ZAP  #file 17 -side S-  

 

 

またか。
携帯電話がブルブル振動したが、俺は画面を一瞥してすぐポケットに押し込んだ。
ロロノアと話す気はなかった。
それに仕事中で忙しい。目の前にある喫茶店から注意を逸らせねえんだ。
数分後、出てきた若い男女をカメラの中に収める。一枚、二枚。角度を少し変えてもう一枚。
今日で三日目。依頼人によると企業機密を漏らしている可能性があるってんで素行調査を頼まれたんだが。だから男女っても色っぽい間柄じゃない筈なのに、腕を組んだりしなだれかかったりしてカップルにしか見えない。どっちかが色仕掛けでもしたんだろうか。
と、二人は急に何事か言い争いを始め、男が女性を殴った。女性の方は詰りながらも相手の服にしがみつく。示し合わせていたのか物陰から数人の男たちが出てきた。こいつは穏やかじゃねえ。
本来ならターゲットに接触するのは避けたいが、そうも言っていられない。
「ちょっと待て」
「あァ?何だ、貴様。怪我したくなきゃ引っ込んでな」
男が威嚇して叫ぶ。
「悪ィが、かよわいレディの危機を放っとけるタチじゃねェんだよ」
「格好つけやがって。この女は俺を騙してたんだ。罰受けて当然だろ。部外者は口出して欲しくないね」
「どんな理由があろうと、レディに手を出すのはクズのするこった」
「…偉そうに。おい、こいつもやっちまってくれ!」
男が仲間に顎で指示をした。すっかり興奮してやがるな。
ジャックナイフを手にした男が女性に向かっていった。俺は咄嗟に奴を蹴りつける。数人が飛び掛ってくるのを避け、女性を後ろに庇う。ジリジリと移動しながら、人の多い道へと連中を誘導するつもりだった。自分だけなら叩きのめして終わりだが、女性の安全が第一だ。
「きゃっ!」
レディが足を縺らせて前のめりに転んだ。まずい。
「失礼」
素早くそれを抱き起こすと、早口で囁く。「そこの角を曲がれば大通りに出るから。急いでね」
彼女は小さく頷き、走り出した。それを見送ってて、防御を怠っちまった。
太腿に激痛を感じて地面に膝をつく。
「…やりやがったな」
ズボンの裂け目から鮮血が染み出ていた。
「貴様が邪魔するからだ!」
勢いづいたのか、揃ってかかってくる。武器を持ってたのは少なかったから、まだマシだっただろう。
「正義のヒーローぶって馬鹿じゃないのか。後悔しても遅いぜ」
「後悔か。…するとしたら、そっちだな」
口蓋に溜まった血を吐くと俺は近くにあったゴミ箱を連中の方に蹴り飛ばし、逃れた奴らにも踵の制裁をくれてやる。怪我のせいか、あまり力は入らなかったが。
殆ど倒れてから、残った男は舌打ちして逃げていった。
住所氏名は分かってるから、慌てて追う必要もねえ。
太腿をとりあえず大判のハンカチで縛る。傷じたいは深くはないだろうが、血がなかなか止まらねェな。
──しかし、参った。調査は中止してナミさんに相談するかと携帯を出す。そういや、昨日から何も報告してなかった。
「サンジくん!?どこにいるの?もうちょっと早く連絡寄越しなさいよね!」
…女王様はご機嫌麗しくないらしい。
「ナミさん、どうしたの。何かあったんなら電話でもメールでもくれりゃいいのに」
「するような事は別にないわ。ただ、あの男を何とかして欲しいと思っただけよ」
「え?」
「ロロノア・ゾロってヤツよ!おとといからサンジくんは引っ越すのかいつ帰ってくるのかって鬱陶しいったら。挙句に帰ってくるまで待つなんて言い出すし、実際に部屋の真ん中で座り込んで動かないもんだから私もいい加減サジ投げて帰ったわ。今はいないから、仕事に行ったのかもしれないけど…本当に刑事なのかって疑いたくなるわね。ちょっと間違えたら犯罪者よ、まったく」
あンのアホ。
俺に無視されるもんだから、ナミさんを問い詰めやがったな。
「…で。サンジくん、仕事中よね」
「あー、ごめん。ちっと怪我しちまってさ」
「病院は?」
よくある事なので、ナミさんはそう驚いてもいない。
「いや、平気だよ」
「駄目よ。雑菌が入ったらどうするの。無理して酷くなったら後で余計に治療費かかるんだからね」
「ナミさんに心配してもらえるのは幸せだな」
「心配なんかしてないわよ、馬鹿!」
ナミさんの剥れた表情がありありと浮かぶ声の調子。「とにかく病院に行って手当てしてもらいなさい。サンジくんが報告するってことは、それなりの傷なんだろうから。済んだらまた状態教えて」
流石によく分かっている。俺はやっぱりナミさんには敵わないなと苦笑した。
幸い病院ではあれこれ聞かれることもなく、傷も五針縫うぐらいで済んだ。痛み止めと化膿止めを処方してもらって外に出るとすっかり夜だ。
どうすっかなあ…部屋に帰るのはいいが、またロロノアが待ち構えていないとも限らない。ホテルでも取るか。
俺はしばらく考えていたが、携帯を再び取り出した。そして最近かけてなかった番号にかける。
「──サンジか!久しぶりだなあ」
「よう。ちょっと行っていいか?近くまで来てるんだ」
「そりゃいいが冷蔵庫カラッポだからな、土産に何か買って来てくれ」
遠慮がないその言い方も数ヶ月ぶりだと妙に懐かしい。俺はナミさんにも電話を入れてから、行きがけの道で酒と適当にツマミを買って目指す奴のアパートに向かう。
ドアをノックするとすぐにジャージ姿のウソップが出てきた。
「入れ入れ。今、ちょっと散らかってるけどよ」
「いつもだろ」
職場でも家でも怪しい研究をしているこいつの部屋はいつもゴチャゴチャだ。
「何だ、サンジ服破けてんぞ。喧嘩でもしてきたんじゃねェだろうな」
「ガキじゃあるまいし。仕事上のトラブルだ」
「そういや、お前探偵だっけ?怪我もしてるみたいだし…ウロウロして大丈夫なのかよ」
大したことねえよオラ酒、とウソップに袋を押しつける。
「急で悪ィが、今夜泊めてくれ」
「いいけど…。部屋に帰れない理由でもあんのか。マジで身の危険が迫ってたり」
得体の知れない部品がのった机をワッと片しながら、ウソップがグラスと皿を置く。
「考え過ぎだっての。お前スパイと探偵ごっちゃにしてねえ?」
帰りたくねェのは図星だが。「ま、いいから飲めよ。結構奮発したんだぜ?そんで、最近カヤちゃんとは仲良くやってんのか」
それぞれの近況や下らない話で夜は更ける。こんな他愛ない時間はいいもんだ。
「サンジ、あんまり飲むと傷に障るんじゃねえか」
「んあ?どってことねえよ。細胞も活性化して血の巡りも良くなるしいいんじゃねえの。ホラまた血が出てきた」
「おう、出血大サービスだな。って、イヤ駄目だろそりゃ!」
ウソップに空手チョップされ、グラスを取り上げられた。
「お前そろそろ寝とけよ。俺は資料まとめてから──何してんだ?」
薄手の毛布を持ってきてくれたウソップをガバと抱き込んでやると、奴が怪訝な顔をする。
「ムラムラしねェか」
「…サンジくん。それは新しいギャグかい?」
「襲いたくなったりしねえ?」
「しねえ!だいたい俺にはカヤという彼女がいて。いや、いなくたってお前を襲ったりする訳ねェだろうがよ」
「だよなあ。だよ、うん。それが普通だ。ありがとう」
俺は律儀に礼を述べると、クルクルと毛布に包まった。
ここんとこホモばっかり相手にしてたから、俺の認識が狂ってるのかもと思ってたが。そんな事はねェんだ。
「酔ってるにしてもおかしいぞ、お前…」
と、ウソップは薄気味悪そうに俺を眺めていたが、ドアを叩く音に注意が逸れた。「誰だ、こんな夜に」
ノックと言うには乱暴だ。覗き穴から外を窺っていたウソップが、俺にボソボソと言う。
「…おい、サンジ。やっぱりお前ヤクザとかに追われてんじゃねえの?」
「何言ってんだよ」
「どうにもそのスジっぽい顔つきの男が…しかもかなりキレてるぞ、ありゃ」
こっちの反応がないのに焦れたようで、相手はガチャガチャとドアノブを回している。ボロっちい木の扉だから、下手すると扉そのものが外れてもおかしくない。つうか外れそうだ。
「うわ、壊すなよ。ちょっと待ってくれ、開けるから」
ウソップが鍵を開けた途端ドアを突き破らんばかりに入ってきたのは、ただでさえ悪人面なのを更に険しくしたロロノアだった。
「サンジはどこだ」
「なななななんだ、お前!サンジは怪我してるんだぞ。それでもサンジに何かする気なら俺を倒してからにしろ。言っとくが俺様は空手五段、柔道五段に合気道三段、ええとそれから書道初段だ!」
……最後だけは、本当だったかな。
庇ってくれるのは嬉しいが、膝笑ってるしよ。
「ウソップ、いいから。こいつヤクザじゃねえし…知り合いなんだ、一応」
「そう…なのか?」
「ああ。迷惑かけたな。──まさか来るとは、だ」
俺がげんなりしていると、ロロノアはずかずかと上がりこんできた。「う、わっ。何しやがる!」
「うるせェ」
このゴリラ男が!人を何だと思ってやがる。
毛布ごと俺を抱え上げやがったかと思うと、ウソップの方を向く。「邪魔したな」
「お、おい、サンジ!警察とかに通報した方が」
ウソップが泡を食って追ってこようとすると、ロロノアは懐から警察手帳を覗かせた。
「警察は間に合ってる」
職権乱用じゃねェのか、この野郎は。
ぽかんとしているウソップを最後に俺の視界は暗転した。ロロノアの車に放り込まれたんだ。
「クソ刑事!何しやがる──」
俺が喚くのも奴は気に留めず無言で発車するもんだから、舌を噛みかけた。
まとわりついた毛布をやっと体から離すと、ちょうど俺の自宅兼事務所(つまりロロノアの自宅でもある)のマンションに着く。
「降りろ」
やかましい、偉そうに指図すんな。俺がムスッとして動かずにいると、ロロノアは外から助手席の方に回りこみ俺の体をまた担ぎやがった。
「てめェ、降ろせってんだよ!」
もがいて肘鉄を入れてもロロノアは顔を顰めただけで歩調は緩めない。
クソッ。足に怪我さえしてなきゃ、速攻蹴り倒してやんのに。
ロロノアの部屋のソファベッドにほぼ投げられる形で落下する。
「…人を荷物みたいに扱いやがって。怪我人だぜ仮にも」
「怪我したのは聞いたからそこには触ってねえ。さっさと降りねェのが悪い」
「あ?てめェに命令されて俺が聞く必然性なんかどこにもねェんだよ」
「聞きゃしねェんだから、無理矢理にでも連れてこなきゃしょうがねえだろ」
「何だその一方的な理屈はァ!?ざけんのも大概にしやがれっ」
「ふざけてねえ。お前こそ、真面目に人の話聞け!」
ロロノアも苛々してるが、俺だって我慢を強いられるいわれもねェ。
「脳ミソが筋肉で構成されてる男とまともに話せるかってんだ。それに何だ、ウソップのところまで押しかけてきやがって。またナミさんを脅して聞き出したのか」
「あいつが俺に脅されるような女かよ。頭下げたんだ」
フン…ナミさんも、しつこさに閉口したんだろうよ。「どうしても、会って話したかった」
「俺にゃ、てめェなんかと話すことはないね」
「…話すどころか、会うのも嫌で…か。だから、引っ越すって…?」
「ご明察」
俺はそろそろと立ち上がる。落ち着いて一服したいのに、上着をウソップの家に置いてきちまったから煙草がねえ。「お前だってそうだろ。互いに目障りなんだし、俺から消えてやりゃそっちも願ったり叶ったりじゃねえのか。幸いドクトリーヌの口利きで良さそうな部屋も見つかったしな」
「待てよ」
「待たねェ。煙草吸いたい」
自分の部屋に戻ればストックがあるんだ。いや、荷物の中に入れちまったかな。
「待てって!」
腕を引っ張られる。「行くな。…頼むから」
──こいつ。それが人に物事頼む態度か。命令形してんだか遜ってんだかよ。
「何で?」
「……こんなんじゃ、納得いかねえ。俺が引き止めなかったら、お前黙って引っ越すつもりだっただろ」
「当たり前だ。それが嫌か?なら、お別れのご挨拶ぐらいはしてやるさ」
俺は奴に向き直って、慇懃無礼に言う。
「"短い間ですがお世話になりました・ありがとうございました・さようなら"」

満足かよ?

然程世話になんかなっちゃいねェがな。どっちかってェと俺が面倒見てやったんだ。
「さ、気が済んだだろ。離せよ」
奴の表情は強張って、腕も俺を掴んだままだ。「それとも、まだ足りなかったか」
やっぱり動物っぽいよな、こいつ。ちっとも理解してねえ感じだぜ。
「足りねェな、全然」
物騒な台詞を言い、俺の体を荒々しく壁に押しつけた。
こいつ…まさか最後だからってトチ狂って襲う気じゃねェだろうな。
冗談じゃねえ、暴行未遂で訴えてやる。しかし男が男にレイプされた場合、訴訟が成り立つんだろうか。
「あれだけ言ってやったのに、何が足りねェってんだ」
「そうじゃねえ。足りないのは、俺だ。俺の言葉だ…そうだろ?だったら謝らせろよ。嫌われてんのも分かってるし、お前が怒るのは当然だとは思う。だから…済まなかった…」
瞳も腕の力も強くなる一方なのに、ロロノアの口から出た辛そうな言葉に俺は奴を眺める。
「前もそんなふうに謝ってた気がするがな。それで許してくれってか?」
「…いいや。だいたいお前がエースと寝ようと文句なんて言える立場じゃねえ、けど放っとけなかったんだ。そりゃ、お前にとっちゃ俺なんて鬱陶しいっつーか、気持ち悪いだけで…。それか、どうでもいいかもしんねえけど」

──てめェはな。

本当に自分のことしか頭にない奴だよ。人の話を聞きゃしないのはどっちだ。
俺が整理つけようと必死になってんのも知らずに…知ろうとさえしねェで。
言いたい事言って感情をぶつけるだけじゃねェか。
それでさあどうしてくれるって居直ってんだ。やってられっか。


「…勝手に何でもかんでも決めつけては一人で暴走しやがって。俺がどうでもいいと思ってたら、こんな怒るわけねえのによ」
「嫌ってる…から、何しても気に障るんじゃねェの…か?」
真剣に驚いてやがる。やんなるぜ。
「嫌いな奴を──しかも野郎を気にしてやるほど暇でも親切でもねえんだぞ、俺は」
俺が頭にきたのは、俺の気持ちなんかお構いなしで行動したりよく確かめもしないでブチ切れちまったりするお前が馬鹿すぎるからだっての、分かってるか?本当に、分かって謝ってんのかってことだ。

なあ。

俺を、ちゃんと見ろよ。

男だとか女だとか関係なく俺に惚れたってんなら。一人で闇雲に突っ走る前にまずしっかりその目で捉えろよ。必死になるところを間違えんな、くそったれ。
性根据えて追いかけてこい。俺は逃げやしねえ…受けてたってやるさ。


「で?まだ何か言いたい事あるか」
「……好きだ…」
知ってるよ。聞いた。
「それから?」
「諦める気はねえ。お前がエースと…どうなってても」
どうせな。そういう奴だよ、てめェは。
こんなしぶとい男に好かれたのが俺の運のつきだ。
「あのな。エースとは寝たりしてねェぞ、この先走りが」
これだきゃ、誤解されてると厄介だからな。
「…そうか」
あからさまにホッとした様子でガキみたいに笑う表情は変に可愛くも見えて。
こんなのが可愛いなんておかしいと首を傾げた時、俺の携帯が鳴った。ウソップだ。
「──いや、大丈夫だって。うん?本物だよ、本物の刑事。ま、厳つくて暴力的だが…そう悪い人間じゃねェんだ。ああ、またちゃんと説明する。じゃあな」
電話を切り、ロロノアの胸に軽く拳を入れてやる。「お前さ、ウソップの第一印象最悪だぜ。今度会ったらちったァ愛想良く…ってのは無理にしても、あいつの部屋のドア半壊してたし詫び入れとけよ」
「今度って…」
「俺と隣人以上の付き合いするとしたら、俺の友達と会う機会もあんだろうが?」
半分茶化して人差し指で奴の額を突くと、ふわりと抱きすくめられた。
「コラ、またいきなりてめェは──」
「嫌ならそう言え。言ってくれなきゃ、俺は分からねェんだ」
…ふてぶてしく開き直りやがって。
溜息をつきながらも、俺は奴の固い背中にゆっくり手を添える。
ロロノアの腕の中が心地良いなんて、やっぱりどっかが間違ってる気がしなくもねえんだが仕方ねェよな。

男とこんな事になるなんて、俺の主義には反するけどよ。
今だって、完全には受け入れちゃいねえ。

けど、言ったろ?嫌いじゃないんだ。或いは好きかもしれない。


冗談じゃねえよなあ、レディ至上主義のこの俺がだ。
責任とりやがれってんだよ…クソ野郎め…。


とりあえず今は──身を、預けてやるから。


-fin-

 

 

2003.4.1
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