ZAP  #file 1    前編-side Z-

 



───厄日だったのかもしれない。

厄日だなんて古い言葉もどうかと思うし、同年代の奴らによくオヤジくさいとか色々言われるけど、俺は昔気質の親に育てられたからな。つい出ちまうんだ、こういうの。
とにかく朝から寝坊はするわ、全然慣れない土地だから電車は間違うわ。
おまけに満員電車で両手に荷物の苦しい体勢から自分の降りたい方向に体を捻らせていたら、痴漢と誤解された。
自称被害者の女が騒ぐもんだから鉄道警察まで呼ばれそうになったが、何とか免れて。けど、そのせいで完全に遅刻だ。
厄日だと思いたくもなる。新しい生活の第一日目だっていうのに(本当は昨日からなんだが、ここに着いたのは殆ど午前零時近かったからな)。


「ロロノア。初日から遅刻とは、えらい気合の入りようだな」
今日から俺の直属の上司になる、課長が俺をじろりと一瞥した。
「すんません」
俺がヒョコリと頭を下げると、課長はフンと鼻を鳴らした。
「まあいい、一日目だから慣れる時間も必要だ…。皆、こいつが今日から配属になったロロノア・ゾロだ。よろしくしてやってくれ」
ごちゃついたこの部屋にいる人相の良くない男たちが俺を見て頷く。親父もそうだったが、刑事ってのはヤクザとあんまり見た目が変わらないよな。
警視課長からして、およそ紳士的な風貌とは言い難い。
「全員自己紹介してる暇はないからな。追々覚えろ。すぐに仕事と言いたいところだが、物の管理場所くらいは…おい、たしぎ!いねえのか!」
課長がいきなり大声で叫んだ。隣にいた俺は思わず耳を押える。
まるで飼い主に呼ばれた犬のように、文字通り転がりながら部屋に入ってきた奴を見て俺はあんぐりと口を開けた。
「はいっ!お呼びでしょうか。スモーカーさんっ」
「課長だ!てめェはまったくフラフラと。この新入りに書類の場所やらちょっと教えてやれ」
「あ、はい」
たしぎと呼ばれたその女は、かけていた眼鏡がずれるのを直しつつ初めて俺に視線を移す。「…あ、あなたっ。今朝の痴漢!」
「俺は痴漢じゃねえ!」
俺が反論すると、たしぎはますます威丈高になった。
「私のお尻を触っておいて、ぬけぬけと図々しい…開き直るのにも程があります!課長、こんな痴漢は即刻追い出さないと、必ずや一課の恥部に」
「だから朝のは誤解だって言ってんだろうが。だいたい、俺はあんたみたいな女は苦手だし、近寄りたくもない…」
恥部とまで言われ、俺はうっかり本音をこぼしてしまった。案の定、たしぎのカンに障ったらしい。額に青筋を浮かべている。
「よくもまあ、そこまで人を馬鹿にできたものですね…!」
課長が低い声で唸るように言った。
「たしぎ、いい加減にしろ。キャンキャンうるさくて、かなわねえ」
「だって、課長」
「ここは仕事場だ。女であることは忘れるんじゃなかったのか」
その言葉にたしぎは、傍目に分かるほど背筋を伸ばした。
「───はい」
「分かったら、ロロノアに仕事を教えてやれ」
葉巻を咥え、課長は席に戻ると電話をかけ始める。仕事が忙しいのは確かなのだろうし、実際周囲にも俺たちのやりとりなどに気を払ってる奴なんかいない。
「それじゃ、ちゃんと覚えてくださいね」
たしぎは事務的な口調になり、俺に部屋や署内の説明を始めた。

 

結局、初日は署内でたしぎに引っ張り回され終わってしまった。あっちのものをこっちにこっちのものをあっちにと荷物の整理みたいなことをやらされて、変に疲れている。ありゃ私的な恨みがあったぞ、絶対。
マンション(とは名ばかりでアパートに近い)に帰り着く頃には、すっかり陽が暮れていた。まあ、これでも早い方になるんだろうけどな。
郵便受けには訳の分からないチラシやらポケットティッシュやらが入ってる。昨夜は見る暇もなかったが、人が入居してるしてないに関わらず入れていくんだろう。中に入ってるものを鷲づかみにすると、俺は剥き出しのコンクリートの階段を上がって部屋の前まで行く。
と。隣の部屋のドアが勢い良く開いたかと思うと、男が飛び出してきた。追い討ちをかけるように女の声。
「馬鹿!少し頭を冷やしなさい」
そして、ドアがバタンと閉められる。男はズルズルと未練がましく扉に縋りついた。
「ナ、ナミさ〜ん」
情けない甘えた声を出す。
「寒さで頭冷えるどころか凍っちまうって。反省してるからさー、開けてくれよう」
懇願が聞こえてない筈もないんだろうが中からの反応はなく、男はふう、と溜息をついた。
そこで初めて俺に気づいたみたいだった。目線が合う。
外人。それかハーフ、か?
金髪に高い鼻、白い肌。長い前髪で顔半分近くは隠れてて見えるのは右目だけ。廊下の灯りでは瞳の色までは分からないが。背は俺とあんまり変わらないだろう。体重はおそらくかなり違う…すらりとした体つき。全身黒いスーツなので余計に細く見えた。
引越してきたんだから、三軒先とまではいかなくても隣の住人くらいには挨拶しとくべきかとは思うが状況が状況だけに気まずかった。
それに、この右隣の部屋の持ち主には俺はいい印象を持ってない。
昨夜ここに着いて荷物バラすのもそこそこに寝ようと思ったら、隣から物音がする。話声だけではなく、何というかその、押えきれず洩れるような女の声とか。
このマンションは見た目だけは新しく小奇麗で、家賃も思ったより安くて違法建築でもしてるんじゃないかと疑ったくらいだったが…壁の薄さなんかでコスト削減したんだろう。
そんなわけで俺は、昨夜はなかなか寝付けなかった。神経の細い方では決してなく、引っ越してきてさすがに神経が立っていたせいもあっただろうが。
新しい生活が始まる部屋での第一夜、隣で呑気に女とヤッてる奴がいる、いや、ヤんのは勝手だがもうちょっと静かにしろ。と心の中で繰り返しながら布団を被った。
やっと眠りについたのは明け方で、寝坊しちまうし。
つまりは、こいつのせいもかなりあるって事だ。
そう思うと、多少剣呑な目つきに俺はなっていたかもしれない。
確かに顔立ちもなかなかで、女にはあまり不自由しなさそうなタイプだ。
さっきみたいにちょっと低めの甘えた声で接すれば、オンナも悪い気はしないだろうな。
そう思った時、男が口を開いた。
「何ガンくれてんだ、てめェ」
…は?
「野郎なんかに見られても嬉しかねェんだよ。何か文句あんのか、アァ?」
さっきの甘ったるい声と表情はどこ行った。
同じ服で同じ髪で同じ顔なのに、まるで別人のように変わった男の様子に俺は言葉が出ない。
眉間にシワを寄せて三白眼で見下すように顎を突き上げ、口の端を捻じ曲げる。
「びびっちまって喋れねェのか、オラ」
そう言われて、俺は頭の中と現実がやっと符合した気がした。
「誰が、びびってるって?」
「お前だ、お前。俺の目の前に突っ立ってる、ムサイ男」
「てめェ…」
いくら隣の住人だからって、こんな奴に以後よろしくなんて挨拶ができるか。
というか、住人なのか。どっちかってェと、女の部屋から締め出されたヒモかなんかに見えるな。チンピラくさいし。
だとすれば、挨拶なんかする必要ねえか。喧嘩する訳にもいかないけどな。俺は新米とはいっても刑事なんだから…。
最善策として、相手にならずに放っておくべきだという結論に俺は達した。
だが背を向けても、チンピラは相変わらず突っかかってくる。
「逃げんのかよ」
無視、無視。
「やっぱ、びびってんじゃねえか。ごついナリしてやがる癖に」
さっさと鍵を開けて部屋に入ってしまおう。
「ケッ。見かけ倒しもいいとこだな。怖ェなら最初っからすいませんでしたって、謝ってりゃいいんだよ」
鍵。どこだ?ズボンのポケットじゃなかったか。
「アレだろ。そのガタイだから、今まではちょっと睨んだら強いと思われて相手が逃げたんだろ」
あった…上着の方だ。手探りで見つけた冷たい手触りのものを取り出し鍵を開ける。
「悪人面だし頭も口も回りそうにねェし、ガタイくらいは良くねェと、なあ?」
こいつ───殴りてえ。
初対面のチンピラに何でここまで言われなきゃならねェんだ。
いい加減ブチ切れて振り返ると、チンピラは猛スピードで俺の横をすり抜け。あろうことか俺の部屋に入っていきやがった。
「おい、何勝手に入ってんだ!不法侵入じゃねえか」
「ケーサツみてェな事言うなよ。隣人が凍えそうなのちょっとは助けようって気にならないかね。この薄情もん」
さっきまでその隣人をさんざん貶した奴が何をどうしたら、そんな論理を展開できるのか。俺は唖然とした。
「出て行け」
「おー、寒っ!とにかくエアコンつけよう、エアコン」
俺の声なんか気にも止めず、チンピラはリモコンを目ざとく見つけると暖房のスイッチを強にする。
「こら、チンピラ。話聞きやがれ!」
「あん?誰がチンピラだ、コラァ!」
「チンピラで悪かったらヒモかよ」
「俺がヒモだあ?ふざけんじゃねェぞ」
「さっきの女が財源なんだろうが。泣いて頼んででも部屋に入れてもらやいいじゃねえか」
「ナミさんとはそんな安っぽい関係じゃねェんだよ。俺の仕事の素っ晴らしいパートナーだからな!プロだぞプロ」
じゃあ昨夜のは何なんだよ。あの女が(声しか知らねえけど)相手じゃなかったのか。いや、今はそんな事はどうでもいい。
俺は苛々と言葉を吐き出す。
「ヒモ野郎の仕事なんかには興味ねェんだ、俺は」
するとチンピラ改めヒモは、ふんと胸を反らした。
「ヒモじゃねェって言ってんだろ。俺はな、探偵っていうちゃーんとした職業があんだよ。恐れ入ったか」
何で俺が恐れ入らなきゃいけないんだ?
睡眠不足もあって、頭がぐらぐらしてくる。都会にゃこんな奴ばっかりなのか。

 

厄日どころじゃないという気がする。

俺は新生活に立ちこめる暗雲をひしひしと感じていた…。


 

 

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