扉を開けて入った。まさか濡れ場の真っ最中に遭遇なんてことはないだろ、と半分祈る気持ちで奥の部屋へと進む。
そこでエースとサンジが組んず解れつなんてことは、なかった。勇み込んでいた気負いが削がれる感じだ。
部屋にいたのはサンジ一人で、ソファベッドに座ったまま眠っていた。
エースはどうしたんだ?急な仕事でも入ったか。
部屋を見回すと以前よりも片づいて、窓や家具(と言うほど大層なものもない)も磨き上げたのか自分の部屋じゃないみたいだった。
ゆっくりサンジに近寄って、俺は傍にしゃがみ込む。特に酒臭くはないから、酔って眠り込んでるんでもないらしい。
考えてみりゃ、こいつには色々手ェかけさせちまった。弁当だけじゃなくて、着替えとか持ってきたりすんのもこいつだったし。
口では面倒だとかぶつくさ言ってたが、甲斐甲斐しく世話してくれたよな。
こんな、疲れてうっかり寝ちまうほど。
ガラ悪い癖にお人好しっつうか。
……優しいっつうかよ。
寝顔は普段が嘘みたいに無邪気だと思う。
俺はいつの間にかクッションに肘をついて、サンジの頬に触れていた。
白くて乾いた肌は、さらっとしてて指が滑る。髪を撫でると漂う以前と同じシャンプーの匂いに、くらりとした。
一度だけ合わせた事があるその唇が柔らかいのを…俺は知ってる。

止まれ。

これ以上は駄目だ。
これ以上やったら俺は引き返せなくなっちまう。

頭では警鐘が響いている。

こいつは男だ。そして俺はホモじゃねェんだ。
しかも、こいつの意識がない時になんて卑怯だ。
分かってる──のに。

色素の薄い唇に吸い寄せられてしまう。

いつしか制止を呼びかける声も聞こえなくなって、ただ大きくなる心臓の音だけが俺の耳にうるさいくらい纏わりついていた。

唇の感触は前と同じだった。駄目だ駄目だと思ってるのに、少し開いている隙間から舌を差し込むのもやっぱり俺の意思で。
舌をくるみ取られて驚く。
起きたわけじゃない。無意識か…夢でも見てるのか。俺が相手だなんてそれこそ夢にも思ってないだろうと考えると、僅かに罪悪感が湧いた。
それでも夢中で舌を絡ませるのは、止まらなかった。
「……ふ…」
角度を変えた時漏れた微かな息に、背筋を何かが通り抜ける。
脳から常識とかモラルとかが、どんどん抜け落ちる気がした。
もし起きちまったらどうするとか、弁解できるのかとかも。すべてが遠くに追いやられていく。
思わず金髪を掴んだ手に力がこもる。
と。
外の方が急に騒がしくなった。泥棒、とかいうけたたましい叫び声と何か物を引っくり返したような騒がしさ。
我に返って、血の気が引くのを感じる。
──一体どこまでやるつもりだったんだ、俺は。
慌ててサンジから離れる。のと、サンジが目を開くのは、ほぼ同時だった。
「…ロロノア…?」
奴は呆けた表情で俺をぼんやり見ている。…当然だよな。俺が今こんな所にいるのはどう考えても変だ。「何してんだ、てめェは。まさか病院から抜け出してきたのか?」
俺は返答に詰まった。それはそうなんだが、素直に肯定もしにくかったから話を逸らす。
「…それより外の様子がおかしい。泥棒がどうとか聞こえたぞ」
「あァ?そう言えば、管理人さんから最近マンション荒しが出るとか聞いたな」
目をこすりながらサンジは起き上がる。俺は急いで部屋を出た。
視界に飛び込んでくるのは、えらい勢いで俺の方へ走ってくる太った男。俺の方へ、と言うよりは多分俺の後ろにある階段を目指してんだろうけどな。
「どけ!」
ナイフを手に脅せば、すぐに避けると思ったらしかった。だが俺は刑事だから、そんなのに怯えたりする訳にはいかない。
だいたい、この野郎邪魔しやがって。いや、かえって助かったのかもしれないが。
…とりあえずそんな場合じゃねえ。
俺は少し体勢を斜めにして退いたと思わせ、男の足をひっかけて倒した。逆上した奴が襲い掛かってくる。組み付かれて肘で奴の延髄に手刀を叩き込んだ。すると男がぐらつき、足を踏み外す──俺の襟首をしっかり掴んだまま。
重力の法則に従い、二人揃って階段の踊り場まで転がり落ちていくのは避けようのない運命だった…。

 

犯人を警察に連行してから病院へ戻った俺を、シャンクス医師が出迎えてくれた。俺の腕を調べ、肩をポンと叩く。そして慈悲深くも見える笑みと共に、
「退院は一週間延期な」
という有難くない宣告を厳かに下した。

 

 

 

-fin-

 

02.9.10
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