ZAP  #file 3 -side S-  

 




ここんとこナナメだったナミさんの機嫌は、ようやく直ってきたみたいだ。
まあ、俺が彼女を怒らせるなんてしょっちゅうだけどな。それだけ愛されてる証拠、モテる男は辛いぜベイベ〜…って自分で言ってて虚しくなってくんな…止めとこ。
様々な店が建ち並ぶこの通りは休日だったら、かなりの人通りなんだが平日の午前中なせいもあってそれほどでもない。
少し離れた所に見える、幾何学的模様を形どった石のオブジェ。待ち合わせにはよく使われる場所だ。
俺は懐から一枚の写真を出して眺める。
もうすぐここに現れるだろう、この女性の行動を監視するのが今日の仕事。美人で、仕事上とは言え尾行するのもちょっと楽しい。
ただナミさんの口振りからすると、どうも浮気の素行調査とかじゃないような気がすんだよな……。
日差しがきついので、俺は愛用のサングラスを出してかけた。煙草を吸いつつ、建物の陰から例のオブジェに視線を移す。
これまた人相の良くないスーツ姿の男が時計を見ながら人待ち顔だ。写真のレディを待ってるとすれば、あまり似合わねェなあ…。
おっ。
来た来た。
…と思ったら、写真とは似ても似つかない三十男だった。
真っ黒な髪に薄汚ェ髭生やしてて顔色が悪い。紫色の隈が目立つギョロ目は、前科何犯あっても意外じゃない気がする。
太陽の下だと顔色の悪さが際立って、ボーダーのTシャツが昔の囚人服みたいだぜ。
スーツ男の待ち合わせ相手はこいつだったらしい。二言三言話すと、隈男が大きな鞄を相手に渡した。そして、唐突に駆け出す。
おいおいおい、何でいきなり走るんだ。無関係にゃ違いねえけど、いい年の男が真剣な形相でこっちに走ってくるのは何となく嫌なもんだ。
俺は壁と壁の間の狭い隙間に入り込んで身を潜める。これから仕事だってのに、厄介に巻き込まれたりすんのはゴメンだからな…。
って、だから何でお前まで入ってくるよ!?ここは俺の場所だぞっ。
文句を言おうと俺が口を開きかけると、男は人差し指でシッ!と言う仕草をした。
「ちょっと静かにしててくれ。追われてるんだ。怪しい者じゃねェ」
…充分怪しいだろ。
どうも胡散臭い男だとは感じてたが、やっぱりワケアリなんだろうか。犯罪組織に追われてるとか…ハマリ過ぎだ、こいつの場合。
面倒になる前にここから出たいもんだが、通路は行き止まりで男が入って来た所からしか通りには戻れねェんだよな。それにここは、一人がやっと通れる程度の路地裏でコイツが出ねェと無理だし。
男はと言えば落ち着かない風情で通りの様子を窺ってて、当分出てくれそうもねーなあ…。
ヤレヤレと溜息混じりに新しい煙草を箱から出した時、目の前が陰る。何だ?と顔を上げると、男が俺の方に倒れ込んで来やがった。
男を抱きとめる趣味なんか俺にはない。ひらりとかわす筈だったが、後に下がると店の裏口から出されたゴミ袋が積んであるのだ。ゴミの山にダイビングするなんて、クールダンディの俺ができるもんか。前門の隈男、後門のゴミ状態で、どっちに行っても救われない。進退極まっている暇もなく、男は俺に覆い被さってきた。
ぐえ。気持ち悪ィ。
「てめェ…!」
俺は蹴りを入れる為に足を後ろに振り上げ反動をつけた。
どんな事情があろうと、ムサ苦しい野郎がこの俺に抱きつくなんざ許される問題じゃねえ。俺は自慢じゃねェが、綺麗で柔らかい女の子が大好きなんだ。
今まさに制裁を加えてやろうとした瞬間、男が呻く。
「…すまねえ…腹が──減って…眩暈が…」
俺は振り上げた足を止めた。
「食ってねェのか?」
「ああ…この三日ばかり…」
男は辛そうにふらついてるものの、何とか踏ん張って俺から離れる。
「三日?貧乏そうだもんな、お前」
「…いや、そういう訳じゃ…」
ただ単に追われててメシが喉を通る状況になかったとボソボソ言う。
俺は舌打ちして、肩から下げていた鞄から弁当を出すと(コンビニ弁やホカ弁じゃない、俺の手作りだ)男に押し遣った。
「食え」
「え?いや、そんな──知らねェ人に…」
目を見開いて、とんでもないと両手をぶんぶん振る。
「いいから。食事は基本だぜ。食わなきゃ逃げる前に倒れちまうだろ」
「……」
男はしばらく黙って弁当箱をじっと見詰めていたが、そのうちポロリと涙を零した。「ありがてえ…!」
イヤ、そこまで感動するほどのモンじゃねえと思うけどな。コイツには、さっさとここから出て行って欲しいのもあるし。俺は何とも居心地悪い。
男は鼻水を啜り上げながら、俺の弁当をガツガツ食った。ノンビリ食ってる場合じゃないのもあってか、殆ど噛んでねェけど。消化不良じゃ死なねェだろ。
「いや、美味かった…!ご馳走さん。あんたにゃ、是非改めて礼がしてえ…。名前と連絡先を教えてくれねェか。あ、俺はギンって言うんだが」
ギンは弁当箱を差し出し律儀に頭を下げた。
「別に礼なんか要らねェよ」
「いや、それじゃ俺の気が…」
鬱陶しいな。
余計な施し、すんじゃなかったぜ。けどなあ…駄目なんだよな。腹減ってるヤツって放っとけねえ。
「礼なんかより、そこ通してくれると助かるんだがな」
俺が言うと、ギンは初めて気づいたと言うように。
「あ、こりゃすまねえ…」
慌てて道に出る。俺がその後に続くと、どこからともなく現れた妙にガタイのいい連中に囲まれた。
「やっと見つけたぞ、ギン。諦めて大人しくしろ」
「何だ、こいつは仲間か?」
男たちは俺を見て怪訝そうに話している。冗談じゃねェと俺は首を振った。
「俺は何の関係もねェぞ」
「まあ、大抵はそう言うがな。とにかく、あんたも一緒に来てもらおうか」
腕をぐいと掴まれた。
…あっそ、話聞く気ない訳ね。俺にそういう態度とると、後悔しちゃうよ?お馬鹿ちゃんは体に教えてやろうか?
「ほら、さっさと──ぐあ!」
男の体が飛んで、ちょうど通りの真中にあるオブジェに激突する。おろしたての革靴だから、余計痛かったかもな。
「貴様、抵抗する気か!」
連中が色めきたち俺の方へと向き直るその隙に、ギンが全速力で逃げ出した。
待て、と何人かがそれを追いかける。残った輩はじりじりと俺に近づいてきた。
さん、し、ご…六人か。何とかなるかな。
まずは手前の奴の足を払って──としゃがみ込んだら、呑気な一声がした。
「な〜にやってんだ、お前ら」
黒い帽子を被った男がのんびり歩いてくる。
「いや、ギンの仲間が…」
「あんな野郎とは関係ねェつってんだろが!」
「んー?」
男は帽子の鍔を指で持ち上げ、俺の顔を無遠慮に眺める。「何だ、あんた…」
「はあ?」
「忘れたのか。ま、無理もねえ。一度会っただけだしな…」
そりゃ駄目だ。レディならともかく野郎の顔なんか俺のメモリーにはそうすんなりとは刻まれない。男は愉快そうに後ろを向いて叫んだ。「おい、ロロノア!オトモダチがいるぜ」
ロロノア?何であいつがこんな所に…。
しかし、それで目の前の男の事をやっと思い出した。何日か前にロロノアの奴が怪我した時にマンションまで送って来てた奴だと。
走って来たロロノアは俺を認め、仏頂面になった。斯く言う俺も、心底無愛想な表情だったとは思うが。
「何してんだ、てめェは」
「うっせえ、仕事だよ。お前こそ何だ」
「こっちだって仕事だ」
やり合う俺たちに、これじゃ話が進まないと判断したのか帽子の男が手を挙げて諌めた。
「お前ら、何で漫才始めるんだ。で、あんた…って名前聞いてなかったな。教えてくれるか」
俺は肩を竦めた。
「…サンジ」
「そうか。俺はエースだ。覚えといてくれ」
エースは聞きもしないのに大袈裟な会釈つきで名乗る。「サンジは、ギンと何も関わりねェってんだな?」
「あってたまるかよ。通りすがりだ」
「仕事ってのは?」
「職業上の機密を簡単に漏らすようじゃ、探偵は務まらないね」
「これは職質だぞ」
ロロノアがムスッとしたまま呟く。俺は嘲笑した。
「権力カサに着やがってよ。何の罪もない善良な人間なのに的外れな逮捕されちゃ堪ったもんじゃねェぜ」
「何だと!」
「抵抗したのは事実だろう」
周りの男たちは(こいつらも刑事なんだろうが)口々に言う。
「警察だなんて言ったかよ?問答無用で連行しようとした癖に」
「ああ、そりゃお前らが悪い」
エースが腕を組んで苦笑する。「やっとの事でギンを逮捕できるってんで頭に血が上ってたんだろうけどな」
「──エースさん!」
ギンを追っていった連中が戻ってきた。刑事に挟まれたギンの腕には手錠が嵌り、すっかり肩を落としている。
あーあ、捕まっちまったか。何かやらかしたんだろうし、同情するスジでもねェけど。
「おう、やったか。ご苦労さん」
エースが頷くと署に連れて行けと指示をする。やって来たパトカーに一緒に乗り込むのかと思ったら、エースは通りに戻ってきた。
「ギンから伝言だ。『恩義は忘れねェから』ってよ。しかしギンも、ヤクの取り締めにしちゃあ、えらく義理堅い奴だな」
「恩って何だ。関わりなんてねェんじゃなかったのか」
ロロノアが聞きつけてイヤミったらしく言いやがる。
「腹減って動けねェっつーから、俺の手作り弁当をやっただけだ。それは何か犯罪に当たるんですか、オエライ刑事サマ」
「…余計な事すっから、巻き込まれたりすんだよ」
「あァ!?」
ったくムカツクな、こんにゃろ。いちいち突っかかりやがって。
「お前らってトモダチじゃねェのか?」
エースがニヤニヤしながら俺たちを交互に見る。誰が、と同時に顔を背けるとエースはついに笑い出した。「面白ェなァ。けど、俺もぜひ食ってみたいね。弁当なんて作るくらいなら、料理上手いんだろ?」
「いや、それほどでもねェけどよ」
あんまりストレートに誉められると照れちまうぜ。
と、ロロノアがポツリ呟いた。
「まあ、確かにメシだけは美味かったよな…」
「お!そりゃ聞き捨てならねえな。お前、ご馳走になった事あんのか?結局仲良いんじゃねェか。隠すなって」
「別に仲良いから食わせてやったんじゃねェよ」
変な誤解されちゃかなわねェからな。そこはハッキリさせとかねェと。
「じゃ、俺にも食わせてくれるか?」
…何か話の流れがおかしくなってきた気がするぞ。
「まあ、そりゃ……食いたいってんなら、食わせてやるけど──」
俺が答えると、ロロノアが余計な事をと言いたげに眉を顰めて俺を睨んだ。
「本当か?いや言ってみるもんだな。じゃあ、都合の良い日教えてくれよ」
おい、そこまで話は具体化しちまうのか?馴れ馴れしいつーか…。
エースが手を打ち日にちまで決めようとする、その気勢を削ぐかの如くロロノアが言った。
「先輩、早く署に戻らねェと。課長にどやされますよ」
「ハイハイ。じゃ、また改めてってことで。こいつに連絡させるから」
エースはロロノアを親指でくいと差す。
「何で俺が──」
「嫌か?なら電話番号教えてくれよ、サンジ」
とポケットから携帯電話を取り出しかけた。
「分かりましたから!連絡でも何でもしますから、とにかく、戻りましょう」
ロロノアは何やら慌てた様子でエースの背中を押すようにして、パトカーへと乗り込んだ。
…変な奴らだぜ。あんなのが刑事だってんだから、日本の未来を憂いじまうね。
しかしなあ。結局この騒ぎで、俺が尾行する筈のレディはここに来たかどうかすら分かりゃしねえ。ナミさん、怒るだろうな…。
花でも買って行こうかと思ったが、そんな小手先のワザで誤魔化されるような女性じゃねェし。
俺は覚悟を決めて、ナミさんに顛末を報告する事にした。
湿った風に顔を上げると、さっきまで晴れていたのに灰色の雲が覆い始めている。
電話から聞こえてくるナミさんの声は視界に広がる空みたいに低気圧だと思った。



 

-fin-

02.6.13

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