ZAP  #file 24 -side S-



 

イテテ、と俺は頬の傷を擦った。職業柄絶えずトラブルに巻き込まれてはいるが、今回も依頼人がタチの良くない連中と絡んでて解決するのに一騒動だった。前払いなのもあってナミさんからは手を抜くなって言われてたしな。ともあれ俺のできる仕事は終わったから明日は休めるだろう。ゾロも早く帰れたら寄るって言ってたし、メシでも作るか。
角を曲がればマンションがすぐだ。体力には自信があるが、やはり多少は疲れているので自然足が速まった。けど曲がったところで車が来たので止まる。
すると背中に衝撃があって、
「きゃっ!」
という小さな可愛らしい悲鳴に俺のセンサーが反応した。レディ専用の笑顔を作ると、俺にぶつかり転んだ女性に手を差し伸べる。
「これは失礼。お怪我はありませんか?マドモアゼル」
起き上がった女性は声とぴったりのキュートさだった。ツンと尖った鼻に大きな瞳。ご近所にこんなコがいれば忘れたりしねえが、記憶にはない。着ているのは皮のツナギで大きく胸元が開いてて、うっかり谷間に目が吸い寄せられちまう。仕方ねェだろ、男のサガだ。見かけない服だけど、どっかのガソリンスタンドなんかの店員さんかな?だとすりゃ贔屓にするから、店を教えてもらいたい。
「大丈夫よ。ごめんなさい」
女性は素っ気無く髪を翻して踵を返した。残念…ってそうじゃなくて、変だな。急いでてぶつかったんなら追い越してもいいのに、彼女は俺の来た方向へと歩いていく。訝しく思わなくもなかったが、あっと言う間に遠ざかってしまったので俺は深く追究もせずマンションへ帰ることにした。
夕方に差し掛かる時間だが人通りはあまりなかった。この辺りにはワンルームマンションばかりなので一人暮らしが殆どなんだ。まっとうな会社勤めならこんな時間にウロウロしたりはしない。
「おや、ヘボ探偵のお帰りだね」
マンションの入口には、管理人のドクトリーヌと数人の男がいた。
「ヘボは勘弁してくれよ、ばあさ…ドクトリーヌ」
皺だらけの顔が険しくなったので、慌てて修正した。レースのキャミソールとじゃらじゃら揺れるチェーンをぶら下げたジーンズを身に着けたこの元医者は、年寄り扱いされるのをおそろしく嫌う。「揉め事か?」
ドクトリーヌとは以前にも事件で関わった経験があるので、念のために俺は訊ねてみる。
「ヒーッヒッヒッ。何でもかんでも厄介事に結びつけるんじゃないよ。ここも古いから、そろそろ改装のしどきかと思ってね。それより…」
彼女はサングラスを下げて俺を無遠慮に眺めたが、親指で管理人室を示した。「あんた、ちょっと入んな」
「え?イヤ…女性の誘いを断るのは心苦しいんだが、先約もあるし」
「強制的にドクターストップかけられたいのかい?」
ジロリと睨まれ、俺は渋々管理人室に向かった。彼女はここに住んではいないが、家具やなんかは置いてある。俺を押すようにして入ってきたドクトリーヌは、チェストに置いてあった救急箱を取った。
「若いからって無茶ばっかりしてんじゃないよ。診てやるから、そこに座りな。本当なら病院に行った方がいいけどね」
医師の立場から、怪我人を放っとけなかったらしい。気持ちは嬉しいが…。
「平気だって。この程度の掠り傷、しょっちゅうだし」
「怪我をなめちゃいけない。化膿や炎症さえ起こさなけりゃ、さほど心配ないけどね…あんたはそのへんの若造よりゃ丈夫そうだし。ちっとは痛いかもしれないけど、我慢しな」
ドクトリーヌはニタリとして俺の足を押さえつける。
ちっとどころじゃねえ、実に荒っぽい手当てだった。怪我が酷くなったんじゃないかとも思うが、実際には痛みがマシになってるんだから不思議だ。解放された俺はヨロヨロと部屋を出る。
「治療代は前世話になったから、要らないよ」
恩着せがましいドクトリーヌの言葉を背に。
やっと自室に戻れた俺は、上着を脱いで冷蔵庫を開けた。時間もあるし、いつもよりは手間のかかる夕食でもと思ったがゾロのヤツは来れるかどうか分かんねェんだよな。来なかったら無駄になるし、来たら来たで豪勢なディナーなんか作ってたらウキウキ待ちかねてたみてえで、みっともない。
食材もそう残ってなかったので、結局ごく普通の和食献立になった。用意には三十分もかからず、俺はたまっていたDVDの整理を始める。どうせあいつが来るのは遅いだろうからシリーズものの映画でも観るかとケースを開けた時、ドアチャイムが鳴った。ゾロにしちゃ早過ぎだ。セールスか、それともナミさんかな。いや、ナミさんには連絡済みだし、今日は来る予定もないが…。
扉を開けると予想外に、やや息を弾ませたゾロが立っていた。
「何だ、怪我したのか?」
開口一番に言う。あちこちに、絆創膏やらガーゼやらを貼られているからだ。
「仕事でな。しかし、えらくお早いご到着じゃねえの」
「課長が出張だったし、急いで帰ってきた」
「そんな、焦んなくても。大したゴチソウも作ってねえぞ」
「早く会いたかったんだよ。少しでも長く一緒にいられるだろ」
……さいですか。
参るよな、と感じるのはゾロのこういう所だ。衒いもなく、まっすぐに気持ちをぶつけてくる。好きだという感情は下手すれば弱味になるのに、こいつときたらそれさえも武器にしちまう。こっちが照れるっての。
「玄関先で恥ずかしい台詞のたまってねえで、入れよ。メシも支度はできてっから、すぐだ」
俺は言い捨て、キッチンで味噌汁なんかを温めた。鰤はタレに漬けてあるから焼くだけだ。サラダの仕上げに柚子を絞って、食卓にしては狭い硝子のテーブルに皿を並べる。腹が減ってたのか、ゾロはよく食った。やたら褒めたりはしないものの、俺の料理が気に入ってるのは分かる食いっぷりだから気分は良い。
食器を洗って俺が居間に戻ると、ゾロがソファに横になって寛いでいる。ので、その腹をぐりぐりと踏んでやった。
「殿様かてめェは。いいご身分じゃねえか」
「アホ、止めろ。食ったもんが出てくる」
俺の腕を引っ張りやがった。勢い、ゾロの方に倒れかかると頭がヤツの懐にすっぽり収まる形になっちまう。
目線が合って、ゾロが顔を落としてきた。避けるには不利な位置だし避ける気もなくて、長いキスに甘んじる。舌が侵入してきて絡み合い、俺は僅かに顎を引いた。こないだのすったもんだを思い出すと妙に意識しちまうつーか…な。ゾロはしつこく追ってくるでもなく、そのまま唇を離した。
「そんじゃ、帰るか。お前も明日仕事あるんだろ」
「休みだけど」
「遅くなると、俺も起きられねえし」
「まだ九時にもなってねえだろうが。それに隣の部屋に戻んのが、どんだけかかるってんだ」
断じて縋るつもりなんかない。だが、少しでも長くいたいとかほざいてた癖に行動は正反対じゃねえかよ。ワケ分かんねえ、こいつ。お互いに忙しいから、ゆっくりできる日なんて限られてるのに。
「とにかく帰るから」
もそもそと離れようとするのも気に入らねェ。てめェがくっつきたい時やキスしたい時だけ、寄ってきやがって。
俺は肩を押そうとするゾロの腕を逆に押し返してやった。油断していたのか抵抗もなく倒れてしまい、俺は奴にのしかかってしまう。
「俺が、いつでもてめェの都合に合わせてやると思ったら大間違いだぜ」
はあ。
一応理無い仲である相手と本来なら睦まじく過ごしてもいいのに、何が哀しくて俺は啖呵切らなきゃいけねえんだ?
「そうじゃねえ、アホ」
「アホだあ?この野郎、自分の馬鹿さ加減を棚上げしといて」
ん?
「…どけよ」
えーと、コレって。
「あの…お前、ひょっとしてこのせいで帰る帰るって」
「うるせえ」
ゾロはそっぽを向いた。何つうか、その、ジーンズの前が微妙に膨らんだ状態じゃ偉そうな態度も拗ねてるふうにしか見えないんですけど。
「誤魔化したりしねえで、正直に言やいいじゃん」
「言ったって仕方ねェだろ。てめェは無理にやろうとしても、嫌がるだろうが」
半身を起こしてボソボソ呟く。この前の事が、よっぽど懲りたらしい。「だから、さっさと帰って抜いちまおうと思ったのに」
抜く。そりゃ、吐き出さねえと男としてはツライけどな。この場合のオカズってやっぱ、俺…になんのかねえ。かなり複雑な気分だぜ。
こいつは待つ覚悟を決めたんだな……俺が体を許すまで。
この一旦暴走したら止まれないケダモノが。この本能で動く単細胞が。俺のために。
「…そんな良いもんでもない、と思うんだけどな」
「あん?」
「俺が、さ。そりゃあ確かに俺はてめェには不釣合いなくらい容姿端麗で文武両道、細身のわりには強く正しく美しく」
「何ぐたぐだ御託並べてんだ、てめェは」
「や、つまりは極上のイイ男ってこった。けど、お前がそこまで大切にして待つほどご大層なもんじゃ…」
「イイ男かどうかはともかく、俺が抱きてえのはお前だけだからな」
畜生め。
そういう口説き文句みたいなのを口説きのつもりで言わねェのが、てめェは最悪なんだ。
もう、いいかなって…思っちまうじゃねえか。
「──構わねえぜ」
「え?」
聞こえなかった筈はないのに耳を疑ったんだろう、ゾロが首を傾げた。
「てめェが俺とやりてえってんなら、構わねえっつってんだよ」
ああ、どうせ色気ねえさ、悪かったな。レディならいざ知らず野郎に振り撒く色気なんざ、こちとら持ち合わせちゃいねえんだ。
「…本当か」
「しつけェんだよ、何回も言わすな!セクハラか!」
だからこのシチュエーションでブチ切れるのはおかしいと自分でも思うが、キレでもしなきゃどうにもやってらんねえってんだ。
「よし。遠慮しねェぞ?」
ゾロが微かに口の端を上げる。ぐいっと腰を引き寄せられた。
うわ。マジモードになったぞ、こいつ。
貪るような、という表現があるがまさにそんなキスをされた。
食われる。
マジでそう思う。
口の中をゾロの舌先が這い回って俺の舌ごと、奴の口内に引き込んだ。腰にあった手は背中を撫で、右手だか左手だかが耳の辺りを弄っていた。くすぐったいような、気持ちいいような…。
斜めに体を預けるという元々が不安定な体勢だったから、ゾロが俺に体重をかけると折り重なって倒れちまった。カーペットが敷いてあるから痛くはねえが。
キスは続いていて、ゾロの手が俺のシャツと肌の間に潜り込んでくる。今度は間違いなくくすぐったさで身を捩った。その刹那。
ドンドン、とドアを叩く音に俺たちは顔を見合わせる。
「客か?」
ゾロはとんだ邪魔だとばかりに物騒なツラをしている。
「いや、ここじゃねえだろ」
「じゃあ放っとけ」
俺んちじゃない。けど、隣の部屋…つまりはゾロの部屋ではある、かもしれない…。「ウチは留守だ」
無視を決め込んだゾロは再び俺に俺に覆い被さろうとしたが、追い打ちが来た。
「おーい、ロロノア!いねえのか?」
廊下で叫んでいるのは考えるまでもなくエースだ。
ゾロは物騒どころか鬼みたいな表情になったが、渋々部屋を出ていった。出て行かなければ、至極当然の如くエースがこっちに来るからだ。
俺もシャツの裾を直して立ち上がり、箱に一本しか残ってなかった煙草を咥える。ゾロが取って返してきた。
「悪い、仕事だ。ったく、エースも携帯で先に連絡くれりゃいいのに。絶対不意打ちを狙ってやがる」
「事件なら、しょうがねえだろ。怒るなって」
狙ってるなんて被害妄想だ、と言いかけたがエースだけに俺も断言はしかねる。
お見送りってんでもないが煙草のストックもなかったし、ついでにコンビニで買おうと靴を履いた。
「よう、サンジ。元気にしてっか?」
「先輩。急がねえと」
微笑むエースをゾロが引っ張った。エースの車が行ってしまうと、俺はのんびり夜空を見上げる。雲っていて、星は見えなかった。
中断されてどこか安堵したのは否めないが、次の機会にまたあんな居た堪れない思いを味わうのかと考えるとそれも鬱だな。
まあ、なるようになんだろ。
あいつも軌道修正してやりゃ間違ったトコには行かねえし、俺だって受け入れ準備はバッチリとは言えなくてもそれなりに性根は据えたんだ。
ゾロの仕事が一区切りついたら、俺もナミさんに頼んで何とか暇をもらおうか…。
そんな希望も虚しく、新たな事件に巻き込まれたのを嫌でも自覚することになる。
背後から近づく気配に、俺は身を固くした。
「いやん、振り向かないで」
香水と囁きから夕方に会った女の子だと思い当たると同時に、布で鼻と口を塞がれる。ツンとした匂いに俺の意識は急速に遠のいた。




-fin-

 

20050122
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